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2013年3月 1日 (金)

黒磯配線図

東北線を北に進み、今回は黒磯駅です。

(黒磯駅の過去の記事は1985年2002年その12002年その2信号機。)

まずは1958年(昭和33年)3月。

195803
・まだ単線非電化の時代ですので、黒磯駅もただの中間駅です。
・中線が設けられていますが青森方から中線には進入できません。但し中線から東京方への進出は可能ですので、下り列車の待避及び東京方での折り返し用といったところでしょうか。この時代でも黒磯折り返しの列車が設定されていたっぽいですね。
・上り列車用の待避線として上り1番線が設けられていますがこちらにはホームがありませんので旅客列車同士の待避はできません。

続いて1972年(昭和47年)2月。

197202
・1959年(昭和34年)に東京方が直流、青森方が交流で電化され、現在に至るまで日本で唯一の地上切替の交直接続駅となりました。
・東京方に直流機用、青森方には交流機用の機留線群が配置され、3番線と4番線の間に機回り線が設けられていることなど、まさに黒磯駅ならではの特徴ある線路配線です。
・東京方から進入できるのは1~3番線、東京方へ進出できるのは1~6番線です。つまり東京方の直流電車は1~3番線のいずれでも折り返しができます。
・青森方から進入できるのは4~6番線、青森方へ進出できるのは1、2、4、5番線です。つまり青森方の交流電車が折り返せるのは4番線と5番線で、3番線は直流電車の折り返し専用ですね。

続いて1980年(昭和55年)3月。

198003
・ほとんど変化はありません。

直流専用機関車と交流専用機関車の存在が地上切替方式を必要としてきました。私の世代ではEF651000とED75ですね。
機関車牽引列車が激減し、EH500の登場で黒磯駅の地上切替設備もその役割を終えるのかと勝手に思っていたのですが、そうでもなさそうですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

こんにちは。
黒磯駅に着くと、東北に向かっているのだと実感します。交直切り替えの駅ですが、ご記載のようにこの駅を通り抜ける在来線の列車が、主に貨物列車ばかりになってから、その設備も最盛期に比べれば持て余し気味なのかもしれません。
以前、偶々この駅で、地上切り替えの場面を見たことがありました。
北から到着した貨物列車、パンタグラフを下げた時には盛大にスパークを発生させ、再びパンタを上げて機関車が唸ったと思えば、南へと走って行きました。
今も要衝の駅、冬は寒さに包まれますが、旅の過程に必ず記憶に残る駅です。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

風旅記さん、おっしゃる通り黒磯駅に着くと東北の入り口に来たという実感がわきますね。黒磯駅の地上切換設備についてもいろいろ取りざたされているようで、ちょっと寂しさを感じてしまいます。

 東北本線の貨物列車は2017年に全列車が交直形式になると聞きました。
 そうすると黒磯は存在価値が無くなり、さびしい思いがします。写真の建物にもJR貨物黒磯機関区の標記が見えました。
 東北本線の電化が進んで黒磯が交直切換駅として1960年に脚光を浴びたとき、白河機関区が黒磯へ引っ越しとして話題になったことを覚えています。
 蒸機がいなくなる白河機関区にとって黒磯への移転は背水の陣だったのでしょう。当時は白河まで高崎局管内だったので単なる管内移動ですみました。ただし人員は黒磯方面からの通勤が多く、歓迎する人も多かったそうです。
 その黒磯機関区が廃止になれば白河機関区からの伝統も消えるのでしょう。当時を知る者にとって複雑な心境です。

既に黒磯を通る貨物列車は全て交直流機に置き換わり、黒磯での機関車交換と仕業検査は廃止になりました。しかし東京と仙台の中間点である黒磯区は乗務員区として重要な存在なのです。

中の人さま。
  
 現実は想像より進んでいるのですね。そうすると貨物列車は乗務員交代のために停車するのみとなります。現在の黒磯情報をどなたか提供いただけませんか。
 列車体系から合理的に考えると貨物列車の乗務員運用は大宮~郡山が最適となります。JR貨物はこういう合理化をクールに進めていますので黒磯の将来が気にかかった次第です。
 50年前に白河から黒磯へ移転しましたが、これから郡山または大宮への移転が発生すれば運命に翻弄された基地と言わざるを得ません。
 全列車の機関車交換という栄光の地を一度訪れたいと願っています。

