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2013年5月19日 (日)

磐田駅のナゾ

以前の記事の通り、1960年(昭和35年)頃の磐田駅の配線は下図の通りです。

196000

東海道線によくあるパターンで、
・本屋に面した片面ホーム1面と島式ホーム1面が配置されている。
・片面ホームの線路は主本線ではなく副本線になっている。
です。

このテの配線の場合、原駅用宗駅藤枝駅菊川駅袋井駅のように駅前後の不自然な曲線を考えると昔は本屋に面した片側ホームが主本線ではなかったのかとの疑念(あくまで個人的ですが)を払拭できずにいます。特に菊川駅のようにホーム擁壁のレンガを見るとますますそう感じてしまいます。

磐田駅の場合にはこのような駅前後の不自然な曲線が見当たりませんので上記のような疑念はさほど感じず、開業当初から少なくとも島式ホームは存在していたのかな、と思っていたのですが、とある2つの写真を見て「???」となってしまいました。

その一つはWikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E7%94%B0%E9%A7%85

に掲載されている昔の磐田駅(当時は中泉駅)の写真。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakaizumi_Station_in_Meiji_and_Taisho_eras.JPG

一番右側の線路は側線っぽいですし、背後の家並みを考えると写っている列車は下り列車? ということはホームは相対式のみ? と思ってしまうんですよね。

もう一つはとある方のブログ。

http://blogs.yahoo.co.jp/crazykatsu/20856457.html
(管理人様、勝手にリンクを張ってゴメンナサイ)

この記事の10枚目の写真を見ますとどうも磐田駅の下り本線のホームの擁壁はレンガのようであり、これは開業当初のものらしいんです。

これってどういうこと?
もし開業当初の磐田駅が相対式のホームのみでありその片方が現在の下り本線であるとするならば、昔は下り本線の向かい側にもホームがあったということでしょうか?

う~~ん、よくわかりません。どなたかこのあたりの経緯をご存知の方がいらっしゃいましたら是非おしえていただきたく思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 静岡県内の東海道線各駅は、
「かわいい顔してあの子、わりとやるもんだね」
な駅だらけのようで…
 確かに、明治22年当時は単線区間だらけ、
複線化が進んでも大きな河を渡る鉄橋だけ
単線だったり、だったようですから、今の改良
された複線からは想像できない、カオスな
状態だったかも知れませんね。

bad.Ⅳh-95さん、おっしゃる通り色々複雑な変遷を経ているのかも。岡村孝子も複雑なんでしょうか。

> 背後の家並みを考えると写っている列車は下り列車

この Wikipedia の写真は東京方面(上り)列車で、写真撮影位置は構内図の「上2、上3」のあたりから撮影したように見ました。

列車は「上1」に停車していて、レンガ積みの見えるホーム側面が「上本」であるとすれば、「下本」がホーム向こう側に後に増設されたのではないかという説です。
そんな経緯もあるので、現1番線は旅客用には使われないようで、2番線3番線の島式ホームが本線なのではないかと。

磐田というと昔の社会科で東海道の宿駅から離れて駅が開設された例として紹介されていたのを思い出します。

>東海道の宿駅から離れて駅が開設された
そこらじゅうそうですね。
静岡県内だと、原と新蒲原が近いくらいでしょうか。
二川もかな・・・
清水は江尻だけど、ちょっと離れてますかね?
菊川は堀之内だけど、宿駅は日坂、掛川も結構遠いし・・・
磐田は中泉と見附宿。
藤枝は特に特徴的ですが、周囲の地形を考えると、
旧青島村くらいしか立地可能な場所は無いですし。
あと、岡崎駅は額田郡岡崎村に立地したので岡崎駅で、岡崎宿は岡崎町に所在しています。
また、名鉄の東岡崎は「岡崎城の東」に開設されたからで、東海道線の岡崎駅とは関係なく、岡崎公園前駅は西岡崎駅でした。

cubicsさん、お久しぶりです。
本文のリンク先
http://blogs.yahoo.co.jp/crazykatsu/20856457.html
を拝見しますと磐田駅の跨線橋についても触れられており、これによれば大正4年から昭和61年まで使用された跨線橋の支柱が保存されているようです。ということはおそらく「大正4年から昭和61年までは同じ跨線橋が使用されていた」と考えられるわけでして、Wikipediaの写真
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakaizumi_Station_in_Meiji_and_Taisho_eras.JPG
に写っている跨線橋と昭和50年撮影の国土画像情報(カラー空中写真)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-34/c12/ccb-75-34_c12_17.jpg
に写っている跨線橋は同一のものと思われます。したがってWikipediaの写真の列車は下り列車、止まっている線路は現在の上本ではないかと思うのですが・・・。

