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2016年11月12日 (土)

丹波口→神足 1992/6/28 動画

1992年(平成4年)6月28日に撮影した快速「嵯峨野・嵐山ホリデー221・1号」園部発和歌山行き9532M~9835Mの前面展望です。

ご存知の方も多いかと思いますが、この列車は上記の通り園部発和歌山行きという一風変わった列車です。丹波口駅~梅小路駅~向日町駅間、茨木駅~吹田信号場~新大阪駅~梅田駅~西九条駅間は貨物線を経由し、停車駅は園部、亀岡、馬堀、保津峡、嵯峨、太秦、花園、二条、高槻、新大阪、天王寺、堺市、鳳、和泉府中、熊取、和歌山です。

今回はその1回目で、丹波口駅から神足駅までの区間をご紹介します。

動画のおおよその内容は以下の通りです。

1)16時21分頃、9532Mが丹波口駅に到着します。運転停車ですのでドアは開きません。

2)ここでハプニングです。何か不穏な気配を感じたと思われるご婦人が運転士さんに尋ねます。
「京都止まります?止まらない?降りよう!」
連れの方に下車を促しますが、残念ながらドアは閉じたままです。
お気の毒ですが高槻まで強制連行ですね。

3)16時22分頃丹波口駅を出発し、山陰連絡線に進入します。

4)16時26分頃梅小路駅に到着します。再び運転停車です。
少しして運転士さんが出てきたのは、先ほどのご婦人の動揺を鎮めるためだったのかもしれませんね。

5)16時29分頃発車します。ここから列車番号が変わって9835Mとなります。出発信号機の先の、迂回路のようなところを通るのが面白いですね。

6)16時32分頃、桂川を渡ります。このあたり、妙にゆっくりです。

7)16時35分頃、向日町駅の第1場内信号機を通過し、東海道線をオーバークロスして外側線に合流します。

8)16時37分頃、向日町駅を通過します。さすがにスピードを上げますね。

9)向日町運転所の脇を通って、16時40分頃神足駅を通過します。

相変わらず、
・画質悪
・ノイズ多
・手ブレ大
・構図悪
ですが、ご容赦ください。

https://www.youtube.com/watch?v=gm7mz3BbTFQ

2回目では茨木駅から新大阪駅までの区間をご紹介する予定です。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

こんにちは。お久しぶりです。
嵯峨野・嵐山ホリデー号は二度乗りました。
最初は、まだ山陰本線が非電化だったころ、キハ28+キハ58の編成。
二度目は電化後の221系編成。

貨物線を通るということで、乗りに行きました。
キハはまぁ当然ながら、運転室のブラインドは降りたまま。
急行型の車両でもあり、客室で暫し旅の気分。
DMH17のエンジン音も高らかに走行。
東海道本線に入って、高槻駅手前の小川の堤に子供の手を引いたお母さんが見ていて、轟音で走行するキハ2連を不思議そうに見ていました。
あの子どもももう30頃になって、お嫁に行っているだろうなとふと思い出す一コマです。

電化後、列車名から221系が使用されることが分かるので、再度乗りに。
あれほど「京都駅へは参りません」と車内放送しているのに、丹波口駅では運転室に駆け込んで、運転室の扉からホームへの人が二名。
連絡線~貨物線を前を見ながら乗るのはこの時が唯一。
向日町駅からはいつもの外側線で、腰掛に戻りましたとさ。

少し余談。
キハの時だったか、221の時だったか、大阪駅で、「芦屋が停まらないって言ってるよ!」「でもこれ快速じゃない」「快速でも臨時よ」で一旦乗った車内から出て行ったグループがありました。
快速なので芦屋駅を停まりそうですが、国電(電車区間)の快速ではなく、汽車区間の快速なので、停車駅は列車ごとに定められます。その違いなんですけどね。

