新潟駅付近の空中写真 その2
新潟駅付近の昔の空中写真、今回は新潟操車場の転車台と新潟駅の転車台について。
1.新潟操車場の転車台
最初に1947年(昭和22年)10月撮影。
・この時点では白新線も新潟操車場も越後石山~新潟操車場間の貨物線も未開業です。
続いて1962年(昭和37年)5月撮影。
・白新線が開通し、さらに新潟操車場が開設された後の姿です。
・西側に転車台が設けられていますが、東新潟機関区はまだ未開設ですので、転車台の近くに見える建屋は機関区ではなく貨車区の検修庫ではないかと思われます。
続いて1965年(昭和40年)10月撮影。
・1965年(昭和40年)3月に東新潟機関区が設けられましたが、その位置は転車台とはかなり離れたところですね。東新潟機関区には蒸気機関車も配置されていたかと思うのですが、機関区検修庫と転車台とを行ったり来たりしていたのでしょうか。
続いて1975年(昭和50年)11月撮影。
・まだ転車台は残っていますが、使われていたかどうかは不明です。
最後に1981年(昭和56年)7月撮影。
・転車台は撤去されてしまいました。
いずれ近い将来機関区が設置されるということはわかっていたでしょうから、なんで転車台を機関区から離れた位置に設けたのか、ナゾですね。間もなく蒸気機関車がなくなることも想定していたからなんでしょうか。
2.新潟駅の転車台
最初に1948年(昭和23年)5月撮影。
・この時点では新潟駅はまだ旧駅での営業で、また関屋~旧新潟駅間には貨物専用の支線が開通している状態です。
・ですので新新潟駅での営業はまだ行われていないのですが、見たところ車両基地部分はすでに使用開始されているように思え、南側には転車台も確認できます。
・旧新潟駅の白山寄りにも転車台がありますね。
続いて1952年(昭和27年)10月撮影。
・万代までの貨物支線が開業し、また関屋~旧新潟駅間での旅客営業も開始された頃です。
・写真の一番下ギリギリに転車台が見えますが、1948年の写真の位置とは違いますね。残念ながらこの写真からは1948年の写真に写っている南側の転車台がどうなっているのかはわかりませんが。
続いて1962年(昭和37年)5月撮影。
・1958年(昭和33年)に新潟駅は移転したのですが、この時点では早くも旧駅の痕跡はほとんどなくなってしまっています。
・1948年の写真で確認できた南側の転車台はなくなっており、1952年の写真に写っている転車台のみが確認できます。おそらく1948年から1952年の間に南側から白山寄りに移設されたのではないかと思うのですが。
続いて1965年(昭和40年)10月撮影。
・白山寄りの転車台の姿が見えません。移設されてからそう長い時間が経っているわけではないのですが。新潟運転所の発足(1963年(昭和38年)7月)に関係するのでしょうか。
続いて1975年(昭和50年)11月撮影。
・おっと、転車台を発見しました。新潟駅から1km位白山寄りの位置です。1965年の写真ではちょっと不鮮明ですが、そういう目で見れば転車台があるようにも見えますね。
続いて1981年(昭和56年)7月撮影。
・なんとまたまた転写台が移動していますね。新潟駅からさらに500mほど遠ざかっています。今度は新幹線工事の関係でしょうか。
最後に2009年(平成21年)4月撮影。
・それらしい姿が確認できます。使用できる状態なのかどうかはわかりませんが。
その後在来線新潟駅の高架化工事に伴いとうとう撤去されてしまいました。少なくとも2012年(平成24年)9月の時点ではなくなっています。
以上のように、新潟駅の転車台は旧駅から数えると何と4回も移転したことになりますね。これだけ転々とした転車台も珍しいのではないでしょうか。
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165系電車が配置され始めたS38年頃は、新潟機関区を廃止し電車運転所として転換していた途中でした。SLは新津や東新潟へ移り、給炭設備は廃止されました。ただ転車台は、SL折り返し転向用に、天神尾の引上線端に移設しました。しかし、S39年6月の新潟地震で構内は液状化現象が起き、復旧までに時間を要しました。この前後2,3年は、変化が激しかったですね。
投稿: 急行天の川 | 2016年12月 1日 (木) 14時08分
急行天の川さん、駅の移転や電化完成は新潟駅にとって大きなエポックだったんでしょうね。今度は高架化で大きく変化しそうです。
投稿: f54560zg | 2016年12月 4日 (日) 20時52分