豊科 2016/6/18
ついこの間、2016年(平成28年)6月18日の豊科駅です。
・まずは松本方の下り場内信号機です。よく見るとその下にそっぽを向いた信号機があります。
・左は下り1番線ですが、先ほどのそっぽを向いた信号機はこの下り1番線に対するものと思われます。
・ホームに移動します。下り1番線の上り出発信号機も横に向けられています。
・上り本線の列車停止標識の位置がちょっとおかしいような・・・。
・糸魚川方です。
・下り1番線の下り出発信号機はやはり横に向けられています。
・上り場内信号機です。上り1番線用の信号機が横を向いています。
以上の写真から豊科駅の配線図を描くと以下のようになります。
・上下本線のほか下り1番線が設けられおり、この下り1番線に関係する場内・出発信号機が撤去されずに横に向けられた状態で残っているところを見ると、少し前まではこの下り1番線は副本線だったような気配です。貨物列車が運転されなくなったのはかなり前のことだと思いますので、どのような列車が下り1番線を使用していたのでしょうか。
・下り本線/上り本線はそれぞれ下り列車/上り列車専用です。従って追い越しやホームでの折り返しはできません。
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こんばんは。
当方、訪ねたことのない大糸線です。4枚目の写真を拝見すると、閉じられてしまった下1番の停目(9)がみえます。臨時回送列車に用いられていたのではないかと推測しましたが、いかがでしょうか。昨今、大糸線の臨時列車はかなり減ったように感じます。
上本の列停は、保守用の線路との接触限界に阻まれて右側にしか建てられなかったのが正直なところでしょう。
おもしろいですねぇ。
副本線下1への場内はGをふさいだ二つ目ってところも味があっていいです。
投稿: やわやわとまれ | 2016年6月30日 (木) 00時16分
再度失礼します。
下1の車掌用、出発反応灯も横向きになっているのがお茶目。近々信号も線路も取り払われてしまうのでしょう。残念ながら。
投稿: やわやわとまれ | 2016年6月30日 (木) 00時21分
今は撤去されてしまいましたが、駅の北側から豊科フィルムへの専用線が伸びていました。
遅くても」1990年前半までには廃線になったと思われます。
投稿: 猫 | 2016年7月 1日 (金) 13時19分
4枚目の写真の
「・上り本線の列車停止標識の位置がちょっとおかしいような・・・。」
の理由を考えてみましたが、わかりませんでした。
横方向に対してなのか縦方向に対してかなのか?
どのようになのか?
投稿: verdandi | 2016年7月 3日 (日) 12時44分
やわやわとまれさん、なるほど、そうかもしれませんね。9両だと特急車両でしょうか。
進行と停止のみとか注意と停止のみしか現示しないような信号機にはいろいろ個性がありますね。
猫さん、大糸線のようなローカル線ですとかなり早い段階で専用線は廃止されてしまったように感じていましたが、結構遅くまで残っていたんですね。
verdandiさん、建築限界を支障するなどの理由で出発信号機が本来の位置に建植できない場合に、その本来の位置に設置するのが列車停止標識ですので、上り本線の左側に設置されるのが正しいように思うのです。やわやわとまれさんのおっしゃる通り、左側の側線との関係でやむなく右側に設置したんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2016年7月 3日 (日) 15時22分
回答ありがとうございます。
そういえば、f54560zgさんのおっしゃる通り、通常は運転手から見て左側に設置されていたと思います。やむを得ない場合は右側に設置することも。
投稿: verdandi | 2016年7月 7日 (木) 01時20分
verdandiさん、本来建植すべき位置に設けられるのが列車停止標識のはずなのですが、その列車停止標識が本来の位置ではないとういうのがちょっと不思議です。
投稿: f54560zg | 2016年7月10日 (日) 14時00分
下り1番線の西側に専用線の留置線があり、現在残っている下り1番線は上下線の貨物列車待避用に使用されてました。今は切れてますが、上り線の側線は国鉄時代の貨物引き込み線で信濃大町方にも繋がっておりました。全部の引き込み線には架線もありました。地下道は昭和50年代後半に造られたもので、信濃大町方から構内踏切を渡りホームに上がりました。165系急行アルプスが運行していた時はまだホーム有効長が8両までしかなく、183系特急あずさが定期運用で大糸線に入線してからしばらくした後延伸工事を行い9両編成対応にしたはずです。
投稿: オカルト | 2016年12月 9日 (金) 04時32分
オカルトさん、情報ありがとうございます。すべての貨物側線に架線が張られていて、貨車を牽引してきた電機が入換に勤しんでいたわけですね。
投稿: f54560zg | 2016年12月10日 (土) 18時50分
恐れ入ります。
専用線は小型のディーゼル機関車が使用され国鉄貨物列車はED60が牽引していましたね。国鉄末期は豊科、信濃松川、信濃大町が最後の貨物取り扱い駅でJR に移行してからは昭和電工の専用線からの発着が最後の貨物運行だったと思います。
投稿: オカルト | 2016年12月11日 (日) 04時47分
オカルトさん、ありがとうございます。
もしご存知でしたら教えてください。
国有化後しばらくは旧信濃鉄道の電機が大糸線貨物列車を牽引していたと思うのですが、彼らが去ってED213がやってくるまで10年くらいの電機空白期間があるようです。この空白期間中は何が貨車を牽引していたのでしょうか?C56?それとも電車?
投稿: f54560zg | 2016年12月11日 (日) 17時23分
数年前の記事へのコメントで恐縮ですが、幼少期(1990年代初頭)に豊科駅周辺に住んでおりましたので、状況を記させて頂きます!
他の方も回答されたおりますが、下1番線の西側にも留置線があり、臨時列車の回送車両の留置に利用されておりました。当時は大糸線内にジョイフルトレインの入線が多くあったため、記憶の限りではパノラマエクスプレスアルプスや浪漫、宴がとまっていた記憶があります。浪漫がいたことを考えると95年頃までは留置線として、活用されていたのかなと思っています。懐かしい限りです。
投稿: ともひろ | 2022年11月28日 (月) 19時02分
ともひろさん
豊科駅はジョイフルトレインの留置場所になっていたのですね。意外な車両を見つけたときはさぞかし興奮したのではないでしょうか。
投稿: f54560zg | 2022年11月30日 (水) 20時07分