初めまして。いつも楽しく拝見させていただいております。hi-lite(ハイライト)と申します。よろしくお願いいたします。
この短絡線、元々は梅小路発着の山陰線貨物列車用だったのですが、新駅設置に伴い廃止となったようです。
私の関心は短絡線よりも梅小路→向日町間で、昼ネのために走っていた「山陰」号を思い出しました。また、ムコソへ入区する列車は、現在では6番線を通過しますが、私の知っている頃はまだ解結貨物列車が6番線を使用していたことや「副本線の通過禁止」の規程のせいか、本ビデオと同様5番線(下り外側線)を通過し、こちらの配線図ですと12LMの注意信号で入区していました。
「ホリデー」号については、台風接近のため阪和線で午後から各駅停車だけの運転手配となったことがあったのですが、臨時列車故に園部駅への連絡が忘れられたのか所定運行され、走らないはずの快速列車が走ると、天王寺駅が騒然となったときがあったことを思い出しました。たしか箕島行きだったのですが、最終的には和泉砂川か和歌山までで運転打ち切りとなったようです。
思い出話ばかりで失礼いたしました。最後に一言。梅小路出発信号機から先の不細工な配線。目に焼きついて離れません。
懐かしいビデオを拝見させていただき、ありがとうございました。

kisomitakeさん、お久しぶりです。
嵯峨野・嵐山ホリデー号には気動車時代もあったんですね。大阪付近で料金不要の気動車列車って結構珍しかったのではないでしょうか。
おっしゃる通り、繰り返し京都には行かないとアナウンスされていても、それでもやっぱりいらっしゃるんですね(笑)。

hi-liteさん、こちらこそよろしくお願いします。
この短絡線は貨物列車に、回送列車にと、実にユニークな使われ方の線路でしたね。
「出発信号機から先の不細工な配線」、並行作業に支障しないようにするためと思ったのですが、これによりどのような並行作業が可能になるのかがよくわからないんですよね・・・(汗)。

 不細工な配線に笑ってしまいました。どうせ速度制限があるのなら同じことですが。
 同じような配線をナマの前面展望で見た記憶があります。どこか場所を思い出せませんが定期列車でした。

 この列車が走った梅小路~向日町の第5線である単線の使い方は巧妙です。元は梅小路から東海道下りへ進出する貨物列車用でした。
 1964年に向日町操車場が旅客基地として設置されると、基地から京都駅への回送線として上下列車が使用する単線となりました。
 下り「はるか」も通り、山陰本線の電車が基地へ帰る下りも利用しています。
 線路名はどう呼ぶのでしょう? 上下の内外線の他ですから何か名付けないと。

 前項で誤解を招きそうなので追記を。

 正確にいうと、1964年までの京都~向日町は複々線であり、梅小路では線路別で海側2線が旅客、山側2線が貨物でした。向日町へ向かって桂川橋梁を渡ると貨物下り線が旅客2線をオーバークロスして向日町へ入り方向別となっていました。 このとき京都駅では旅客上りが貨物2線を平面横断して1番線に到着して方向別丹戻っていました。複々線の機能を殺すような配線でダイヤ構成の苦労が偲ばれます。
 1964年の工事で、4線が方向別として京都まで直通して、さらに1線が新設され向日町の海側から出て4線をオーバークロスして梅小路に至っています。この動画の線路です。
 このとき梅小路に入る下り貨物は京都寄りで4線をアンダークロスすることになりました。これで京都~向日町の平面交差は解消しました。ただし梅小路西口では上下貨物が右側通行で入るので交差しますが梅小路へ入る本数は少ないので問題点ではありません。

 追加とお詫び。

 先稿であれこれ記した部分は、すでに梅小路のページに解説されていました。知った風に述べたこと、赤面・汗顔・恐縮あるのみです。

16:29頃のあの膨らみの配線、現存しませんよね・・・ 無駄なようで、鎖錠の都合、とても重要な膨らみなのでしょう。真相が知りたいです。

あの膨らみ、『1992 梅小路』の項の配線略図を見る限り、「上り外側線→梅小路の到着」と「山陰連絡線→向日町方第5線への出発」が支障しないための工夫に思われますが・・・

C6217さん、解説ありがとうございます。この「第5の線路」、ホントに巧妙ですよね。

やわやわとまれさん、名無しさん、
私も最初は名無しさんのおっしゃるような競合の回避かと思ったのですが、上り梅小路到着貨物は外側線の隣の線路を通過するっぽいので、そうであればもともと競合はしないんですよね・・・。

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