« 熊ノ平配線図 | トップページ | 碓氷峠列車ダイヤ(アプト廃止前後) »

2014年8月31日 (日)

矢ケ崎信号場配線図

前回、前々回と同じ趣旨で今回は矢ケ崎信号場です。

同様に過去の鉄道趣味誌に掲載されている写真や図面、ネット上の画像や動画等を頼りに熊ノ平駅の線路配線の変化を調べてみました。一部推測となる部分がありますことをご了承下さい。

参考にさせていただいた過去の鉄道趣味誌は以下の通りです。

①鉄道ピクトリアル1960年7月号
②鉄道ピクトリアル1963年8月号
③鉄道ピクトリアル1963年12月号
④鉄道ピクトリアル1988年4月号
⑤鉄道ピクトリアル1993年1月号
⑥鉄道ピクトリアル1997年8月号
⑦鉄道ピクトリアル2009年1月号
⑧鉄道ファン1996年12月号
⑨鉄道ファン1997年9月号
⑩鉄道ファン1997年10月号
⑪鉄道ファン1997年11月号
⑫鉄道ファン1997年12月号
⑬鉄道ジャーナル1968年8月号
⑭RM LIBRARY 39
⑮RM LIBRARY 40
⑯RM LIBRARY 147
⑰RM LIBRARY 148
⑱RM LIBRARY 149
⑲RM POCKET 17

矢ケ崎信号場~軽井沢駅間の複線化時期については、横川駅~丸山信号場間と同様とりあえず路線開業から8年後の1901(M34)/7が最有力と考えており、矢ケ崎信号場の開設もこれと同時と思っています。

矢ケ崎信号場の場合は丸山信号場や熊ノ平駅と違って参考となる写真が少なく、不明な点が多々あります(汗)。

1.明治後期~大正初期の頃
1)④のP33に掲載の写真
2)⑩のP81に掲載の写真
からは以下のような様子であることがわかります。

1r_3

・上り線の延長となる側線は変電所の脇に伸びており、丸山信号場と同様に変電所に何らかの関係がある側線なのか、それとも単なる安全側線なのか、何とも微妙です。
・変電所とは反対側(南側)には側線上に止められたタンク車が確認できます。パイプラインの軽井沢側の基地のようですが、側線は軽井沢駅から伸びてきているようで矢ケ崎信号場とは線路配線上の関係はなさそうです。

2.昭和の頃
1)⑲のP186に掲載の配線図
2)⑪のP90に掲載の1955(S30)/12撮影の写真
からは以下のような様子であることがわかります。

2r

・丸山信号場と同様、場内信号機・出発信号機の両方が設けられている点にちょっと違和感を感じます。
・下りの場内信号機のみ単灯の色灯式になっているのはなぜでしょうか。
・ちなみに下りの通過信号機の背板は長方形ではなく円形です。

3.アプト・粘着単線並列の頃
1)http://6.fan-site.net/~haasan55/Abtusui.htmの最後のほうに掲げられている1963(S38)夏撮影の写真
からは以下のような様子であることがわかります。

3r

・赤線部が粘着新線ですが、写真からは若干判断が難しく、推定です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 熊ノ平配線図 | トップページ | 碓氷峠列車ダイヤ(アプト廃止前後) »

コメント

 たまたま見つけました。矢ケ崎関連の古い絵葉書です。 
 http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c437528824
 (スクロールすると画像が見られます)締め切られたオークション品ですので、リンク切れになるかもしれません。
 1946年の空中写真でもそうですが、軽井沢方の上り線と接続する(直進)経路です。南に迂回して軽井沢方の下り線に接続するようになったのは、1955年(昭和30年)12月の縦曲線改良の際に営業線を止めないで短時間に切り替える方法をとったためではないかと。
(ググテツ)

ググテツさん、直進なのが下りなのか上りなのかはよくわからないところが多いのですが、少なくとも記事に記載した
>1)④のP33に掲載の写真
は、
・電化後(1912以降)
・パイプライン廃止前(1914以前)
なのですが、下り側が直進になっているのがはっきりわかるんですよね。ですので何度か線路の移動が行われているようです。

