掛川 2012/6/2
前回の記事からだいぶ間があいてしまいましたが、2012年6月2日の掛川駅の様子です。
・天浜線の場内信号機はどちらかと言えば東海道線のほうに近い位置に建植されていますね。
・上り本線の神戸方です。
・例によってあからさまに違和感を感じさせるクネクネです。
・二俣本線~二俣2番線は撤去されていますが、二俣2番線に面していたホームの跡が残っています。二俣2番線でも客扱いが行われていたのでしょうか。
・二俣本線と二俣1番線を撤去してホームと同じ高さの通路を設けたため、
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小学生の頃ですから、1975年頃の記憶では上り1番を使っていた記憶は有りますが、本屋側ホームに発着しているのを見た覚えはちょっと無いです。
>下り方の渡り線
2012年現在、掛川発で豊橋以西まで運行する列車が何本か有るようです。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年12月16日 (日) 14時04分
二俣2番線には乗降用のホームはなかったのかもしれませんね。
bad.Ⅳh-95さん、今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
投稿: f54560zg | 2012年12月30日 (日) 13時41分
>管理人さん
年間で、1回or数回ka、
掛川駅の 西側の渡り線 から の
「ドクター東海」の入線、ありますね。
「youtube」に、ありますよ。
投稿: | 2019年7月 8日 (月) 17時35分
静岡市と浜松市の中間で、掛川駅の裏側に新幹線が通っていて、市長から寄付金集めて新幹線の駅を造る話をニュースで聞いた。
上下に退避線のホームの駅を造るには、120億円掛かって、当時人口5万の都市に国鉄には気が向かずであった。
いろんな大企業の支店があって、半分はそこから出ていた。静岡県と掛川市の予算と、他は市民の寄付で、完成させた。自分が出したことで、利用者が増え自元企業にすれば、出張に具合が良くなり、新幹線通勤が出来る様になった。と、地元ではメリットはあったと、隣接する市町村から聞いた。
他の地方都市も、マネするみたいになり‟東広島”
駅がそれらしい?地元民で出さないと、その駅を利用しづらくなるだろう。
直接連絡していないけど、大井川鉄道にも便利がよくなったかもしれない。地元民でないから想像でしかない。
投稿: ニッシー | 2020年4月13日 (月) 09時50分
こだまだけとは言え、国鉄が費用を出さないで設置して、地元の人からの話を聞きたいものである。
投稿: ニッシー | 2020年4月17日 (金) 12時28分
>ニッシーさん。
掛川市内=在住の親戚より、下記の言動があり、
→「掛川市(御中)では、当時の市長の呼びかけで
「当時=人口7万人の時代」に
市民の寄付=
市内の1世帯ずつに10万円を出してもらい」です。
=
だから、掛川の皆さん、「掛川駅」使います。
→
後(ノチ)の「掛川IC」の時 も、この時の寄付=活用。
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こだま号の「掛川に停車」は、
停車の最初は「60分サイクル」では、
「1=40分待ち→ 次=2=20分待ち」で
1時間テでのサイクルが 不安定でした」が、
その後の「ダイヤ改正」で
「60分サイクルで約30分ごと→現在」なっています。
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下り「こだま号」の行き先 は
「新大阪」「or[名古屋どまり」ですが、
ダイヤ改正ごとに「名古屋どまり」,増えています。
投稿: | 2020年4月17日 (金) 13時31分