« 三河三谷 2014/5/1 | トップページ | 蒲郡配線図 »

2014年5月29日 (木)

大井町配線図

大井町駅に関するコメントが賑やかになっておりますので、あまりお役には立たないかとは思いますが大井町駅の配線図を少々。

基本的に棒線駅は興味の対象外としているため、申し訳ありませんがご紹介できるものはわずかです。yyoshikawaさんのコメント「唯の棒線駅でも其れなりのドラマが有りますね」、まさにおっしゃる通りで・・・(汗)。

まずは1935年(昭和10年)3月。品川駅の配線図をご紹介したときにその片隅に小さく入り込んでいたものを拡大しました。

193503
・大井工場から伸びてきた線路が京浜東北線に繋がっています。
・また、Y字型の引上線も設けられています。

続いて1951年(昭和26年)8月。

195108

・大井工場側から線路は伸びてきているのですが、京浜東北線とは分断されてしまっています。逆に、「運転上大井町駅とは何の関係もないこの線路が何で描かれているの?」という気になってしまいますね。
・引上線はなくなり、代わって渡り線が設けられています。

最後に1967年(昭和42年)3月。

196703
・渡り線だけが残りました。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 三河三谷 2014/5/1 | トップページ | 蒲郡配線図 »

コメント

f54560zg様、コメントのみならずこのような配慮までをして頂きまして、大井町にゆかりある者と致しまして、改めましてお礼を申し上げます。
ご指摘の通り、接続が切られて併走しているのみとなったはずの試運転線の記載をそのまま放置なのは不思議なことなのですが、私を含め、ここに集われる方なら、この蛇足こそ大いに徳とするところではないでしょうか?(大げさですが)
…では改めまして、これも大崎でコメントしたことと繋がる話の続きをさせてください。
東急大井町線からの接続乗客が増加の一方をたどる現在においても、JR大井町駅のホーム有効面積自体は小さいままです。その中で、余分な占拠物が少なく最もホーム有効長を確保していると思われるのは、大森寄り中央階段から南方のスペースです。このスペースこそ有効に活用して然るべきところなのですが、東急接続口からは対極に位置する立地?の悪さと、記載の略図では単純な矩形であっても、実際は大森方向に向かって急激に先細に絞られた特異なホームの形状のせいもあって、結局のところ実質的な有効面積は制限されたものになっています。

それでもyyoshikawa様のコメントにもありました、北行線大森寄りの脇にあったとされる荷物授受スペース跡を利し、ここに北行線を移し、ホームを広げ先細状態を改善を図れれば、何かしら有効な手立ても打てたと思うのです。
なのにこのわずかなスペースもさえも、(構造上の必要があっての事なのかもしれませんが)駅ビルが無理やり蚕食しています。
実際連日ラッシュにまみれる一利用客としてもやりきれない思いが残ります。

 オーイナル野焼きさんの申す通り大井町駅の大森寄りはホーム幅が狭くなっております京浜東北線10連化の折なぜ品川側にホームを伸ばさなかったのか用地は有るのにと思うのですが

 ハマちゃんのがらくた箱と云うサイトを覗いていましたら 面白い話が有りました 明治39年6月鐵道作業局と日本鐵道との間で横浜日光間直通旅客列車運行計画会議が設けられ運行する事になり大井信号所と大崎との間の短絡線を使い運転したそうです 軍用列車と貨物列車以外の利用が有ったそうです

 大井町駅で東急大井町線が接続しておりますが大井町線開通から1957年迄は連絡通路が無く改札を出て駅前広場を横断して乗り換えねばなりませんでした1956年に駅北側に連絡跨線橋が完成して漸く直接乗り換えが出来る様になりました 
 似たような事が大井町線と池上線の乗り換え駅旗の台駅も以前は別々の大井町線が東洗足池上線が旗が岡であった 武蔵溝の口も改良前改良後も可也の間連絡通路が有りませんでした
 都会では地下鉄化地下新線等により利用者無視の乗り換え駅が此れからもどんどん増えるでしょう

