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2014年4月13日 (日)

御代田駅のスイッチバック

以前の記事で、御代田駅のスイッチバック廃止に関連して以下のように書きました。

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ところで御代田駅前後の信越線の複線化は1968年(昭和43年)9月。したがってこのタイミングで旅客扱いは新ホームに移行したと思われるのですが、停車場変遷大辞典によれば御代田駅の貨物営業廃止は1971年(昭和46年)4月となっています。43-10貨物時刻表にも御代田駅停車する貨物列車が上下で計7本記載されています。
ということは、旅客扱いが新ホームに移行後も貨物列車は旧駅部分に発着していたということなのでしょうか。すなわち1968年9月から1971年4月までの2年半の間は現在の初狩駅のような状態であったということ? この間私は御代田駅を何回か通っているのですが、そのような記憶はないんですよね(汗)。
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気になっていましたので、1967年(昭和42年)7月、1968年(昭和43年)10月、1971年(昭和46年)10月の時刻表から軽井沢駅~小諸駅間の14時~24時の間の列車のダイヤを作成してみました。
通過時刻や小駅の着時刻は時刻表には記載されていませんのでこのあたりは推定になりますが、そう大きな間違いはないかと思います。

最初は1967年(昭和42年)7月です。

3r1967

1967年(昭和42年)7月時点では軽井沢駅~中軽井沢駅間以外は単線ですので(その軽井沢駅~中軽井沢駅間の複線化も1967年7月完成ですので、ダイヤ上は単線時代のままかもしれません)、各所で列車交換が行われています。
また、18時30分頃には1002D「はくたか」が334列車を、19時40分頃には1304M「第2志賀」が336列車を、さらに21時45分頃には307M「第4信州」が335列車を、いずれも御代田駅で追い抜く設定になっていることがわかります。

その後1968年(昭和43年)の8月から9月にかけて御代田駅を含む中軽井沢駅~平原駅間が相次いで複線化され、10月のダイヤ改正を迎えることになります。

1968年10月の時刻表をもとに作成したダイヤが下図です。

3r1968

注目は18時30分頃の6304M「信州6号」と336列車で、6304Mが336列車を御代田駅で追い抜くようになっていることです。19時30分頃の338列車も御代田駅での停車時間が妙に長く、この月には運転されていない臨時列車が設定されていてこれを待避するようになっているのかもしれません。

いずれにせよ、御代田駅の前後の複線化がすでに完成している1968年(昭和43年)10月時点でも御代田駅では旅客列車同士の追い抜きが行われていたわけです。新ホームに移転してしまいますと追い抜きはできなくなりますので、これすなわち旅客列車もまだスイッチバックの旧ホームに発着していたことを示しています。

最後に1971年(昭和46年)10月です。

3r1971

この時点では御代田駅での追い抜きは消滅しています。0時から14時の間についても追い抜きはありません。

以上より、おそらく御代田駅の新ホームへの移転は御代田駅前後の複線化が完成した1968年9月ではなく、貨物営業の廃止(1971年4月)とほぼ同時期ではないかと思われるわけで、そうであれば残念(?)ながら「初狩駅状態」は存在しなかったことになります。

1968年(昭和43年)9月の時点では、おそらく

2

のような感じで将来を見越して最小限の変更での複線化が行われ、1971年(昭和46年)になって

3

のように新ホームへの移転とスイッチバック廃止が行われたと考えるのが自然かと思います。

但し、何で1968年(昭和43年)9月の複線化時に新ホームへの移転およびスイッチバック廃止をしなかったのかという疑問は残ります。1968年の時点では貨物扱いを廃止できない何らかの理由があったとか?

