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2016年5月 8日 (日)

中央線のスイッチバック停車場 その2

前回の記事の続きです。

まずは初狩駅です。
時刻表に掲載された下り列車の笹子駅発車時刻と初狩駅発車時刻の差をグラフ化してみました。
R_11
・これからわかることは、1966年11月~1967年7月の間に電車列車についてはスイッチバックが廃止になったであろうということと、同時期に客車列車については初狩駅を通過するようになったということです。
・但しこの時刻の差には、仮に初狩駅でスイッチバックをしていた場合に余分にかかる時間と、仮に笹子駅でスイッチバックをしていた場合に余分にかかる時間の両方が含まれていますので、1966年10月から1967年7月への変化が初狩駅のスイッチバック廃止によるものなのか笹子駅のスイッチバック廃止によるものなのかの区別はできません。ただ、両駅付近の複線化の時期が1966年11月~12月とほぼ同時期ですので、これに伴う1966年12月12日のダイヤ改正に合わせて初狩、笹子両駅の本線上に同時にホームが新設され、電車列車については新設ホームの発着とすることでスイッチバックを廃止したものと思っています。
・またこの時点ではまだEF13牽引の客車列車が運転されており、これについては本線上に新設されたホームに発着することができなかったものと思われます。そこでとられた対応が、なんと「客車列車は通過」という、ちょっと荒っぽい(?)方法だったわけですね。まあ初狩駅通過となる客車列車は3往復だけでしたのでさほど影響がなかったということなのでしょうが、後年の韮崎駅が「新旧併用」という方法で対応したのとは対照的です。
・以上を整理すると以下のようになります。
R_3
・初狩駅では複線化に伴う1966年12月12日のダイヤ改正で電車列車は本線上に新設されたホームを使用することとしてスイッチバックを廃止、客車列車については通過とすることで同様にスイッチバックを廃止したものと思われます。
・EF13牽引の客車列車は1971年4月頃にはEF64牽引に置き換えられていますが、初狩駅通過という対応はその後も継続され、結局1975年3月の客車列車廃止まで続きました。つまり初狩駅の新ホームに客車列車が停車することはなかったわけですね。
・貨物扱いについてはその後も継続されましたので、スイッチバック部の着発線については存置されています。

続いて笹子駅です。
・時刻表に掲載された下り列車の笹子駅発車時刻と初狩駅発車時刻の差については前述の通りです。1966年11月~1967年7月の間に電車列車についてはスイッチバックが廃止になったであろうことと、同時期に客車列車については笹子駅を通過するようになったということです。
・以上を整理すると以下のようになります。
R_3
・笹子駅では複線化に伴う1966年12月12日のダイヤ改正で電車列車は本線上に新設されたホームを使用することとしてスイッチバックを廃止、客車列車については通過とすることで同様にスイッチバックを廃止したものと思われます。
・笹子駅の場合は1963年4月に貨物扱いが廃止されていますので、本線上のホーム新設と同時にスイッチバックの着発線は撤去されたのではないでしょうか。

続いて勝沼駅です。
時刻表に掲載された下り列車の初鹿野駅発車時刻と勝沼駅発車時刻の差をグラフ化すると以下のようになります。
R_12
・若干微妙なところがあるのですが、1968年1月~1968年10月の間に電車列車についてはスイッチバックが廃止になったであろうことと、同時期に客車列車については勝沼駅を通過するようになったということが言えると思います。
・複線化は1968年8月ですので、スイッチバックに関する変更は1968年10月1日のダイヤ改正に合わせて実施されたものと思われます。
・以上を整理すると以下のようになります。
R_13
・勝沼駅では複線化に伴う1968年10月1日のダイヤ改正で、電車列車は本線上に新設されたホームを使用することとしてスイッチバックを廃止、客車列車については通過とすることで同様にスイッチバックを廃止したものと思われます。
・貨物扱いは1960年6月に廃止されていますので、本線上のホーム新設と同時にスイッチバックの着発線は撤去されたのではないでしょうか。

続いて新府信号場です。
時刻表に掲載された下り列車の穴山駅発車時刻と新府信号場発車時刻の差をグラフ化すると以下のようになります。
R_6
・これからわかることは、1971年9月~10月の間に何か変化が起こったのではないかということですね。
・但しこの時刻の差には、仮に穴山駅でスイッチバックをしていた場合に余分にかかる時間と、仮に新府信号場でスイッチバックをしていた場合に余分にかかる時間の両方が含まれています。前回の記事の通り穴山駅のスイッチバック廃止は1971年10月1日と推定しているのですが、1971年8月から10月への変化が穴山駅のスイッチバック廃止によるものだけなのか、それとも穴山駅のスイッチバック廃止と新府信号場のスイッチバック廃止の両方を含んだものなのかの区別ができません。
・このほか新府信号場での客車列車のスイッチバックが廃止されそうな変化としては1971年4月のEF13→EF64への置き換えがあるのですが、上図でこのあたりの状況を見ても特に変化が起こっているようには見えません。
・ですので、新府信号場のスイッチバックの廃止は穴山駅と同じ1971年10月1日なのではないかと推察します。
・以上を整理すると以下のようになります。
R_4
・新府信号場でのスイッチバックの廃止は名古屋方の複線化が完成した直後の1971年10月1日のダイヤ改正でなないでしょうか。
・新府信号場の場合はもともと本線上にホームが設置されていましたので、スイッチバック廃止に伴うホームの設置や撤去は発生しないと思います。

最後に長坂駅です。
時刻表に掲載された下り列車の長坂駅発車時刻と日野春駅発車時刻の差をグラフ化すると以下のようになります。
R_10
・若干微妙です。ただ1972年11月と1973年9月で時刻の差が11分となっている客車列車はいずれも夜行列車ですので、これは無視してもよいかも。これらを除外して見ると1972年5月~11月の間でスイッチバックが廃止されたかのように見えてきます。
・この時期のダイヤ改正は1972年10月2日ですので、このタイミングで長坂駅のスイッチバックが廃止されたのではないでしょうか。
・以上を整理すると以下のようになります。
R_5
・長坂駅付近の複線化は1966年3月と比較的早く、この時点ではまだEF13は現役ですし貨物営業も行われていましたのでスイッチバックのまま複線化が行われました。大月~小淵沢間において旅客列車がスイッチバックする停車場の中では唯一の複線スイッチバック停車場でした。
・その後EF13はEF64に置き換えられ、1972年2月に貨物営業も廃止されましたので、タイミングとしては1972年3月15日のダイヤ改正でスイッチバックが廃止されるのが自然かと思ったのですが、なぜか実際に廃止されたのはそれより半年後の1972年10月2日のようです。

以上、初狩、笹子、勝沼、韮崎、新府、穴山、長坂の各停車場について、そのスイッチバックの廃止時期を推察してみました。
書籍などでは単に「複線化によりスイッチバックを廃止」との一言だけで表現された文面をよく見かけますが、複線化以外にもEF13や貨物営業の関係があるために、新旧ホームを併用したり、客車列車を通過させたり、複線スイッチバックを採用したり、貨物用のスイッチバック設備は残したりと、スイッチバック廃止に至るまでの経過は結構バラエティに富んでいて面白いですね。

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