 戦前の鉄道関係の雑誌【鐡道】のグラビア特集に大井町駅ホームで撮影されたEF50が引く下り東海道本線旅客列車が掲載されてました 機関車もですが其の写真から当時の回りの風景も垣間見る事が出来ます 当時目蒲電鐡大井町線大井町駅は鐡道省大井町駅とは直接乗り換え出来ない
 当時大井町線側駅舎は 現都道26号線の手前側に有りホームとは上り階段と跨線橋で結ばれてました更に大井町線側口と海側口の二つ出入り口設置してました アトレービルが出来る以前本駅舎は山側のみで駅裏の海側には出入り口は無かったので大井町線側駅舎は海側への唯一の出入り口でも有ったのです 1958年大井町線と直接連絡出来る様に現在位置に移動しました 移設前の跨線橋の跡は現在もコンクリート土台部が道路橋の脇に残ってます 唯上記のEF50の写真には中線や短絡線は丁度跨線橋階段に隠れて判読出来ません 唯今のホーム長よりは短かいでしょうから品川側に其処々々の長さ中線だつたと思います 大井町駅駅舎はアトレーになる以前は地下連絡通路でホームと結ばれてました配線図では地下道なのか跨線橋なのか判断できませんね 以上

 暇人通信 棒線駅の話題を一ッ 東海道本線が東京駅を出て遥々神戸迄行く?間に初めて遭遇する踏切は 大井町駅大森寄りの品川道踏切です 言わずと知れた開かずの踏切です 以前は自動車も通っていましたが今は池上通り陸橋が出来自動車は通行止めになり人と自転車専用になりましたが運良く開いても複々線の踏切を渡るのは必死の覚悟が必要ですね

yyoshikawaさん、お年寄りにはあまり優しくない踏切ですね。

 今年12月20日に目出度く大井町は開業100年を向かえます其れ以前信号場としては一時期存在していた事は有りましたが制式な駅としては此の日が開業日です唯の棒線駅も100年の歴史を重ねると其れなりの重みが有ります 12月20日其れは大井町ばかりでなく東京駅開業京浜線開業の日ですと云うか本来は東京駅開業京浜線開業大井町開業が順序でしょうが敢て地元愛から大井町100年を述べました

大井町駅の前身、軍用連絡線分岐の接続点であった大井聯絡所の配線図が見たいものです。
のちの大井工場試験線の分岐箇所(煉瓦建造物付近)は、大井工場設置に合わせて東京寄りに移設されたものですので、本来は大井町駅付近に分岐点が存在していました。
とあるサイトの情報で、当時の信號聯働器なるレバーの数は確認できるのですが(^-^;

 明治31年 5月
 大井村(大井聯絡所?→大井町)
  10本

これだけでは概容はわかりませんね( ´・ω・`)

オーイナル野焼きさん、ものすごいピンポイント的な情報ですね(笑)。

 毎度大井町コメント 廃線図のコメントから少し外れますが 東京駅地下横総線駅湧水が問題になり下水に流すのには湧出量が多すぎて下水道代金が半端でない額の為対策」として川へ流す計画が図られた一番近いのは日本橋川で有るが何故か大井町駅の側を流れておる立会川(暗渠)へ流す事になり導水管を線路沿いに敷設しました東京駅から品川辺り迄は此の導水管確認出来ませんが八ッ山陸橋下辺りからは線路沿いに青色の太い鉄管が現れ大井町の先迄続き線路から外れて立会川が暗渠から出た所で放水しております此れのおかげでドブ川であった立会川が清流に替り鯔の稚魚が遡上する様になりました環境改善に一役かっておる地下湧水です

上記のコメントで漢字の間違えが有りました廃線で無く配線でした申し訳有りません 12月20日東京駅と大井町駅其れと京浜線が其々100年を向かえます 当初京浜線は路盤や道床が固まらぬ前に急いで運行始めた関係で初日に各所でトラブて運転出来なくなると云うアクシデントがあった事は有名です 初めて1200Vのパンタ集電の採用東京品川間コンパウンドカテナリ‐等初物ずくしでした
 大井町は開業後品川区内では五反田と並ぶ繁華街となりました

