碓氷峠
子供の頃、夏休みなどは長野の祖父母のところへ遊びに行くのが恒例になっており、碓氷峠を通るのが大きな楽しみのひとつでした。その碓氷峠の鉄路がまさか消えてしまうとは・・・。
70年間のアプト時代、粘着に切り替わって34年。早いものであのEF63たちがいなくなってから16年がたちます。
最初に国土情報ウェブマッピングシステムをもとに描いた路線図です。
歴史を振り返ると、
・1893年(明治26年)4月
横川~軽井沢間開業。丸山~矢ケ崎間はアプト式。
・1963年(昭和38年)7月
丸山~矢ケ崎間に粘着式の新線(のちの上り線)開通、単線並列となる。丸山~熊ノ平間は別ルート、熊ノ平~矢ケ崎間は旧線に併設。
・1963年(昭和38年)10月
アプトの旧線丸山~矢ケ崎間廃止。粘着式の単線のみとなる。
・1966年(昭和41年)7月
丸山~矢ケ崎間に下り線を増設して複線化。丸山~熊ノ平間は新線に併設、熊ノ平~矢ケ崎間は基本的に旧線を改修して使用。
・1997年(平成9年)10月
横川~軽井沢間廃止。
ちょっとよくわからない点がひとつ。
横川~丸山間、矢ケ崎~軽井沢間は1893年の開業当初から複線だと思っていたのですが、停車場変遷大事典には両信号場は1901年(明治34年)7月開設と記されており、そうなると開業当初は全区間単線だったということになります。どちらが正しいのでしょうか。
次に1978年(昭和53年)3月の配線図です。
・丸山~熊ノ平間は1963年(昭和38年)以降の建設ですので比較的長いトンネルですが、熊ノ平~矢ケ崎間は1893年(明治26年)の開業時のルートに沿っているため短いトンネルが連続しています。特に旧線を改修した下り線はその傾向が顕著です。
・上り線(坂を下る方向)の最急勾配は66.7‰なのですが、下り線(坂を登る方向)は66.4‰です。「碓氷峠の66.7‰」は有名ですが、これはあくまで下り坂の話であって、上り坂に関しては66.4‰ってことですね、細かい話ですが。
・ただ、アプト時代の熊ノ平~矢ケ崎間の約4kmはすべて66.7‰でしたので、これを改修した下り線が66.4‰なのはおかしいのでは?とも思ったのですが、考えてみれば4kmでの66.7‰と66.4‰の高低差はわずかに1.2mですので、改修で微妙に変わったということなんでしょうね。
・熊ノ平には上下線を結ぶ渡り線があったはずですがこの図には記載されていません。それどころか「熊ノ平信号場」という停車場名の表記すらありません。場内と出発の信号機は描かれているのですが。
・熊ノ平の「BrM99m」って?キロ程を調整しているような感じですね。新線と旧線のキロ程の違いの関係でしょうか。
・余談ですが、アプト時代は丸山(信)~熊ノ平間に短区間ですが68‰という勾配がありました。
1963年から1966年の間には
1)アプト単線
2)アプト・粘着単線並列
3)粘着単線
4)粘着複線
という状況の変化がありました。特に2)、3)の段階における丸山、熊ノ平、矢ケ崎の線路配線がどうなっていたのか興味が湧きます。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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BrM = Break Meter ブレーキメーターですね。
ご推察の通り、おそらく新線切り替えに伴いキロ程が変わった(この場合だと新線のほうが99m長くなった)ため、前後区間のキロ程をつじつま合わせるために、35k299の次がまた35k200になっているようです。
あと、ところどころGとRしか出ない(Yが出ない)信号機があるようなのも興味深いですね。
投稿: 名無し信通区 | 2014年2月26日 (水) 11時19分
名無し信通区さん、そうですか、Break Meterですか、ありがとうございます。
GとRしか出ない信号機は不思議です。特に規則性もなさそうですし・・・。
投稿: f54560zg | 2014年3月 2日 (日) 21時04分
GとRしか出ない自動信号機は山陽本線にも実在しました。
瀬野~八本松の上り線のトンネル手前の信号機4本がそうです。理由は先頭の本務機と後部の補機との無線連絡に不安があったためです。
指令との無線は強力なのでトンネル内でも通話可能ですが、車載同士の通話はそこまで完全ではありません。おそらく今でも。
トンネル手前の信号機がYで進入すると次の信号機のRで停止することになります。そのとき後部補機がトンネル内となる可能性が高く、無線による起動の協調ができなくなり、運転不能となることもあり得ます。
その対策としてトンネル手前の信号機は、Y条件のときにRのままとしてG条件になるとGを表示します。
したがってこの信号機はRとGのみ表示することになります。
投稿: C6217 | 2014年6月28日 (土) 20時31分
C6217さん、貴重な情報ありがとうございます。補機とトンネルの2つの条件が重なった場合にこのような信号機になるわけですね。
投稿: f54560zg | 2014年6月29日 (日) 20時49分
横軽線当初単線で開業後輸送量増強の為1900年横川丸山間を複線化其の後矢ケ崎軽井沢間を複線化したのです
