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2014年2月25日 (火)

碓氷峠

子供の頃、夏休みなどは長野の祖父母のところへ遊びに行くのが恒例になっており、碓氷峠を通るのが大きな楽しみのひとつでした。その碓氷峠の鉄路がまさか消えてしまうとは・・・。
70年間のアプト時代、粘着に切り替わって34年。早いものであのEF63たちがいなくなってから16年がたちます。

最初に国土情報ウェブマッピングシステムをもとに描いた路線図です。

R

歴史を振り返ると、

・1893年(明治26年)4月
 横川~軽井沢間開業。丸山~矢ケ崎間はアプト式。
・1963年(昭和38年)7月
 丸山~矢ケ崎間に粘着式の新線(のちの上り線)開通、単線並列となる。丸山~熊ノ平間は別ルート、熊ノ平~矢ケ崎間は旧線に併設。
・1963年(昭和38年)10月
 アプトの旧線丸山~矢ケ崎間廃止。粘着式の単線のみとなる。
・1966年(昭和41年)7月
 丸山~矢ケ崎間に下り線を増設して複線化。丸山~熊ノ平間は新線に併設、熊ノ平~矢ケ崎間は基本的に旧線を改修して使用。
・1997年(平成9年)10月
 横川~軽井沢間廃止。

ちょっとよくわからない点がひとつ。
横川~丸山間、矢ケ崎~軽井沢間は1893年の開業当初から複線だと思っていたのですが、停車場変遷大事典には両信号場は1901年(明治34年)7月開設と記されており、そうなると開業当初は全区間単線だったということになります。どちらが正しいのでしょうか。

次に1978年(昭和53年)3月の配線図です。

1978031

1978032

1978033

1978034

1978035

・丸山~熊ノ平間は1963年(昭和38年)以降の建設ですので比較的長いトンネルですが、熊ノ平~矢ケ崎間は1893年(明治26年)の開業時のルートに沿っているため短いトンネルが連続しています。特に旧線を改修した下り線はその傾向が顕著です。
・上り線(坂を下る方向)の最急勾配は66.7‰なのですが、下り線(坂を登る方向)は66.4‰です。「碓氷峠の66.7‰」は有名ですが、これはあくまで下り坂の話であって、上り坂に関しては66.4‰ってことですね、細かい話ですが。
・ただ、アプト時代の熊ノ平~矢ケ崎間の約4kmはすべて66.7‰でしたので、これを改修した下り線が66.4‰なのはおかしいのでは?とも思ったのですが、考えてみれば4kmでの66.7‰と66.4‰の高低差はわずかに1.2mですので、改修で微妙に変わったということなんでしょうね。
・熊ノ平には上下線を結ぶ渡り線があったはずですがこの図には記載されていません。それどころか「熊ノ平信号場」という停車場名の表記すらありません。場内と出発の信号機は描かれているのですが。
・熊ノ平の「BrM99m」って?キロ程を調整しているような感じですね。新線と旧線のキロ程の違いの関係でしょうか。
・余談ですが、アプト時代は丸山(信)~熊ノ平間に短区間ですが68‰という勾配がありました。

1963年から1966年の間には
1)アプト単線
2)アプト・粘着単線並列
3)粘着単線
4)粘着複線
という状況の変化がありました。特に2)、3)の段階における丸山、熊ノ平、矢ケ崎の線路配線がどうなっていたのか興味が湧きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

BrM = Break Meter ブレーキメーターですね。

ご推察の通り、おそらく新線切り替えに伴いキロ程が変わった(この場合だと新線のほうが99m長くなった)ため、前後区間のキロ程をつじつま合わせるために、35k299の次がまた35k200になっているようです。

あと、ところどころGとRしか出ない(Yが出ない)信号機があるようなのも興味深いですね。

名無し信通区さん、そうですか、Break Meterですか、ありがとうございます。
GとRしか出ない信号機は不思議です。特に規則性もなさそうですし・・・。

GとRしか出ない自動信号機は山陽本線にも実在しました。
瀬野~八本松の上り線のトンネル手前の信号機4本がそうです。理由は先頭の本務機と後部の補機との無線連絡に不安があったためです。
指令との無線は強力なのでトンネル内でも通話可能ですが、車載同士の通話はそこまで完全ではありません。おそらく今でも。
トンネル手前の信号機がYで進入すると次の信号機のRで停止することになります。そのとき後部補機がトンネル内となる可能性が高く、無線による起動の協調ができなくなり、運転不能となることもあり得ます。
その対策としてトンネル手前の信号機は、Y条件のときにRのままとしてG条件になるとGを表示します。
したがってこの信号機はRとGのみ表示することになります。

C6217さん、貴重な情報ありがとうございます。補機とトンネルの2つの条件が重なった場合にこのような信号機になるわけですね。

横軽線当初単線で開業後輸送量増強の為1900年横川丸山間を複線化其の後矢ケ崎軽井沢間を複線化したのです 
当初此の区間の勾配対策に5ヶ所のの線の案が検討されてました勾配を1000分之25程度に抑え粘着式を採用ループ線とスイッチバックで乗り越える案 ケーブル方式で乗り越える案 フェル方式で勾配を乗り越える案 インクラインで乗り越える案 アプト式で乗り越える案 結局アプト式を採用した 唯世界的に見て幹線区間にアプト式を採用した例は無い 欧州に多々有る登山鉄道では歯車軌条を採用して急勾配を乗り越えるが飽く迄山へ上る為であり輸送量の多い幹線鉄道での採用は横軽以外無いのです 
粘着式で1000分の80の勾配を上がる鉄道が我が国に有ります箱根登山鉄道です 電車だけの運用ですので上り着れるのです

yyoshikawaさん、もし碓氷峠に25/1000を採用していたらその後の歴史はどう変わっていたでしょう。

流石の北陸新幹線も碓氷峠を直に越すのは難しかった様で大々的な迂回線で乗り切る事にして開業しました 昔のプランが実現したのです 大迂回の副産物として途中の人家の殆ど無いの処に安中榛名駅を建設 駅の回りを宅地開発し別荘気分のニュータウンとして売り出しました 国鉄時代は考えられない変化です 新幹線での通勤等昔は考えられない事でしたが今や当たり前な時代になってますね

yyoshikawaさん、あれほどの難所がウソのような新幹線ですね。

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