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2016年3月24日 (木)

韮崎駅のスイッチバック

韮崎駅のスイッチバック廃止については、たとえばwikipediaでは「複線化の際に廃止」と記されていますが、御代田駅の例もありますのでこれについて少し調べてみました。

具体的には1969年(昭和44年)11月の単線時代から、複線化が完成した1971年(昭和46年)5月までの間で、列車ダイヤと線路配線とを比較してみることにします。
ただし列車ダイヤと言いましても時刻表をもとに作成したものですので、旅客営業列車以外については情報がありません。また韮崎駅の場合は、通過列車の時刻は当然ですが停車列車についても到着時刻は掲載されていませんので、若干の推定が含まれています。

最初に時刻表1969年(昭和44年)11月号から作成した列車ダイヤです。

196911

この時点では韮崎を含む塩崎~日野春間は単線です。このため韮崎駅は行き違いに追い越し、これに韮崎折り返しのローカル電車が加わって結構活気があります。特に15時45分頃は上下の急行列車の行き違いと、それぞれに追い越される上下のローカル列車が重なって賑やかですね。

単線時代の韮崎駅の線路配線が紹介されている文献としては、鉄道ピクトリアル1986年(昭和61年)8月号、同1999年(平成11年)9月号、同2007年(平成19年)6月号、鉄道青春時代-中央線などがあり、それぞれで若干の違いはありますがおおむね以下のようであったと思われます。

1

まあスイッチバック駅としては一般的ですし、上のような列車ダイヤに対して矛盾しない線路配線かと思います。

次に時刻表1971年(昭和46年)5月号から作成した列車ダイヤです。

19715

1970年(昭和45年)9月に塩崎駅~新府信号場間が複線化されましたので、この時点では韮崎駅は複線区間の駅となっています。

貨物列車を無視して旅客列車のことだけを考えればこの時点での韮崎駅の配線は現在とそう変化はなく、以下のようであると思われます。

3

複線化によってホームは勾配上の本線部分に移設され、旅客列車同士の待避はできない配線になりました。列車ダイヤを見ても列車の追い越しは主に竜王駅で行われるようになって韮崎駅での追い越しはなくなっています。

最後に、上記2例の間の1971年(昭和46年)3月です。

19713

この時点では前述の通り韮崎駅は複線区間の駅となっており、線路配線から見れば旅客列車同士の追い越しはできなくなっているハズです。確かに1969年(昭和44年)11月時点と比べると列車の追い越しは減っているのですが、なんと10時頃に421列車が1Mに追い抜かれるダイヤになっているんです。ってことは、複線化は完成したものの韮崎駅のスイッチバックはまだ健在ということになります。

この頃の韮崎駅の線路配線を探していたところ鉄道ピクトリアル1971年(昭和46年)5月号に以下の記載がありました。

2

少し簡略化して書かれている図ですので怪しいところもあるのですが、これをそのまま信じるとすれば、この時代の韮崎駅はスイッチバック時代のホームと本線上に設けられた新しいホームが併用されていたことになります。
従って先の421列車の場合はおそらくスイッチバック時代のホームに発着していたのではないかと思うんです(東京寄りの待避線で1Mをやり過ごした後に本線上のホームに進入する、ということも考えられますが、可能性としては低いかも)。
また韮崎駅のスイッチバック時代のホームがまだ現役であったとしたら、韮崎駅で待避をしない441列車や443列車がどちらのホームを使用していたのかも気になりますね。
なお韮崎駅での貨物取り扱いは1972年(昭和47年)2月1日まで行われていますので、貨物列車のスイッチバック運転はこの時までは続いたものと思われます。

以上より、韮崎駅のスイッチバックについては、
①1970年(昭和45年)9月
・複線化及び本線上のホーム設置工事完了
②1970年(昭和45年)10月1日
・ダイヤ改正により基本的に旅客列車のスイッチバック運転を解消
・但し一部旅客列車はスイッチバック運転を継続、旧ホームは残存
③1971年4月26日
・ダイヤ改正により旅客列車のスイッチバック運転全廃、旧ホームは廃止
・但し貨物扱いは継続のため、スイッチバック構造は残存
④1972年(昭和47年)2月1日
・貨物営業廃止によりスイッチバック完全廃止
といった歴史になるのではないかと想像しています。