C6217さん、中の人さん、黒磯駅での機関車交換は廃止になっていたんですか。合理的とは言え、う~~ん、何とも寂しいことですね。

鉄道図書刊行会発行川上幸義著新日本鐵道史下巻P65に日本鐡道時代或は鐡道院時代のと思われる配線図が掲載されてます(鉄道設計参考図面と記載) 基本的な配線は1958年配線図と略同じですが此の時代黒磯には機関庫が存在していた第二ホーム裏に両方向から進入出来る41ft径(12500㎜径)ターンテーブルと其れに平行して三線の機関庫一棟と石炭置き場が有り此の当時黒磯での機関車交換が行われていた
関東と東北の境ここから白河迄勾配区間が続く関係で黒磯に機関庫を置いたのでしょう
最近は交直両用機が増え交直結分界点としての黒磯の立場は昔程は無くなった 唯ここから東京方面は少なくとも首都圏であり最大10輌編成の電車も来る北は編成輌数も短くなり交流電車となり電車的には今も分界点には違い無いでしょう

yyoshikawaさん、黒磯駅は電化によって運転上の重要な拠点になったものと思っていましたが、電化以前から車両基地が設けられていたんですね。

 10月のダイヤ改正で交直セクションが駅間に移設されて、黒磯は直流駅になると発表されました。資料をお持ちの方はご教示ください。
 黒磯~高久は10‰の連続なので下り列車はセクションを惰行で通過するのはつらいでしょうね。特に貨物列車は・・・。
 黒磯を発車後に速度を上げてからセクションへと考えれば相当距離が必要です。

新設のデッドセクションは、構内ぎりぎり北端の那珂川橋梁付近になります。
黒磯以北へ交流電源を饋電する変電所が黒磯駅に隣接して存在しているため、あまり遠くへは持っていくことができないようです。

黒磯駅直流化にともなう、交直セクションの位置ですが、そのことに関する情報が「日本のデッドセクション」のHPに、「黒磯駅の今後」として記載されています。概ね名無しさんが書かれた通りですが、上下線で位置がすこしずれているようです。下り線は那珂川橋梁を渡った先で、上り線は那珂川橋梁の手前の構内ほぼ北端のようです。下り線はC6217さんがご指摘のように速度がそれほど上がらないうちにセクションになりますね。

C6217さん、名無しさん、コスモスさん、セクションの位置を決定する際には勾配との関係も考慮しなくてはならないんですね。勉強になります。

黒磯駅直流化により最終的に構内は現在よりもスリム化されることはほぼ間違いないと思います。(例)宇都宮線と”栃福線”の同一ホーム相互乗換による一面分のホーム廃止など…
そこで気がかりなのは今後の黒磯駅の地位です。
20年前碓氷区間の廃止により行き止まり駅となった信越本線の横川駅は、主に下り特急列車が発着していた番線が廃止され構内も当時の半分近くに縮小された上に直営駅ではなくなり子会社による業務委託駅に格下げになり現在に至ってますが、おそらく黒磯駅も、西那須野駅が新幹線開業で東那須野改め那須塩原駅に那須地区のアクセス拠点の座を明け渡してさびしい業務委託駅になったのと同じ運命をたどる可能性が高いかと思います。
せめて交直転換機や架線のインシュレータの一部を保存して”黒磯駅交直転換歴史館”として後世に残せないものでしょうか?
あと余談ですが、日中のキハ110の列車ですが、新白河で乗り継ぐのは藤田、福島から直で来る列車のみとして、郡山分断分は今まで通り黒磯-郡山間ワンマンの方がいいのではないかと思います。

ねこたろうさん、機関車交換が廃止になっただけでも操車担当要員が削減されているハズですし、交直切替もなくなると単なる中間駅ですよね。唯一の地上切替駅であった記録はぜひ残してほしいものです。

 10/14ダイヤ改正から黒磯にまつわる状況が変わった筈です。どなたか近況のレポートをお願いできませんか。
 貨物列車はすべて通過となったのか? そうであればセクション通過の惰行もずいぶん楽になっこことと思います。

 機関区の名称が黒磯運転支所とあります。どこの支所でしょうか?
 白河の項に白河運転所とありますから白河の? それとも宇都宮の? さらにそれとも全部が宇都宮の支所?