当初此の区間の勾配対策に5ヶ所のの線の案が検討されてました勾配を1000分之25程度に抑え粘着式を採用ループ線とスイッチバックで乗り越える案 ケーブル方式で乗り越える案 フェル方式で勾配を乗り越える案 インクラインで乗り越える案 アプト式で乗り越える案 結局アプト式を採用した 唯世界的に見て幹線区間にアプト式を採用した例は無い 欧州に多々有る登山鉄道では歯車軌条を採用して急勾配を乗り越えるが飽く迄山へ上る為であり輸送量の多い幹線鉄道での採用は横軽以外無いのです
粘着式で1000分の80の勾配を上がる鉄道が我が国に有ります箱根登山鉄道です 電車だけの運用ですので上り着れるのです
投稿: yyoshikawa | 2018年4月12日 (木) 21時16分
yyoshikawaさん、もし碓氷峠に25/1000を採用していたらその後の歴史はどう変わっていたでしょう。
投稿: f54560zg | 2018年4月15日 (日) 21時08分
流石の北陸新幹線も碓氷峠を直に越すのは難しかった様で大々的な迂回線で乗り切る事にして開業しました 昔のプランが実現したのです 大迂回の副産物として途中の人家の殆ど無いの処に安中榛名駅を建設 駅の回りを宅地開発し別荘気分のニュータウンとして売り出しました 国鉄時代は考えられない変化です 新幹線での通勤等昔は考えられない事でしたが今や当たり前な時代になってますね
投稿: yyoshikawa | 2018年4月16日 (月) 16時38分
yyoshikawaさん、あれほどの難所がウソのような新幹線ですね。
投稿: f54560zg | 2018年4月18日 (水) 21時23分
yyoshikawaさんの仰る通り碓氷峠が難所であることは、いかに時代が変わろうとも不変な物理的事実ですね。北陸地方にはしばしば出張するのですが、帰路の北陸新幹線ではいつも軽井沢を通過するのを子供のときのようにワクワクしながら待っています(ビール片手ですが)。いよいよ峠道にかかると30‰下り勾配と抑速制動を身体に感じながら往時のEF63 の奮闘に想いを馳せるときを過ごしますが(アプト時代は知らないのです)、同時に峠越えの技術が進化しながら連綿と続いていることを再認識する時間でもあります。速度の劇的向上もさることながら、発電制動から回生制動への再進化も味わい深いものがあります(失効対策どうなってるんでしょう?)。とにかく過去の技術の蓄積の上に現在の姿があるのであって、ED42やEF63の魂が生き続けているのを感じる時間です。ただ往路の登坂時にはなぜかこのような感慨があまりないのが不思議なのですが(まあこれから仕事というのがあるのかも…)。
おそらく幹線高速鉄道でこれだけの連続急勾配区間、しかも片勾配、というのは世界を見わたしてもほとんどないのではと思います。ちょっと調べてみるとドイツのICE が走るケルン・ライン=マイン高速線には 40‰が存在して、さすがにこの区間は動力分散型車両専用のようです。またフランス TGV の走る LGV(高速新線) は 35‰を許容していますが、この勾配は九州新幹線にもありますね。ただし、これらの急勾配区間が碓氷峠ほどの距離にわたって続いているとも思えず(九州新幹線の方はごく短距離のようですし)、さらには片勾配区間というのはかなり稀と思われるのですが、ウェブ上には裏付ける記事がほとんど見つかりません(1次資料に当たれということなのでしょうが…)。
というわけで、幹線高速鉄道の連続急勾配度を指標化(数値化)できないかと思い立ちました。まずは(勾配)×(連続距離)=(標高差)は要素として必須です。でも単に標高を稼ぐだけなら目的地が山上にある登山鉄道などが上位に来そうなので、短編成の電車がトロトロ走るようなところは除くために(輸送力)=(標準的運行速度)×(標準的列車あたり定員)も取り入れることにします。本当は1日の列車本数も考慮したいところですが数値化が大変なので省略します…。
こうして、果たして妥当な定義かどうかはともかく、
(高速鉄道の連続急勾配指標)=(標高差)×(輸送力)=(勾配) ×(連続距離) ×(運行速度) × (列車あたり定員)
を定義してみることにします(ありきたりの量になってる気もしますが…)。北陸新幹線の碓氷峠では(勾配)=0.03、(連続距離)は安中榛名の平坦部を挟んで約25km、(運行速度)はだいたい200km/h、E7系の定員は924人のようなのでこれを採用してみると、
(北陸新幹線碓氷峠連続急勾配指標)=0.03×25×200×924≒138600
が得られました。比較のためにEF63時代の同数値は、(勾配)=0.0667、(連続距離)は11km、(運行速度)は約35km/h(降坂時)、当時のあさま11両の定員約660人(怪しいです)で
(信越本線碓氷峠連続急勾配指標)=0.0667 ×11 ×35 × 660 ≒16948
となって、新幹線は在来線の実に一桁増であることがわかりますが、これはほとんど輸送力の増加分です、同じ峠を越えてるのだから当然ですが。さて果たして碓氷峠のこの数値が世界最高なのかどうか、ICE等の数値データをご存知の方がおられましたらご教示いただけると幸いです。中国チベットの青蔵鉄道にもかなりの急勾配があるらしいのですが、これも資料が…。長々と失礼しました。
投稿: mulapao | 2024年10月 3日 (木) 20時23分
mulapaoさん
独創的な指標のご提案ありがとうございます。
感覚的には世界でも珍しい高速・急勾配区間であることが分かっていても、具体的にそれを数値化して見えるようにしようというmulapaoさんの熱意が伝わってきました。
投稿: f54560zg | 2024年10月 6日 (日) 15時57分