まあ、あくまで想像ですので、お詳しい方がいらっしゃいましたら教えていただきたく思います。

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コメント

ネットを漁ると併用時代の旅行記(韮崎で特急退避の写真あり)が出てきますよ。韮崎のスイッチバックといえば、複線化よりも前に東京方の中線を整備してスイッチバックの折返線として使用していたことも興味深いですね。
蛇足ながら、雑誌などで新府のスイッチバック廃止がS45.9との記事を見かけますが、これも誤りです(当時の停車場平面略図による)。

昭和46年3月現在の線路図を、拙ブログの写真アルバムの方に載せましたので、もしよろしければどうぞ。記事はありません。

http://blog-imgs-90.fc2.com/s/e/n/senrozu/nirasaki197103.jpg

いつも楽しく拝見しております。
機関車けん引だと25‰の下り本線から発車するのは厳しいでしょうから、スイッチバックの設備は客車列車の廃止まで必要だったと想像します。ネットの情報では客車鈍行の廃止が1975年3月で、その後も客車の臨時急行が韮崎に停車していたようです。客下本~待避線を使っていたと思いますが、下本~待避線のスイッチバックが可能だったら客車線は不要になりますね。KASAさんご提供の線路図にある、4LBの存在が気になります。

Wさん、本線上のホームとスイッチバック線のホームの併用というのは珍しい事例ですよね。
KASAさん、貴重な資料ありがとうございます。拝見して気づいた点をまとめて記事にさせて下さい(汗)。
最寄は首里駅さん、1973年に客車鈍行で韮崎駅を通った時は、普通に本線上のホームに停車していました。EF13とEF64の差もあるかもしれませんね。

 作者と表題を忘れましたが、トラベルものの短編で、甲府から少し下った某駅近くで発生した殺人事件、と言うストリーリーのものがありました。
 ネタバレしますと、犯人はその某駅、「韮岡駅」に停車する下り急行が入駅のため一旦停止するタイミングで車内にもぐり込む、という手法でアリバイ作りをしていました。新宿から下りアルプスに乗車した、と見せかけて、直前に出る松本行きあずさに飛び乗って甲府に向っています。・・・しかし、甲府からタクシーで犯行現場に向かっている辺りでもうアウトという気もしますが。
 が、その小説に添えられた図では、「韮岡」駅に停車する急行は、下り方に向かって上り勾配となっている本線上で一旦停車し、後退して入構することになっており、韮崎とは逆になっていて、どちらかというと改良前の岩波駅のように感じました。
 まあ、あずさ運行開始から5~6年位はアルプスはECだけで無くDCも使用していたのは確かですが、折り返しで一旦停車した時に「どうやって車内にもぐり込む」かが説明出来ていない、という致命的な問題のある作品でした。・・・あずさ設定後、客レの急行が特急の前後に残っていれば、それでも通ったかも知れませんが。

bad.Ⅳh-95さん、アリバイ崩しに行き詰った敏腕刑事さんが「よし、アルプスに実際に乗ってみよう!」とか何とか言って一旦停車を発見したんでしょうね、きっと(笑)。

 刑事さんがスイッチバックに気がついたのは、夕方、甲府に戻る上り列車に乗ろうとして、改札を抜けて跨線橋を登っていった時です。
 丁度行き違うことになっていた下り列車がホームの脇を通り過ぎてから(本線上で?)停止するのを跨線橋の窓から目撃しています。
 ありがちですが、ちょっと鉄道の運転に関する知識がある、程度の作家さんでは仕方ないでしょうね。
 DC/EC混用時代でも、急行アルプスの扉は自動ドアになっていて、停止位置目標付近で車内に入る方法は、とてもではありませんが、思いつきません。

bad.Ⅳh-95さん、きっとスイッチバックをどうしてもトリックに使いたかったんでしょうね、無理を承知で(笑)。

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