« 初狩 2013/7/6 | トップページ | 中央線のスイッチバック停車場 その1 »

2016年4月27日 (水)

初狩配線図

いまさら申し上げるまでもなく、初狩駅は今もスイッチバックの構造を持つ数少ない駅の一つです。今回はその初狩駅の配線の変遷について。

まずは単線時代ですが、KASAさんのサイトで公開していただいているものをご紹介します。1962年(昭和37年)3月です。

http://senrozu.blog17.fc2.com/img/20160410A7JZFcfA

折返線の先に砂利線が設けられている点がちょっと変わっていますが、まあ基本的にはフツーのスイッチバック駅だと思います。

これが1966年(昭和41年)11月に複線化されました。同様にKASAさんのサイトの線路図をご紹介します。1971年(昭和46年)3月時点です。

http://senrozu.blog17.fc2.com/img/20160410PA27Ev7z/

複線化後も貨物取り扱いが引き続き行われていたため貨物列車はスイッチバックを継続することなったわけですが、この貨物列車のスイッチバックのしかたがちょっと変わったものになりました。
・まず上り貨物列車の場合ですが、この場合は
 名古屋方→第2折返線→上り1番線→東京方
ですね。普通のスイッチバックです。
・下り貨物列車で初狩駅で解結作業を行う場合は
 東京方→第1折返線→第2折返線→上り1番線→第2折返線→名古屋方
となります。即ちこの場合は到着から出発までに4回も向きを変えなければなりません。言ってみればダブルスイッチバックですね。他のスイッチバック駅にはない特徴だと思います。東京方から直接上り1番線に進入できないことがその理由ですね。
・また単に待避だけを行う下り列車の場合には
 東京方→第1折返線→第2折返線→名古屋方
というルートも可能です。
・初狩駅で解結を行う下り貨物列車は1984年(昭和59年)2月の貨物時刻表まではその存在を確認することができるのですが、1985年(昭和60年)3月の貨物時刻表では初狩駅に停車する貨物列車は下り初狩駅終着・上り初狩駅始発の列車のみとなっており、この時点でダブルスイッチバックは消滅したのではないかと思います。
・以前に1987年(昭和62年)の動画1動画2をご紹介していますが、動画の内容を確認する限りでは1971年(昭和46年)の線路図と変わっていないように思います。

続いて2013年(平成25年)に初狩駅を訪問したときは以下のようになっていました。

3_2
前回の記事にも書きましたが、1987年(昭和62年)の動画と比べると、

P10704332
1)上り1番線→第2折返線への信号機(1971年の線路図の3LS2)がなくなっている。

P10704422
2)第2折返線→上り1番線への信号機(1971年の線路図の2RD)がなくなっている。

P10704403
3)名古屋方→第2折返線への信号機4LS2は残っている。

ということが見て取れます。
しかしながら現在でも八王子駅方面~初狩駅間では工事列車が運転されているようであり、一方初狩駅~甲府駅方面ではそれらしい列車が設定されていないようですので、これらを考えると
1)3LS2がなくなったのはまあ良しとしても、
2)2RDがなくなったら第2折返線から上り1番線に進入できなくなってしまうのでこれはおかしい。なので2RA(第2折返線→名古屋方への信号機)を廃止して2RAの場所に2RDを移設したのではないか。
3)初狩駅~甲府駅方面ではそれらしい列車が設定されていなさそうなのに名古屋方→第2折返線への信号機4LS2が残っているのが不可解。
といったことを前回の記事で書きました。

ところが前回の記事のコメントでKASAさんから「2010年(平成22年)に東京方→第1折返線→第2折返線→名古屋方というルートで列車が運転されていた」という情報をいただきました。となると「2RAを廃止したのではないか」という説は誤りだということになります。しかし2RDも必要なはずです。なのに信号機は1基しかない・・・。大きな疑問です。

改めて1987年の動画と2013年の写真をしげしげと見比べてみました。

最初に気付いたのはこの写真。

P10704362
1987年の動画では上り1番線用に設けられているのは入換標識です。ところが2013年の写真では入換信号機識別標識が設けられており、つまり入換信号機になっているんです。ということは、推測ですが、上り1番線から第2折返線への移動は入換信号機によるものに変更されたのではないだろうか、ということです。

そう思って今度は第2折返線の信号機を見てみます。

P1070442x42
1987年の動画では第2折返線用に設けられているのは入換標識です。2013年の写真では、背中側なので微妙ですが、入換信号機識別標識らしきものが見えます。もしそうであるならば、第2折返線から上り1番線への移動も入換信号機によるものに変更されたのではないか、と思えてきますね。

以上のように、上り1番線~第2折返線間の移動が入換信号機によるものであるならば、前述の疑問は解消されます。

ただ、疑問は解消されるのですが、何かひっかかるものがありますね。

・まず、何で場内/出発信号機を入換信号機にする必要があったのでしょうか。下り列車の場合、従来は東京方→第1折返線→第2折返線→上り1番線に到着後入換で砕石線に向かっていたわけですが、これを東京方→第1折返線→第2折返線に到着後そのまま砕石線に移動するように変更して上り1番線には向かわないようにしたとか?(実際にそうなのかどうかは確認できていませんが。) つまり主たる着発線としての役割を従来の上り1番線から第2折返線に移したのではないか、ということですね。ただ仮にそうだとしても上り列車は上り1番線からの発車になるのですが(汗)。

