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2015年4月25日 (土)

東京~上野間配線図 その7

東京~上野間の線路配線の変遷、今回が最終回です。
まずは1986年(昭和61年)3月です。

198603

・東京駅~神田駅間のみです、スミマセン。
・前回の記事の通り、回送線が分断された後の状態です。
・上野駅付近の電留線群とは対照的に、機回しを考慮した引上線になっています。

最後に1993年(平成5年)3月です。

199303

・こちらは秋葉原駅~上野駅間のみです。
・前回記事の1984年(昭和59年)3月とは電留線が微妙に違っていますね。

以上のような経過で1983年(昭和58年)にはいったん消滅した東京駅~上野駅間の列車線が今年32年ぶりに復活したわけですが、消滅以前は一貫して「回送線」と線路図には記載されていました。その名からは営業路線というよりは事業用路線として位置づけられていたような印象を受けますし、実際もそれに近いような使われ方であったように感じられ、ちょっともったいなかった気がしますね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

秋葉原付近電留線は、新幹線東京延伸までは旧荷物ホームをそのまま(?)使用していましたが、新幹線東京延伸の際に、旧荷物ホームが取り壊され、今の位置(新幹線トンネルの出口)に変わったと記憶しています。
もう20年以上前の話なのですね…

すみません、脱字がありました。

×今の位置(新幹線トンネルの出口)
 ↓
○今の位置(新幹線トンネルの出口の上部)

です。

 事業用路線とは云え蒸気時代の常磐線長距離通勤列車には東京駅迄直通していた列車が存在しておりました 当然C62牽引の列車でした東京迄は旅客扱い其の侭品川迄回送夕方再び下りの東京発直通通勤列車として戻っておりました 都心のビル群の間を堂々と通過するC62回送列車 
ネコパブリシンク国鉄時代のおまけDVDに映像が有りました 
 山手京浜分離直前一時的に常磐線通勤電車が新橋迄直通(回送線では有りませんが)運転
上越線特急トキ東京発着運用 東北方面急行電車 湘南日光号 熱海高崎間直通普通電車 田端操車場発品川方面行貨物列車 夏冬の臨時列車等以外に多彩な列車が此の線を通過しておりました 

名無し信通区さん、そうなんですよね、個人的にはついこの間のような感覚なのですが・・・。
yyoshikawaさん、本数的にはさほどでもありませんでしたが、種類としてはバラエティに富んだ列車が走りましたね。

 追記 後尾久所属客車を修理の為大船工場への入出場回送 荷物専用列車等も有りましたねえ

「江戸=東京から」では、


昔は
松尾芭蕉さん の
「奥の細道」があり、

今は、
JR東日本さん の
「尾久の鉄道(てつみち)」で。

「おく(おぐ)」つながり で。

名無しさん、風流ですね(笑)。

1970年代の事夕方熱海発高崎行きの普通列車が存在してました 今の上野東京ラインの先祖見たいな列車でした 高鉄の115系が運用に付いており4輌編成3本繋いだ12輌総貫通編成でした編成中間部の運転台は左に畳まれ車掌台はオープン立ち席状態でした
会社の帰りに時々利用してましたが中間部の車掌台のたたまれて居る仕切り扉を悪戯して開き個室状態にして楽しんだ事が有りました
この列車は東京迄来て暫く時間調整後連絡線を通り上野へ向かってゆきました もう40年以上前の話しです

yyoshikawaさん、そうですね、そんな列車ありましたね、まだ東北回送線が現役だった頃。常磐線~東海道線の臨時急行もあったかと。

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