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2014年3月 2日 (日)

軽井沢配線図

軽井沢駅についても以前ご紹介していますが、改めてもう一度。

まずは1978年(昭和53年)3月です。

1978031

・横川駅同様、本屋に面した片側ホームと、ホームのない中線を隔てて島式ホームという構成です。
・軽井沢駅の線路名称は横川駅のような「上り本線」「中1番線」といった呼び方ではなく数字が割り当てられており、本線関係は1~4番線となっています。また、横川駅の場合は中1番線の関係でしょうか中2番線が3番のりばとなっていて2番のりばは欠番でしたが、軽井沢駅の場合は欠番はなく、3番線→2番のりば、4番線→3番のりばとなっていてちょっとややこしくなっています。
・補機の解結作業が行われるという点では横川駅も軽井沢駅も同じなのですが、線路配線の面では同一の思想により設計されたという感じはあまりしないですね。
・横川駅の場合は、高崎方の引上線2線を使用したシンプルかつ競合の少ない効率的な配線ですが、軽井沢駅の場合はそれに比べるとやや複雑そうです。
・ポイントは上り機待線のようで、ここで補機が待機→上り列車到着→連結、といった作業がメインになるかと思います。ただし上り機待線に補機を据付ける際には上り本線上での折り返し作業が発生します(当然上り列車と競合します)し、2番線発着列車には対応できないなどなんとも中途半端な感じですね。
・そのほか電留1番線で待機したり、2番線、5番線、6番線で待機→列車到着後に本線引上げで折り返す→連結など、いろいろなパターンがありそうな気配です。前述の通り横川駅の配線のほうが合理的のようには思いますが、個人的には軽井沢駅のほうが味わい(?)があって楽しそうです。
・アプト時代の蒸機や直江津方でのED42の入換方法、特に上り列車の直江津方に連結されるED42の機関車走行ルートに興味津々です。
・1番線直江津方の「客収線」とは何でしょう?

続いて1993(平成5年)年3月。

199303
・大きな変化はありません。
・この4年後、横川駅同様終着駅となってしまったわけですが、さらに軽井沢駅(在来線)の場合はJRからも切り離された存在となってしまいました。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

客収線です。
横川から軽井沢間は一時間要していましたけどSL時代は客車に暖房していましたが1921年に電化された当時は電気機関車に暖房設備【SG】が無く横川から軽井沢間の専用の暖房車を連結していました。マヌ車【ボイラ-車】が登場しました。
マヌ車の留置の目的ではないかと思います。

つるたまさん、暖房車用ですか、ありがとうございます。それでも何とも使いづらい配線ですね。

 碓氷峠は皆さんご存知の幹線鉄道としては世界最急勾配線区でした(箱根登山鉄道は此処より更に急勾配ですが幹線鉄道では有りません)此の区間に鉄道を敷設しようとした当時の世界的技術力では粘着力だけでの登坂は難しくアプト式の採用で登坂出来る様になりましたが沿線に多数のトンネルが有り煤煙が問題になり電化計画が持ち上った そして1912年日本で初めて幹線電化が完成10000形電気機関車により運転されました1910年代は未だ蒸気暖房を備えた客車は少なく中型標準客車や大型標準客車が導入される様になってから蒸気暖房を備える様になった 唯碓氷峠は牽引定数の関係で通常の暖房車は使えませんでした あと直通ブレーキも真空制動でしたので制動力が弱く急勾配を下る時制動力を増やす為アブトピニオンギヤーも制動力の助けにしてました三軸単車でピニオンギヤーを備えた制動車ピフを列車に必ず連結してました此のピフに小型の蒸気ボイラーを搭載して暖房に供しました 自動連結器の採用と空気制動の採用によりピフ形は必用無くなりピフの台枠を利用して二軸単車の暖房車を製作碓氷峠専用に使用しておりました 車体はL型で小型ボイラーの一端が車体から出た独特な姿でした 粘着運転化後は電気暖房化され暖房車の必要性は無くなりました 

いつも興味深く拝見しております。
貴サイトのページを汚すほどの情報ではありませんが、図を見ていたら懐かしい記憶が甦ってきましたので書かせていただきます。

高崎方の電留線3,4ですが、この南側(図では左上)にはスキー場があります。その駐車場が電留線の目の前に広がっていたと記憶しています。

子供の頃、地元の信金さんがスキー列車を仕立て、それに乗って行ったものです。
軽井沢駅に到着すると、ホームから降りるのではなく車両はこの留置線に引き上げ、そこから乗り降りしていました。
そうすると、駐車場には雪が積もっていますので板を担いで歩く距離が少なくなって良かったのです。
また、車両はいつでも乗り降りできる状態にされており、疲れたら戻って休む(ビールやジュース飲む)ができた訳です。

車両に乗りながらにして構内入換などという事はなかなか体験できないことですから今思えば貴重なことでした。

名無しさん
貴重な情報ありがとうございます。
実に機転の利いた対応ですね。JR化以降でしょうか。昔の国鉄では考えられないような気がするのですが。

ご返信ありがとうございます。
名を名乗っていませんでしたが、渡良瀬ペンギンとでもしておきます。

私は昭和59年生まれで、軽井沢へ列車でスキーに行ったのは小学校の頃の記憶です。
ということは民営化後ということになるでしょうか。
なるほど国鉄時代には考えられなかったようなサービスだったのでしょう。
私も子供の頃のJR駅員はツッケンドンで悪い印象という記憶です。まぁ国鉄というのはおしなべてそういうものだったのでしょうね。

また、追記ですが車両は165モントレー色や客レだった記憶です。

軽井沢駅での経験も貴重でしたが今は亡き165にロクサン連結、高崎駅で客車列車の機回し折り返し(新前橋折り返しではなかった(桐生発でした))、帰りは本務機+ロクサンロクサンで三重連、、、と、珍しいものではないにしても、今に思えばあれもこれも見処いっぱいの列車旅だったんだなぁと思います。

ただ、正真正銘の小僧だった私はそんなことには見向きもせず、ただ列車に乗れるということだけを楽しんでおり、写真の一枚も残っていないのが残念なところであります。

渡良瀬ペンギンさん、桐生発軽井沢行きの客車列車が乗客を乗せたまま軽井沢駅で入換・・・って、スキー抜きでも十分楽しめる列車ですね(笑)。

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