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コメント

新ホームへの移転はやはり1968年時点ではなかったようです。

小学館の「国鉄全線各駅停車 第六巻 中央・上信越440駅」に、「昭和45年(1970年)に現在の相対式ホームをもつ駅となった。」とありました。

また、やはり小学館の「日本鉄道名所 5 中央線 上越線 信越線」の154~155ページ「中央本線・篠ノ井線・信越本線 スイッチバック式停車場配線略図」の御代田のところに、「昭和45年9月 複線化により改良」とあります。(第一版第一刷では昭和35年9月となっていますが、これは誤植のようです。)

線路付け替え工事の関係で遅れたんでしょうかね?

KASAさん、1970年9月ですか。貨物扱いが廃止された1971年4月ではないんですね、う~ん。
ということは、約半年間はまさかの初狩駅状態?
いやいや、普通に考えれば1971年4月の貨物扱い廃止と言うのはただ単に書類上の扱い(実態は1970年9月で廃止)ということのような気が。

私の幼少期の記憶なのですが、70年8月頃に軽井沢から上田まで下りのローカル列車に乗っていて、駅から一旦逆行した思い出があります、おそらく御代田だとおもいます。直江津ゆきのあさま(3号=68年10月以降になります)のあとにきた客レでした

72年3月改正以前、信越本線ローカルは全て機関車牽引の客車列車で電車化されておらず、急行の停車もなかったので本線部分のホーム供用はこの時になってからではなかったかとおもいますがどうでしょうか

まるこでんてつさん、コメントありがとうございます。
御代田駅のスイッチバック廃止についてはその後改めて時刻表を確認してみました。
1971年3月の時刻表ではまだスイッチバックが行われているのですが、1971年5月ではスイッチバックは廃止されているようです。
ですので本線部分のホーム供用はやはり1971年4月頃ではないかと思います。

管理人さま
ご教示ありがとうございます。
6~70年代の国鉄は大掛かりなダイヤ改正の狭間に設備の改良や車両が新しくなるにつれて挿入的な改正がありましたね。御代田駅の実態もそのなかに埋もれかかっていたのでしょうか。見方を変えればそれほど鉄道が日々進化をしている時代だったのかもしれませんね。

まるこでんてつさん、そうですよね、この頃は日々どこかで複線化などが行われていたように思います。元気だったんですね。

御代田駅の停車場平面略図(長野鉄道管理局・S43.9.10作成)では、管理人さんの推測図のとおり、駅の前後で複線→単線(スイッチバックの分岐)→複線となっています。ちなみに、複線と単線の接合部は、高崎方では下り線が上り線に合流、直江津方では下り線から上り線が分岐していますので、推測図とは逆ですね。
なお、御代田町ホームページの町の歩み(年表)には、S46.2.1御代田駅の貨物・スイッチバック廃止、S46.4.26新御代田駅が完成し記念式典との記載があります。

ruriiro310さん、複線化といっても駅構内に単線部分がある場合があるというのがちょっとややこしいですね。青森とかもそうですし。

f54560zgさん、こんばんは。

いつも興味深い記事をありがとうございます。

複線化によるスイッチバック廃止とは少し違うのですが、信越線・松井田駅のスイッチバック廃止に関しての興味深い記事が、鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション35 「国鉄幹線の記録 上越・信越線」に再録されておりました。

(1962年9月号(135号)の「信越線・高崎ー横川間電化現地ルポ」(永井重道)という記事の再録。)

ここは、スイッチバック廃止のため新駅に移転するも、「客扱いのできる程度に完成した」段階での開業で、「新駅の設備が完備するまで当分の間」、旧駅で貨物取扱が行なわれていたようです。

新駅が高崎寄りに移転したことから、旧駅部分は、仲宿信号場となり、松井田ー横川間は二閉塞で、走行中にタブレット交換が行われていたようです。

KASAさん、貴重な情報ありがとうございます。
列車運転上は(新)松井田駅と仲宿信号場に分かれたものの、貨物営業上は仲宿信号場の場所で松井田駅の貨物扱いを行っているという、何とも珍しい状況だったわけですね。

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