・またそもそもスイッチバックに入換を挟むというのはアリなの? スイッチバックというのは列車として行ったり来たりするもの、という暗黙の了解があるような気がするもので(汗)。車両としての入換を含めてもスイッチバックと称してよいなら他にもありそうな気が・・・。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 初狩 2013/7/6 | トップページ | 中央線のスイッチバック停車場 その1 »

コメント

いつも興味深く拝見させております。

この記事で感じたことを書きたいと思います。

まず前提として、先行列車が駅(または信号所)に到着していないのに後続列車が駅に到着し、追い越すことは通常ありえないと思います。(複々線でもない限り)

例えば下り列車を初狩駅で最終的に上り1番線に入線させたい時に、

「東京方→第1折返線→第2折返線→上り1番線」
の全てを場内信号機の現示で(列車として)進入させた場合、
「下り列車初狩駅上り1番線到着」となり、
「東京方→第1折返線→第2折返線→上り1番線」と経由して上り1番線に到着して「初めて初狩駅に到着」となると思います。

それまでの間は、後続の下り列車を駅に到着又は通過させるのはおかしいということになってしまいます。(その間に東京方→名古屋方の列車を通すことが可能な時があるのにも関わらず)

その間は当該の列車が上り1番線に到着するまでは後続の下り列車を駅に進入させることができず、列車の本数の増加させる制約となってしまいます。


これを「東京方→第1折返線→第2折返線」
を場内信号機の現示で(列車として)進入させ、「第2折返線→上り1番線」の入換を行った場合、

「下り列車初狩駅第2折返線到着」となり、
第2折返線に到着した段階で「初狩駅に到着」となると思います。
そうなると、後続の下り列車を駅に進入させることができない時間がだいぶ減り、列車の本数を増やすことができます。
「第2折返線→上り1番線」の入換の部分は列車の間合いを見ながらゆっくり行えることができると思います。

そういうわけで、入換信号機に変更になったと推測します。

ちなみに、いっそのこと同様の理由で「第1折返線→第2折返線」の部分も場内信号機をやめて、入換信号機にしてしまった方がいいと私は思っています。


近年の初狩駅バラスト輸送の工臨ですが、
積み車の場合は東京方から単行機関車として運転され第1折返線→第2折返線に到着後
そのまま砕石線に移動してバラスト積載の
ホキ車と連結、第2折返線→上り1番線に
移動後に機回しをして上り1番線から東京方へ発車します。
従いましてホキ工臨運転の際はスイッチバックで入換えを行っています。
尚さらに興味深いのは当方が目撃した当時、
(2013年)機関車は甲府から回送されますが
上り本線から第2折返線へ入線せずに一旦
大月まで運転され改めて下り単行機関車として
初狩まで回送されてました。

前回の書き込み後に資料と画像が見つかったので訂正します。
バラスト輸送の工臨で積み車の場合ですが、機関車を
単行機関車で送りこむ場合、空ホキを牽いてきて
解放後に積みホキを連結する場合もあれば、
なぜか空ホキに積みホキを連結する場合と
いろいろパターンがあるみたいです。
又、第2折返線に到着後に機関車の入換え機関車表示及び
操車係員乗車して砕石線に移動。ホキ車と連結して
第2折返線→上り2番線又は3番線(未確認)に移動。
機回しをして東京方の引上げ線→上り1番線へ移動します。
上り1番線で機回しをしないのは信号制御(ATOS)の
関係でしょうか?。

本文記事と皆様のコメントを興味深く拝読させていただいております。

他サイトの他の方のコメント紹介で恐縮なのですが、

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=507597&id=66339638

のコメント2を読むと、

ATOS導入の前後に、

第1折返線 → 折返線

第2折返線 → 下り1番線

という変化があったようです。

ATOS導入の前に、配線のスリム化や使用頻度が低い進路の整理が行われたと聞いたことがありますが、2RDや2LS2の信号機が撤去されたのもそのためだったのでしょうか。

verdandiさん、はぐれ鉄非電化派さん、KASAさん、初狩駅はもはやスイッチバック駅としては扱われていないように感じますね。

こんにちは。
今日も興味深く拝見させて頂きました。
中央本線が単線だった時代には、今以上に山岳路線の趣を持っていたものと思います。線路の条件も悪かったでしょうし、今の高性能な電車とは違った乗り心地だっただろうと想像しています。
私が初狩駅に初めて降りたのは夜だったのですが、駅舎から広い構内を横切って渡る長い踏切が印象的でした。
往時にはここにたくさんの貨車が止まっていたのだろうと思えば、その頃の様子も見てみたかったと感じます。
今の音もなく走り去るような特急列車が、微かに車窓を光らせて流れていく傍で、静かな構内を眺めていたのを思い出します。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん、高尾を境に東と西とではがらりと雰囲気が違っていましたね。それにしても夜の初狩駅、さぞかし静かだったのでは。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/63465494

この記事へのトラックバック一覧です: 初狩配線図:

« 初狩 2013/7/6 | トップページ | 中央線のスイッチバック停車場 その1 »

過去の記事

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