C6217さん
白河の記事にもコメントしましたが、白河も黒磯も宇都宮の支所ですね。

JR化以前は「宇都宮運転所黒磯支所」でしたが、昭和62年4月からはJR貨物黒磯機関区(いわゆる乗務員区)になりましたね。EH500形による通し運転になっても、乗務員の交代の運転停車は行っているのだろうと思われます。最新の貨物時刻表(H30年3月版)を持っていませんが、同時刻表で黒磯駅での運転停車が読み取れるでしょうか。

コスモスさん、機関車の滞泊がなくなっても乗務員区として残っているんですね。

黒磯駅を最初に通った時は、東北南部を周った帰りに、東北新幹線開業前の特急“はつかり”で通過して、車内の照明消えたことである。
北関東を周ったときに、水戸から磐越東線を経て郡山から、ローカル客車で黒磯へ行き数少ない、ED71を期待したが、ED75であった。
翌日、臨時の14系客車の“つばさ”が入り直流のEF65から交流のED75に変わったところを、初めて見た。
上野から急行“八甲田”に乗り、EF58が宇都宮の機関区へ戻し、同じEF58が黒磯へ行ってED75に換わると、同じ東北本線でも首都圏から東北へ入った気になる。と、みんなが言う、みちのくとは聞えは良いけど、読んで字のごとく(陸奥)青森県を指す。客車は12系であった。鉄道ピクトリアルで旧型客車のときは、電気暖房のED75から蒸気暖房のEF58に換わると、車内の温度差に違いがあってEF58の一部も電気暖房に改造されて、高崎線の普通列車で、電気暖房の表示灯が客車から見えた。
EF58の後の荷物列車をEF64を使用していた。地上切り替えの設備が老朽化し、交直流電車及び電気機関車によって、黒磯より北側でデッドセクションになった話を聞くと、どう答えたらいいのかである。
北陸本線は、電車も電気機関車も交直両用となって、全線直流化は設備の負担に莫大な費用がかかる。新幹線によって第3セクター化された路線はJR貨物が管理出来たら良いけど、今は理想でしかない。

ニッシーさん
交直接続華やかりしころの黒磯駅ですね。かつてはあれほど構内に機関車がたむろしていたのが信じられないくらいに変わってしまいました。

本日 駅にいってきました。 子供のころから、とは言っても1970年後半ごろから 慣れ親しんだ駅。 新幹線の工事で駅が仮設され そのあと今の形になり そして ホームをつなぐ高架橋も新設されました。 駅前も整備され 近代的になりました。 そして コロナの影響で 人っこ一人いませんでした。 子供のころに見たあのひっきりなしに電車が来ていた駅。 お弁当売り ホームにあったそばや。 雪の降りしきるホームで 2時間遅れの電車と待った 1980年。 今は遠い昔です。  駅は 新幹線で寂れていき 交直流の役目も終え、 線路は草場ぼうぼう、 かつてのポイント切り替えや機関車の入れ替えに従事していた方の休むところも廃墟。 そして 黒磯駅といえば5番線ホーム。そのホームに何やら工事のフェンスが ありのぞいてみると、線路の上を転がす台車が数台置いてありました。 嫌な予感。 ホームの向こう側に黒磯機関区があり 線路が4線あるんです。 それの一部の線路がはがされている。  いよいよ 来る時が来たのか。 かつてはその線路に 北海道初の蒸気機関車 義経号が北海道からの輸送途中に保管されていた線路ではないかなあ。

上野発の夜行列車降りた時から、 その列車はほぼすべて黒磯を通ったんじゃないかな。

さよなら あなた。。。。

僕の記憶の中に 生き続ける 黒磯駅。

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