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2017年1月28日 (土)

熱塩 1979/7/18 その2 ほか

1979年(昭和54年)7月の日中線熱塩駅ほかの未公開写真です。

以前の記事も合わせてご覧ください。

19790718h06
・623列車折り返しの624列車、熱塩発喜多方行きです。

19790718h08
・何もこんなところで・・・、という気もしますが、DE1088の連結器周辺です。

19790718h09

19790718h11
・動き始めた624列車の車内からです。熱塩駅の貨物側線跡です。

19790718h12
・会津加納駅に到着しました。列車の後方、熱塩方です。

19790718h13
・振り返って喜多方方です。

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コメント

本来は「以前の記事」にコメントすべきかもしれませんが、熱塩駅の機回り線の喜多方方にあった転轍機は「通票鎖錠装置」付の転轍機で間違いないようです。
大昔は通票を使用する区間の途中から専用線が分岐するような箇所で多用されていたようですが、自動化や専用線自体の廃止などで数を減らし、日中線の廃止時点ですでに国内唯一だったとか。
そもそも、日中線のような盲腸線で最後まで機関車牽引列車が走っていたこと自体異例とも言えますし。
ちなみに、廃止間近の頃に、夕方の便で熱塩へ行き、温泉に一泊して翌日の朝の便で帰ったことがあります。

(追伸)
こちらの動画
https://www.youtube.com/watch?v=TLGuFxNe5lY&feature=youtu.be&t=23m20s
23分20秒あたりから、通票鎖錠装置から通票を取り出す様子が写っています。

名無しさん、貴重な動画のご紹介ありがとうございます。ナルホド、こんな風になっていたんですね。もうちょっとしっかり観察しておけばよかったなぁ・・・。

こんばんは。
喜多方方の転てつ機は列車が進入してくるので、容易に転換できないようしっかり鎖錠しておく必要があったのですね。引き上げ線(車止め)側のポイントは普通のだるま式だったと覚えています。
車両と違って、とても珍しくても見栄えに乏しいので、保存されなかったのだろうなあ。
冬場の機廻し、通票鎖錠装置の取り扱いはとても大変だったろうと思います。

やわやわとまれさん、喜多方寄りは本線上の転てつ器ですから好き勝手に転換できないようにしておく必要があるのだと思います。
この時代にこのような保安設備が存在したこと自体、びっくりします。

11月18日放送のNHK BS2火野正平のにっぽん縦断こころ旅では廃線になった日中線跡を喜多方から熱塩迄辿っていました 喜多方近郊の廃線跡に保存されておる貨車移動用DLとC1163を脇に見ながら廃線跡を利用したサイクリングロードを愛車チャリオくんとともに熱塩方面へ向かってました廃線跡には枝垂れ桜が植えられており途中々々に旧駅跡に駅名票が設けられているようです途中から一般道に移り熱塩へ向かいます熱塩では駅舎が日中記念館として原形のまま保存されてます駅舎の中には小さなミュージアムになっております終端方向にはラッセル車が保存されてます屋根付きです f54560zg様の熱塩駅では駅裏は草茫々でしたが現在は綺麗にされ芝生が植えられて広々としています 放送中に計画では熱塩から山を越えて山形県の米沢迄延長する予定であったとの事真意は不明ですが若し延長されていたら今市から会津田島会津若松経由で列車が運行されてたかもしれませんね・・

喜多方~会津村松間の廃線跡に設けられた緑道公園に立つ解説板、長いですが全文引用します。(原文は縦書き)

日中線記念緑道公園について
 国鉄日中線は、野岩羽線構想の栃木県今市を起点に、田島、会津若松、喜多方を経て山形県米沢を結ぶ東北縦貫鉄道として計画された路線の一部で、昭和十三年八月十八日、喜多方-熱塩間十一・六キロメートルで営業が開始されました。
 力強いSLに引かれた列車は、沿線住民や農産物、鉱石等を輸送し、地域振興の象徴として住民の熱い期待を集めて参りましたが、与内畑鉱山の閉山、交通体系の変化や国鉄再建策のなかで、第一次廃止対象路線の一つとなりました。
 地域住民が一丸となり、明治以来九十年余にわたる野岩羽線開通の願いを込めて、建設運動を続けてきましたが、その夢は断たれ、開業以来四十五年七ヵ月余走り続けた日中線は沿線住民の哀惜の想いを残しながら、昭和五十九年三月三十一日で廃止になりました。
 この公園は、山形県米沢への開通を念願し日中線建設に努力された先人の偉業を称え、永く後世に伝えるべく跡地の一部を緑道公園として残しました。
   喜多方市

仮に野岩羽線が全通しても、東北本線の補完機能には限界があったでしょう。しかし現在の野岩鉄道~会津鉄道ルート上に連なる温泉の数々に、日中温泉や山を越えた米沢側の温泉も加わった遠大な「温泉街道」の形成も想像でき、大きな観光資源になったかもしれません。

クモイ103様 まったく同感です地域振興と観光資源開発を兼ね備えた新規路線開業は今後も有ればと思います 在来のローカル線や盲腸線でもやり方次第では地元の食材やジビエ等を使った料理と地酒等を車内で提供する列車と地元の観光資源をタイアップして運行させればと思います

確かに「地元の食材やジビエ等を使った料理と地酒等を車内で提供する列車」は流行りなのかもしれません。しかし今のところ「流行り」でしかありません。
温泉は今や日本の「文化」にまで昇華していますから、私も「大きな観光資源」という言葉を使いました。しかし「流行り」をあたかも「文化」と同列に持ち上げ、それに頼った結果が、バブル崩壊後全国に出現した廃墟であったことを忘れてはいけません。
「流行り」を「文化」に昇華させることができるか? いま鉄道事業が直面する課題の一つを掘り下げると、それを考えざるを得ない気がします。

難しいことはともかく(爆)、並行世界の私が色々な面で余裕のある立場だったら、「野岩羽線・列車と温泉めぐり途中下車の旅」もいいかな? と妄想してみました。現実世界ではとうに廃止されてしまった日中線の各駅は、どんな姿になっているでしょうね。

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