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2016年5月 4日 (水)

中央線のスイッチバック停車場 その1

中央線の大月~小淵沢間には初狩、笹子、勝沼、韮崎、新府、穴山、長坂のスイッチバック停車場がありました。

スイッチバックが設けられた要因をざっくばらんに言えば、
①上り勾配が急
であり、
②動力車性能が低い
にもかかわらず、
③列車を停車させなければならない
ということです。列車を停車させてしまうと発進が困難になるからです。
さらに、列車を停車させなければならない理由としては、
③-1 旅客の乗降
③-2 貨車の解結
③-3 列車の行き違い
などがあげられます。

従ってこれらの要因のいずれかが排除されればスイッチバックは廃止できることとなります。
具体的には、
①はとりあえず考えない。
②はEF13をEF64へ置き換える。
③-1は停車せずに通過させる。
③-2は貨物扱いを廃止する。
③-3は複線化する。
などで、実際に前述の7停車場についてはこれらを実施することにより旅客列車に関してはすべてスイッチバックが廃止されています。
ただ、実際にスイッチバックが廃止されるのは上記改善が行われた時期というよりはこれを受けてのダイヤ改正が行われるタイミングでしょうし、またスイッチバックの廃止時期については各種書籍やWkipediaなどで相違がある場合があり、個人的にはちょっとあやふやに感じてます。

今回はこれら7停車場のスイッチバック廃止時期を、時刻表と上記要因の変化から追いかけてみることにしました。

まず全体な話として、EF13→EF64への置き換え状況、貨物営業の状況、複線化の状況について。

最初にEF13からEF64への置き換えです。1971年3月時点では11両のEF13が甲府機関区に配置されていましたが、4月21日の3号機を皮切りに1971年度中にすべて他区に転出しています。
Ef13r_2
またEF64の新製配置については、若干時期の幅が広いのですが以下のようになっています。
Ef64r
1970年1月から1971年5月にかけて13両のEF64が新製配置されています。これらによりEF13が置き換えられたものと思われます。

貨物営業については以下の通りです。
R_3
新府は信号場として開設されていますので当初から貨物営業は行われていません。それ以外の停車場については初狩を除いて1971年度中には貨物営業が廃止されています。

複線化については以下の通りです。
R_2
1971年9月にはすべてのスイッチバック停車場を含む区間の複線化が完了しています。

以上を前提として、次に個別の停車場について見ていきます。

最初はわかりやすい例として穴山駅です。
時刻表に掲載された上り列車の新府信号場発車時刻と穴山駅発車時刻の差をグラフ化してみました。
R_5
・1966年7月時点ではまだ電車列車は運転されていませんでした。
・これを見ると1971年9月~10月の間に電車列車、客車列車ともスイッチバック運転が廃止されたものと推察されます。
・以上を整理すると以下のようになります。
R
・複線化の完成は1971年9月ですが、スイッチバック運転の廃止はこれを受けての1971年10月1日のダイヤ改正時と思われます。
・この時点ではすでにEF13は撤退していますので、本線上にホームを設置すると同時にスイッチバックの着発線を廃止し、電車列車・客車列車とも本線上のホーム使用に切替えられたものと思われます。
・前述の通り貨物営業は1960年にすでに廃止されていますので、スイッチバックの廃止には影響ありません。

次に、以前の記事と一部重複しますが韮崎駅です。
時刻表に掲載された下り列車の新府信号場発車時刻と韮崎駅発車時刻の差をグラフ化してみました。
R_7
・これからわかることは、まず1970年10月~11月の間に電車列車のスイッチバック運転が廃止され、続いて1971年4月~5月の間に客車列車のスイッチバック運転が廃止されたのではなかろうか、ということですね。
・整理すると以下のようになります。
R_2
・複線化の完成は1970年9月ですが、スイッチバック運転にかかわる最初の変更は1970年10月1日のダイヤ改正と思われます。
・このとき本線上にホームが新設されたわけですが、当時の客車列車はまだEF13の牽引でしたので本線上のホームでの発着ができません。このためスイッチバックの着発線を存置して客車列車の発着に使用し、電車列車のみ新設ホームを使用してスイッチバック運転を廃止したようです。つまり「新旧ホームの併用」という方法を採用したわけですね。
・その半年後、EF13からEF64への置き換え完了を受けて1971年4月26日のダイヤ改正で客車列車についても本線上のホーム発着としてスイッチバック運転を解消したものと思われます。
・但し貨物営業は1972年2月まで行われていましたので、スイッチバック構造は少なくともこの時点までは残っていたようです。
・かつてのスイッチバック停車場の多くは現在ではスイッチバック運転が廃止されてしまっているわけですが、わずか半年間とは言えスイッチバックの廃止の過程で「新旧ホームの併用」という期間が存在するのは珍しい例ではないかと思います。

次回の記事に続きます。

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コメント

韮崎駅のスイッチバックに関する考察、とても興味深いです。別の視点として、EF64とEF13に対し、韮崎駅の勾配で機関車が引っ張りうる最大重量をざっくりと計算してみました。25‰勾配、半径400m曲線の条件下で、出発抵抗と走行抵抗を適当に与えました。牽引できる最大重量は、EF64で約500トン、EF13は約340トンになり、客車の平均重量を40トンとすると、EF64は12両、EF13は8両牽き出せることになります(注:素人のざっくり計算なので±1両の誤差はあると思います)。当時の客車列車に荷物車が付いていると8両くらいにはなりそうで、EF13ではギリギリですが、EF64なら余裕があります。雨による粘着低下時でも新性能機(←この言い方も今や死語)なら勾配上のホームから引き出しが可能と判断されたのでしょうね。平成になってからも臨時アルプス91号が韮崎に停車しておりましたが、編成は14系客車6両(240トン程度)だったようで、これならEF64で引き出せる範囲です。

最寄は首里駅さん、計算ありがとうございます。中央線の勾配はEF13にはちょっと厳しかったのですね。

「SL→機関車牽引→電車」で の、

早い話、
「停まれるようになった から、
坂の途中でも、
少し平坦な場所があれば=ホーム」 ですね。

現実、
「中央本線 は、
甲府~富士見の50km区間だけでも、
標高差500m以上あります 」ですし。

名無しさん
車両性能向上と複線化と貨物営業廃止ですね。

最寄は首里駅さま
 25‰の機関車列車の停車は起動よりも下り勾配での停車ブレーキが問題だったと聞いています。 EF13でも停車は可能ですが停止位置を合わすための調整は無理だったそうで、発電ブレーキ装備のEF64で可能になりました。
 つまり駅間を走行中は機関車の発電ブレーキのみで走行し、客車はブレーキなしです。この状態では空気ブレーキを停車用に使えます。単純計算では平坦線と同じになります。

C6217さん
そうですか、上りだけでなく下りも影響してくるんですね。

いつも参考にさせていただいています。
鉄道友の会長野支部の「D51から振り子電車へ 甲信の鉄道20年の軌跡」という本に「甲府小淵沢間旅客列車EF64形による勾配起動開始(韮崎駅勾配ホーム使用、貨物は旧スイッチバック使用)」という記述があります。また、昭和60年の線路図によると上り線のホームが下り線よりも韮崎・新府は49m・穴山は50m・長坂は11m長くなっています。過走対策かもしれませんね。

Mc43810さん
スイッチバックを廃止して急こう配上のホームに停車する場合は、坂を上る場合だけでなく下る場合への配慮も必要になるわけですね。

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