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2013年5月21日 (火)

天竜川配線図

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・本線関係の配置は東海道線の典型的なパターンのひとつですね。
・専用線がいっぱいあり、貨物側線も多く設けられています。下りの貨物の場合は下り1番線があるからよいのですが、上りの場合は上り本線をふさいだ状態で入換を行うのでしょうか。それとも解結は下り列車のみ?
・専用線は日本楽器、シェル、日本通運といった文字が読み取れます。日本通運と書かれた専用線の先は、一部は天竜川河岸まで達していて結構規模が大きかったようです。http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-34/c12/ccb-75-34_c12_9.jpg
(国土情報ウェブマッピングシステムより)

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・1960年の配線図には記載が漏れていただけなのかもしれませんが、左下に日本鉱業と鈴与の文字が追加になっています。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204
・大変なことが起こりました。なんと上り1番線が設けられました。
・これはスゴイ変化ですね。何しろ本屋に面した片面ホームが島式ホームになったわけですから。東海道線では数少ない事例ではないかと思います。
・1967年の時点で継電化されていますが、てこ番号が一部欠番になっていたのはこれが予定されていたため?かと思ってしまいます。
・その時点での社会情勢の違いはありますが、興津駅や鷲津駅ではやらなかったことを天竜川駅ではやったことになりますね。
・日本鉱業の専用線は大阪合同に変わっています。
・この1か月前に、一般車扱貨物の取り扱いは廃止されています。

続いて1978年(昭和53年)3月。

197803
・特に変化はありません。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902
・シェルの専用線と渡り線33イ・ロが姿を消しました。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・上り3番線がなくなりました。

最後に2003年(平成15年)4月。

200304
・貨物側線は結構残されていますが、この時点ではほとんど使用されていなかったのではないかと思います。
・かつてはEF18が入換に勤しんでいた側線群だったのだと思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

はじめまして、Asama189といいます。以前より、配線に興味があって、より詳しくなりたいと思っています。もう出てきているかわかりませんが、中央、青梅、南武線あたりを見てみたいです。

Asama189さん、はじめまして。
機会がありましたらご要望にお応えしたいと思います。

 浜松から東京に来ていた知人が夏休みに浜松に遊びに来ませんかと誘われ出掛けました 浜松駅で落ち合い知人の車で面白い所が有りますからと案内されたのが天竜川鉄橋の傍らでした 其処は天竜川駅から出ていた日本通運専用線の末端でした 途中から二叉に別れた片方の末端は天竜川の土手下に熊手状に線路が別れた小規模なヤードが有りました 化学薬品の扱い所が有りケミカルタンク車が数量留置されてました もう片方の線路は少し離れた木材会社に向かってました更に別れて土手下のヤードと直角方向に伸びて居ました 一通り写真撮影後東海道本線天竜川橋梁の脇迄行き暫し古風な単線長大ワーレントラス橋を真近で見て楽しみました 昔の橋梁は芸術品的美しさが有りました 此の日は更に新幹線浜松工場入出庫線も見に行けました 新幹線唯一の踏切(山形秋田は広軌在来線)と門から工場内を覗いて三線ポイントの連続を見たり新幹線用911機関車 DD13改軌の912等見る事が出来た一日でした

yyoshikawaさん、いろいろ広範囲に活動されていたんですね。
>一通り写真撮影後
機会があれば拝見したいですね。

貨物列車、ごくたまに「ホーム」に いますけど。

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