 遥か昔大井工場の西側に鉄道技術研究所の蒸気機関車試験用ダイナモメーター建屋が有りました 鉄道技術研究所が国立に移る以前は汐留海側や大井工場に設備が存在してました 
 此の頃大井工場の建屋は新橋工場時代からの煉瓦建屋が殆どの頃 今でも有る御料車庫に近い所でした ダイナモメーター建屋のみ鉄筋コンクリート製で目立つていました高い煙突が建屋に沿って立ておりました 唯私の知る限り当時使用されておる様子は殆ど無かった 時代が蒸気機関車から電気機関車内燃機関車に移行の時代最早無用の設備であったのでした
 位置的には今の臨海線地下変電所入口及び分別ゴミ集積所テニスコート等が有る辺りでした
 此の辺りは台地を削った崖に区役所通りと少し高い位置にもう一つ道が有り其方からは大井工場が良く見えるビューポイントです

yyoshikawaさん、
>蒸気機関車試験用ダイナモメーター建屋
いったいどんな試験が行われていたんでしょうか。

書店で湘南色、スカ色両電車を特集した本がありましたので、電車区設置以前の大井町駅近辺から撮影したものはないものかと探したところ、狙い通り、例の試運転線が映り込んだショットがありました。一枚は終端の車止め部分と京浜線の渡り線、もう一枚は煉瓦建造物脇の分岐器(東京方の変電所付近まで続く)と試運転線用の架線柱が確認できます。

オーイナル野焼きさん、よく見つけられましたね。執念ですね。

 RMライブラリー最新刊第193号国鉄工場めぐり(中)
に大井工場が紹介されて居り昭和7年(1932年)版の大井工場配線図が掲載されております
 此の図版で既に大崎大井町間の短絡線は廃止され元々の短絡線跡は大井工場試運転線に転用され京浜東北線の際迄其の儘伸びて来て大井町駅直前でブッリと途切れ京浜東北線との渡り線等は撤去された様です 大井工場と試運転線に囲まれた所は鐵道官舎が建てられていました以前は線路際に道が有り普通に一般人でも通れました 後日品川電車区が出来ると此処の官舎は東京急行大井町線沿いに高層アパートに移された(現在建て直しの為無人になりました)二棟有った御料車庫の間に一本側線が有り末端にターンテーブルが存在しております 此の時代は殆どの工場建屋は煉瓦造りで新橋工場を思わせます戦後可也後迄此の姿でした 1965年以後品川電車区建設官舎移転品川区役所建設等に伴い建屋建て直し煉瓦造りの建屋は御料車東庫のみに成り今日になりました
 区役所が建てられる以前御料車庫の脇には廃車直前の車両等を押し込んでいた 戦前には保存用に日本初のテンダー機5000 碓氷のアブト式機関車 最初期の有蓋車等押し込んでいたが戦争中鉄材供出の為に解体されてしまわれました 
 大井工場内に購買部が有り本来は職員及び家族が利用するのが原則でしたが一般の人も内緒で買い物に来て居りました多少他より価格が安いので私もよく母親に連れられて行きました 今と違い割とオープンだったのです 大井工場と云えば良く話題になる1954年のECAFE鉄道展の折は一般人も見学出来私も父親に連れられて見に行きEF58の運転台に入り運転席に座らされ写真に撮られました 当時の記憶は殆ど無いのですが煉瓦建屋内のD52だけは記憶に有ります 

yyoshikawaさん、EF58の運転台のすわり心地はいかがだったのでしょうか。yyoshikawaさんの鉄道好きはお父様の影響かな?(笑)。

 配線図の話しから逸れますが 大井町にモノレールが開通しました・・・・
と云うと驚きの話しですが残念乍工事用のモノレールです 大井町の品川よりの崖(桜の並木のある所)に最近気付いたのですが崖の中間辺りに何やら変な華奢な柵見たいのが作られていました
今日車窓から見ていたら崖が終わる辺りの柵見たいな構造物に小型の内燃エンジン付きの工事用モノレールが乗っていました みかん畑等に有るやつでした どうやら崖部分の工事する為に敷設した様です崖の上は道が通っておりますが道幅が狭い為工事用車両等進入出来ません品川寄りは階段と云う状件の悪い場所ですのでモノレールで対応した様です35年位前だと多分トロッコ等使用したでしょう(日暮里駅の東北新幹線工事の折ナベトロを使用してました工事用で見たのは最後でした)技術革新はこんな所にも現れているのです
明日写真撮影に行く予定です

yyoshikawa様、私もモノレール!の存在を確認いたしました。
その軌道際に櫓みたいなものを仮設してボーリング調査をしているような感じで、その櫓も最初の位置から場所を変えながらの作業にも思えます。
地震対策でしょうか?

