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2014年7月12日 (土)

屋代 1978/12/27 その2

1978年(昭和53年)の屋代駅の様子は過去に記事にしていますが、その時に公開していなかった写真がありますので改めてご紹介します(似たような写真ばかりですが(汗))。
撮影日は特記以外はすべて1978年(昭和53年)12月27日です。

19781227

19781227d01
・上りホームから高崎方を望みます。

19781227d02
・下りホームです。

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・貨物1・2番線です。

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・直江津方です。

19781227d05
・社1番線にはED5102が、社3番線には長野電鉄の電車が止まっています。

19781227d06
・ED5102は長野電鉄の貨物営業廃止により相棒のED5101とともに翌年越後交通に譲渡され、越後交通のED511・512を駆逐することになります。ところがこの越後交通のED511・ED512も実は元長野電鉄の車両であり、ED5101・5102の転入により長野電鉄から追い出された経歴があります。ED511・512にしてみれば、このED5101・5102は何ともうらめしい車両ってことですね。

19781227d07
・長野電鉄のホームに移動します。社2番線の高崎方です。

19781227d08
・社3番線で、長野電鉄の着発線です。番線表示では6番線ですが、のりば名称は5番のりばです。

19781227d09
・直江津・須坂方です。

19781227d10
・駅本屋です。

19770811b01
・この1枚のみ1977年(昭和52年)8月11日撮影です。左は333M直江津行き、真ん中は332M小諸行き、右は5372列車で、この時点では2番のりばが上り本線のようですね。1978年(昭和53年)9月に屋代~篠ノ井間の複線化が完成していますので、この時に3番のりばが上り本線に変更されたのではないかと思います。

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コメント

写真で紙芝居を見ているようで、いつも見ていて楽しいです。最後の写真、電機も含めてスカスカスカ状態ですね(笑)

お久しぶりです。

お久しぶりです。屋代は90年代後半に仕事で通っておりました。昭和50年台の様子を見ることが出来て感激しております。最後のカラーの70系、旧国に一時ハマったことがあるので、これも見逃せません。でも、なんといっても一枚目に写っている置き去り状態?の移動機に目が釘付けになりました。

オーイナル野焼きさん、同じように見える70系電車ですが、よくよく見るといろいろ違いがありますね。
kaujinさん、ご無沙汰しています。
やはり目の付け所が違いますね(笑)。

信越線の列車が、かつて河東線に直通していたことがあったと聞いて、どうやって乗り入れたのかと思っていましたが、松代・篠ノ井方に乗り入れ用の渡り線があったのが良く解りました。

松代の猫さん、個人的にはついこの間まで「志賀」が運転されていた感覚なのですが、渡り線はおろか河東線自体がなくなってしまうとは・・・。

河東線と篠ノ井線が同じ駅で乗り換えられれば少しは違ったんじゃないかと思います。
私は松本から松代へ行くことがありましたが、河東線だと本数がない上に篠ノ井と屋代で計2回の乗り換えになるのに対し、川中島バスだと長野で一回乗り換えで済むので、バスを使うことが多かったですね。
河東線が篠ノ井に接続するには千曲川を渡らねばならず、また篠ノ井線が屋代に接続しようとすれば大変な急坂となってしまいます。
碓氷峠同様、地形的に災難でしたね。

松代猫さん、そうですね、松本方面からの利用客が取り込めていればもっと活躍できていたでしょうね。

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