>何度か線路の移動が
 そうですよね。考えてみれば矢ケ崎の軽井沢方は平地ですから、配線変更の制約は少ないですよね。1946年の空中写真 
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1171325&isDetail=true
でも、トンネルから直進して小さな川(矢ヶ崎川)を渡るところで、北側に線路があったような跡が見えますし、3.で紹介して下さった 1963(S38)夏撮影の写真 でも北側に線路(アプト撤去に備えた新線仮線?)を敷こうとしていますものね。パイプライン線があった時代なら、北側に上り線、中央直進が下り線、南側にパイプライン線というのが自然ですね。
 アプトの最後がトンネル出口でS字に曲げられた 
http://www.youtube.com/watch?v=G21xjvX240s
(12分40秒前後)のを見て、ついつい真っ直ぐにしてあげたくなってしまいました。単線のころは文句なしに真っ直ぐだったんでしょうね。
(ググテツ)

ググテツさん、縦曲線改良以外には線路の移動が行われた経緯はわからないのですが、アプト特有の理由があったのでしょうか。結果としては不自然な線形になってしまっていますね。

丸山やここの変電所前の側線は、変電所で使用する器材を運び込むための線路じゃないでしょうか。電化開業時のこれら変電所は、列車通過時に急激に増大する消費電流に対応するため鉛蓄電池を設置していたそうです。
大電流ゆえ電池の劣化も早そうですから、定期的に交換の必要があったことは想像に固くありません。
そして時代が時代ですので、重量物をたくさん運ぶとなると当然貨車で…となったのではないでしょうか。

名無し信通区さん、私も変電所関係の側線ではないかと思うのですが。ただしそれにしても丸山の側線の配線を見ると、「どうやって使うの?」という感じがします(笑)。

>変電所関係の側線
 こんな写真がありました。変電所前の側線に起重車と機材貨車です。
http://www.sekitechnologies.com/blog2009/0901110127.html
変電所完成直前か、定期的な機材交換か。ページを作成された方は丸山変電所とされていますが、本線にラックレールの見えることから、矢ケ崎変電所と思われます。
 この写真を見て、前にアプト撤去に備えた新線仮線かと思った側線群が、実は変電所機材撤去のためのもののように思えてきました。
(ググテツ)

ググテツさん、もしそうであれば丸山にも?

>丸山にも?
 残念ながら、丸山のほうに機材撤去側線らしき写真は見当たりません。丸山変電所前は1975年の空中写真でも、架線トラスが広々としていて、その下に何かがあったのかな、という匂いはしています。が、新旧併用時の安全側線撤去のあと、トラスを短縮して柱を建て直す経費を惜しんだだけのことかもしれません。
 私的妄想でよろしければ、新線単線運転時になってから変電所ホームの側線(水平)を復活し、高さの合うところで本線上り線(25パーミル)への渡り線を設置し、スイッチバック構造(丸山信号場配線図の ※2 の再現)とすることによって機材撤去が可能だろうと思います。入換機関車を留置しておく余裕がなければ、本線ダイヤの合間に空車を側線に押し込んでは横川に帰り、積載車を牽引しては横川に帰りという手間がかかりますが、側道(保線通路)伝いに小型トラックで重量物を運ぶよりはましであろうかと。
 なお、丸山変電所は傾斜地に建てられたため、北棟(機械室)と南棟(蓄電池室)の敷地面が異なります。ホーム上面はそのまま北棟の敷地面になっているはずです(ググテツ)

ググテツさん、
>1975年の空中写真の架線トラス
すごいですね、そこまで目を凝らすとは(汗)
>機材撤去
事業用とはいえ、さながら貨物取扱駅のようですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/60219641

この記事へのトラックバック一覧です: 矢ケ崎信号場配線図:

« 熊ノ平配線図 | トップページ | 碓氷峠列車ダイヤ(アプト廃止前後) »

過去の記事

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