 今日昼過ぎモノレール探索に行きました 崖上の道から金網越しに見る事が出来ます 20~30φ鉄パイプ橋脚に50~60□の桁を渡し桁の上面に波板を張り付けラックの替りにしており 急な勾配に対応 路線長は約300m 品川寄りの台地末端辺りに簡単なテントを張り資材置き場にして使は無い時モノレール車両は其処に留置してます
 車輛は二編成有り 牽引用機関車とフラットカー一両連結して居り 前の編成にディーゼル発電機若しくはディーゼルポンプと大なポリタンクを積んでます後ろの編成は牽引機関車と空のフラットカーを連結 日曜日でしたので工事はされて無いので機関車はビ二ールを被せていたので見る事が出来ませんでした 車両を留置しておる場所は道と同じレベルですので間近で見物できます
 他の場所は急勾配と急曲線が続き遊園地のジェットコースター見たいです 平日に今一度見に行く予定です

 モノレール話し続き 今朝再び現地へ行くと丁度作業員が居たので伺うと地質調査のボウリング作業の為に敷設したとの話し2週間位前から調査して来て今の所の調査で終了との話し来週頃撤去との話しでした ポリタンクを積んだ方のユニットがボウリングタワーの所に来ていたので写真撮影しました 動力車は50㏄位のバイク用エンジンを積んでおり移動の折は函軌道上の波形ラックに車両側のピニオンを噛ませてピニオンにエンジンの動力を伝え移動する(アプト式と同じ)其の為凄い急勾配でも登坂出来る 台車は片フランジ車輪四ッで函軌道を上下左右で挿む構造でした品川寄りの道が低くなった所にモノレール車両が留置しており間地かで見る事ができます 又々配線図の話しから脱線して申し訳有りませんでした

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、興味の対象が広範囲ですね(笑)。
活躍が短い期間で残念ですね。

 又話しが脱線しますが件の工事用モノレール地質調査終了の為今日から撤收作業が開始されました 大井町駅寄りから軌条桁と橋脚用鋼管を運び始めました 運搬はモノレール車両に積み込んで品川寄りの基地へ運んでトラックに積むのでしょう 基地で写真を撮影中おかしな音がするので待つているとモノレールが戻ってきた作業者はモノレールの脇を歩きながらクラッチやアクセルを操作しております 係りの作業員に聞くと125㏄~150㏄位のバイク用エンジンらしい エンジンの脇に 製造元はモノレール鋼機 機名はモノレーター 形式ML‐207形と書かれていました 此の様な工事用モノレールにはメーカー毎に規格が違う様で大井町に来たのは軌条の上にラックが付いいる 別のメーカーでは軌条の下にラックが付いていたりしております ラックの御蔭で45°位の急勾配でも使用出来る 付属のトレーラーには人が乗車出来るタイプ フラットベースタイプ ナベトロタイプ等色々有る様です 何か楽しくなる
 昔の工事用トロッコの現代版工事モノレール奥が深そうです

yyoshikawaさん、早くも撤去ですか、残念ですね。いろいろなバリエーションがありそうで、恰好の趣味の対象かも知れませんね。

 配線脱線廃線 昨日件のモノレールは完全撤去されました 10時頃電車内から見ると品川寄りの基地跡に作業担当者が作業しておる様子を見ました 撤去資材の搬出作業を行っおるのでしょう
 現場付近は崖上に中型トラックがやっと通れる程の幅の道で崖の末端部は緩い階段然もUターン出来ないので資材の搬入出は大変なのではと思います
 線路内に一般人が立ち入れぬ様鉄道沿線には金網フェンスで立ち入れぬ様にしており 現場も当然同様にフェンスで囲っております モノレール基地の場所には人が一人通れる扉が有り其処から資材の出し入れをやっ他のでしょう 現場の他所に比べ平な敷地が有るので基地にしたのでしょう
配線の話しで脱線して廃線の話しになりました申し訳有りませんでした