bad.Ⅳh-95さん、興津の坐漁荘の件といい、相変わらずタダモノではないbad.Ⅳh-95さんのコメントですね。

ああ、なるほど今の橋上駅が昔の跨線橋に覆いかぶさるように建造されたのかと思ったら、全然関係なく、神戸方に「逆コ」の字で設置してあったんですね。

「東海道の宿駅から離れて駅が開設された」に関しては予想外のコメントをいただいておりますが、旧街道の宿駅に対して鉄道駅が離れて開設されて新市街地が形成された一例ということで「社会科で取り上げられていた」という、後者の方に私の投稿の力点がありますので、誤解なきよう。
つまり「磐田が旧街道と駅が離れている」などというありふれたことではなく、そのことで「磐田が社会科で取り上げられていた」というのが言いたかったことです。

跨線橋の位置に関しては、私がリンク先の記事の「保存された跨線橋の柱」がその場所にあったと誤解したからなんですが、当然駅舎改築した後に、その空き地に「立てただけ」の柱ですよね。(笑)
よく考えれば、あんなところに残るわけがない。
でもって、Wikipedia の写真は明治・大正のどこかの時点での姿であるとして、レンガ積みに関しては、建造時期が分かれるようです。
大正4年落成の写真
http://www4.tokai.or.jp/nakaizumi/iwataeki-T4.htm
これを見ると、島式ホームになってますね。左端に跨線橋が写っておりますが、この写真以前に建築されたホームを、「ねこじゃらし・K」さんは、開業当時を思われたのでしょう。
開業当時は、先の写真のサイトによると、こんなだったそうです。
http://www4.tokai.or.jp/nakaizumi/iwataeki.htm
これによると、大正4年までに2段階以上、変化したと思われますね。

 もちろん、昔の教科書の編集者を茶化す意図はあっても、磐田駅の鋳鉄製支柱の跨線橋の印象深さを貶める気はありませんので、為念。
 古い跨線橋の改修時には、全市を巻き込んだ論争になったと記憶しています。産業技術遺産としての価値もあったのは確かなようですが。
 結局、一本だけ残されましたが、大騒ぎした結果、好かったのか、悪かったのか・・・・

cubicsさん、貴重な情報ありがとうございます。開業当初の状態からどのような改良がされて大正4年の状態になったのかが大変興味が湧きますね。
そしてまた大正4年の状態と現在とを比べますと、上本→上1、下本→上本、下1(?)→下本となっているわけですので、磐田駅の場合駅前後の不自然な曲線が見当たらないにもかかわらず上記のような変更が行われていたことがはっきりしました。大変感謝いたします。

磐田(いわた)駅  は、
昔は「中泉(なかいずみ)」駅 で。

その地域の歴史=
     =レール・駅配置の歴史でもある わけで。

愛知県内で は、
「JR東海道線の 快速運転+それ以上 で、
「線形改良=曲線を まっすぐに したり」が、
過日、おこなわれていたり も します。

駅の前後に大きな曲線(焼津駅東、島田駅東、菊川駅西、磐田駅東、新居町駅西)がある場合は、線路を振った痕跡が見つけ難いと思われます。

焼津駅は下り側の上り場内信号から下り出発辺りにかけて微妙にずれていますし、用宗駅は下り場内からホームにかけてのカーブに不自然さを感じます。

駅における不自然なカーブの原因の一つに明治時代本州の鉄道は英国の鉄道を参照しており駅も英国式の相対式で造られていたが時代が下がると側線が増えたり相対式を島式に変更したりするすると駅の前後で不自然なカーブが発生するのは当然でしょう
駅の実平面図が有れば不自然なカーブ等の発生の原因が突き止められるのではと思います

Aさん、bad.Ⅳh-95さん、yyoshikawaさん
複線化や線路増で不自然な曲線が生じるのはいたしかたないことと思います。でも東海道線のそれはまた特別ですよね。Aさんのおっしゃる通りその場の状況によっては痕跡が見つけにくい場合もあるように思います。

「橋上駅舎化」の時、

補強で、ホームも補修 していますよね。

>管理人さん

2020年2月14日の午前10時 に
「2020年3月14日からの新ダイヤ の分、
     全国で一斉に発売開始」で。

この時点 で、「東京起点=242.7km」の
「2020年3月14日=御厨(みくりや)」=開業 で。

2020年3月13日の終電以降、短時間での
「JR磐田駅 の構内 の
自動券売機&きっぷうりば=マルス、更新」です。

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