松本 1973~1978
1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて松本駅で撮影した写真のご紹介です。
最初は1973年(昭和48年)3月25日、松本~篠ノ井間の電化直前の頃の撮影です。
・大糸線の信濃大町行き235Mです。一番手前はクハ55437です。
・5番線ホームの塩尻方の端から見た松本運転所です。キハ91の姿も見えますね。
・新宿発松本止まりの5M「あずさ3号」です。新宿方の先頭車はクハ181-4で、高速度試験の163km/hのマークが取り付けられていました。
・新宿発長野行きの421列車です。牽引機はDD51602+DD51616で、電化直前の最後の頑張りです。
続いて1973年(昭和48年)4月4日、松本~篠ノ井間の電化直後の撮影です。
・長野発新宿行きの424列車です。電化により長野からEF6445が牽引してきましたが、松本でEF6438に交代しています。
続いて1973年(昭和48年)8月の撮影です。この時点では塩尻~中津川間の電化も完成しています。
・名古屋発長野行き1005M「しなの3号」です。登場間もない381系で、ノッペラボウの屋根上に何とも言えない奇妙さを感じました。
続いて1974年(昭和49年)7月21日の撮影です。
・松本発長野行き521列車です。前述の新宿発長野行き421列車が48-10改正で分割されたものです。従って客車は新宿から長野まで直通します。
・上り2番線の(多分)159系です。(多分)9801M「きそ51号」で松本にやってきたのではないかと思われます。
続いて1977年(昭和52年)8月14日撮影です。
・中津川発松本終着の829Mです。その左は中津川発長野行き825~2825列車、さらにその左は長野発大阪行きの7802列車「ちくま1号」です。
最後に1978年12月25日撮影です。こちらも合わせてご覧ください。
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配線図を見ると1番線が上り本線、3番線が下り本線、その間に中線として2番線を配置するという、ごく一般的な基本構造ですね。
6番線と7番線は、(元)私鉄線ということもあって、他のホームと比べて位置が斜めになっています。
松本電鉄の乗入れ線は既に撤去されていたのでしょうか?現在でも接続部直前までは、大糸線車両の留置用に残してありますが。
配線とは関係ありませんが、跨線橋の変化も興味深いです。この頃は北側に駅につながる跨線橋が、南側にホームとホームを結ぶ跨線橋があったことが分かります。その後、南側に新しい跨線橋が作られましたが、私の幼い頃(2000年前後)くらいまでは古い跨線橋も残っていました。ただ、ホームへ降りることはできず、駅東西を結ぶ通路としてですが。一部使われなくなった階段は抜け落ちていました。その後、更に改築されて現在の駅舎になると、0~6番線への階段が移設されて旧階段は撤去されました。一時期、旧階段と新階段両方使える時期もありました。
また、西口駅舎は統合されて撤去されてしまいました。
0~6番線から西口へ出る際は改築前も改築後も階段を通らなければ出られないのでいいのですが、大糸線・上高地線から西口へ出ようとすると、それまで直接出られたのが、一旦階段を上って改札を通らなければならなくなり、かえって不便になりました。改良工事のはずが、そういった問題点もあります。
投稿: 松代猫 | 2016年6月20日 (月) 23時37分
0~6番線
ではなく
0~5番線です。間違えました。
投稿: 松代猫 | 2016年6月20日 (月) 23時53分
松代猫さん、確かに跨線橋の変遷も興味深いですね。ホームに至る階段部分が閉鎖されている状態はちょっと奇異に感じました。
投稿: f54560zg | 2016年6月26日 (日) 10時33分