yyoshikawaさん、工事用モノレールのレポートありがとうございました。なかなか他では見る機会は少なそうですね。

広報しながわ9/1区制70周年特集号わがまちしながわの表紙ページに1950年代後半頃の大井町駅北口の写真が掲載されて居りました
東海道本線を越える陸橋は今と違い幅の狭いのが掛かっており其の先の仙台坂方向の道は今の道幅です 駅舎は今と違い陸橋の南側に1951年の配線図に記載されて居るとおり本線の左右に別々に建てられて東側の駅舎が写っています トラックが写ってますがダトサンやオート三輪が時代を反映してます
北口は跨線橋が有りました今は陸橋の北側へ移転してますが跨線橋の跡は今も土台だけ残ってます北側に移転したのは東急大井町線との乗り換えをスムーズにする為です
現在の大井町は駅ビルが出来ております此の駅ビル食堂街の階北側にマドが有りますが其処から東京タワーと東京スカイツリィーが見えます品川区でスカイツリィーが見える場所は少ないので貴重です
当然乍ら大井工場と大崎電車区も見えます

yyoshikawaさん、いろいろなところから資料・情報を収集されていますね。幅広い活動、恐れ入ります。

川上幸義氏の名著新日本鉄道史(上)巻総説に1931年撮影の大井町駅ホームより通過するC51247 牽引の下りつばめ号写真が掲載されております(出典広海渡文庫)ルーペで拡大して見てみると京浜東北線中線の先車止め手前に北行線への渡り線が微かに見えます(印刷時代が古い本の為写真製版が荒いのではっきりとはわかりません)おそらく其の先に更に短絡線へのポイントも存在しておるのではと思います

yyoshikawaさん、線路に着目した写真ってあまり多くはありませんが、列車や車両を撮影した写真から、それに写りこんだ線路の様子を窺い知るのも楽しいですね。

品川歴史館特別展品川産業事始が10月9日より始まりました 展示物に1876年撮影の品川硝子製造所写真には未だ開通5年目の単線時代の鉄道創世期の様子が写り込まれてます同じ場所で1880年撮影の写真には大森迄複線化された様子が写り込んでます
更にとんでもない写真が展示されてましたそれは1901年大崎大井間短絡線の大井信号場の写真です当時の配線状況の解ります 官鐡東海道本線神戸方向を写しています丁度ネルソンが牽引の新橋雪上り旅客列車がやって来る所です 短絡線から東海道本線下り線に進入するには左分岐で短絡線から別れ上り線と平面交差後下り線に左分岐で進入します 逆に東海道本線上り線から短絡線へはやはり左分岐で別れ同じく左分岐で進入する短絡線終端部は安全側線となり古枕木製車止めで終わってます短絡線は単線です 新号は当時ですので腕木信号機が下り線は一つ上り線は本線及び短絡線用の二つ上下に設置されてます 新号扱い所の写真も有り土台部は煉瓦積の上に木造で建られてます
932年の大井町駅駅舎図面や大井工場関係の平面図等も展示されてました 何れも写真撮影は禁止ですが図録を販売しています

大井信号所の写真、ぜひとも見てみたいものです。

それと品川硝子製造所および1880年頃の写真とのことですが、東海道線も映り込んでいるということは現在の架道橋になる以前の碑文谷道踏切も映っているという事ですね。

この踏切は映画にもなった場所でもありますし、これもまた確認したいものです。

オーイナル野焼き様残念ながら碑文谷踏切付近に関しては写真等の展示は有りませんでした
展示地図の1911年の地図では既に架道橋化されてます

yyoshikawa様、ありがとうございます。

事故を報じた当時の新聞複写は確認しておりますが、なにぶん網版でもあり地勢というかその風景をまるで認識できません。

あと展示地図についてですが、映画となった踏切事故は大正7年、西暦に直すと1918年となります。
もしかしたら展示地図の年代表記に誤りがあるかもしれませんね。

いずれにしても来週中には直接自分の目で確かめに行きたいと思います。

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、私も大井信号所の写真、見てみたいですね。

展示写真から判断すると大井町合流部分は現在大井町駅の有る辺りと思われますと云うのも周りが開けた所です現在の大井工場脇の辺りは当時は未だ権現台と浅間台の間の切通しの筈ですので其処に合流部が有と切通しが写り込む筈です
品川硝子工場の辺りもやはり切通しから目黒川の平地に出る直前の辺り写真から見ると品川駅進入直前の八ッ山橋が写り込んでます
一枚の写真から伺えるデーターは随分多いものですね

yyoshikawaさん、写真を隅々まで観察するといろいろ面白いものが見えてきますよね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/59726347

この記事へのトラックバック一覧です: 大井町配線図:

« 三河三谷 2014/5/1 | トップページ | 蒲郡配線図 »

過去の記事

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