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2012年10月18日 (木)

菊川 2012/7/21 その2

菊川駅のその2です。

菊川駅2番線から見た1番線ホームです。

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・擁壁は、上のほうは石かコンクリートのブロックのようなものが積み上げられていますが、下のほうはレンガ積みですね。黒ずんでいますのでちょっとわかりづらいですが。

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・東京寄りのほうはレンガらしい色になっています。かなりの歴史を感じますね。

今度は1番線から2番線のホームを見てみると、

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・やはり同じようですね。下半分はレンガ積みになっています。

さらに駅の裏側にまわって3番線のホームを見てみましょう。

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・う~ん、上から下までコンクリートでしょうか。少なくともレンガの匂いはしませんね。

他の場所は、というと・・・

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・どこも一緒ですね。3番線のホームにはレンガは見当たりません・・・ということは?

これらから推測できることは、

・1番線と2番線は、はるか昔(レンガの構造物が一般的だった時代。ひょっとしたら開業当初かも)に設けらた。
・3番線は1、2番線と同時期に設けられたものではなく、もはやレンガの時代ではない頃になってから設けられた。

ということではないかと。

つまり、はるか昔は、

T1

(菊川駅開業当時は単線ですが、ここでは便宜上複線としておきます。)

であったものが、今は

T6

となっていることだと思うんです。

ただ、2線のAから4線のFにいきなり改修されるというのもちょっと不自然な気がしますので、その間に

T2

とか

T3_2


とか

T4_3


さらには

T5_2

といった3線の時代があったのではないかと思うんです。すなわち、

・A→B→F
・A→C→F
・A→D→F
・A→E→F

といった経過を辿っているのではないかと。

これらを個々に考えた場合、

●A→B
・最も安上がり。
・「中線を設けない」という東海道線の思想(?)にも合う。
・興津、鷲津、天竜川、西小坂井など、Bの実例が存在する。
などから、結構可能性が高いかも。

●A→C
・富士川、蒲原、舞阪、二川など、Cの実例が存在する。
のはプラス要因なのですが、
・上り本線を移設するのでちょっと大変。
・A→Cで下り本線の移設を嫌ったのにC→Fで下り本線を移設するのはちょっと不自然。
といった点がマイナス。

●A→D
・上下本線とも移設しなければいけないのでさらに大変。
・Dの実例が見当たらない。
ことから、可能性は低そう。

●A→E
・A→Cと同様上り本線を移設するのでちょっと大変。
・Eの実例は東田子の浦と共和ぐらい。しかも東田子の浦は1949年(昭和24年)の開業、共和がEに改修されたのは1960年(昭和35年)以降と、いずれも歴史が浅い。
なのですが、
・全国的に見れば3線タイプとしてはEが最もポピュラー。
というのが強みですね。

また4線化するにしても何もFでなくとも

T7

T8

でもいいわけですが、米原を境にはF、西はG・Hとはっきりと違いが見てとれることを考えると、これは線路配線設計の思想の違いによるもののように感じます。

米原以東の東海道線においてはとにかく「中線は設けない。副本線は外に出す」という思想が貫かれており、その思想の元となったのはharahoroさんのコメントのとおり、「貨物列車の入換の際に本線を支障しなようにすること」ではないのかと思うのですが。

ですので個人的にはA→B→Fが最も可能性が高いのではないかと思っているのですが、自信はアリマセン。

昔の配線図とか、昔の写真とかがあれば一瞬にして解決してしまうんでしょうけれど・・・。

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コメント

もともと単線ならば、下り副本線を新たに設けたのではなくて、現在の下り副本線1#、下り本線2#が当時の下り本線と上り本線ではないかと。赤い線を引いた写真を見ていると、当時は下り副本線が赤線の通り直線、当時の上り本線が現在の下り副本線につながっていたのではないでしょうか。そのほうが線形が合うと思います。その後、複線になった際、CかEになったか、いきなりFかはわかりませんが、上り本線から下り副本線へ貨物を転線させるために、21イロを設けた際、23を膨らませて無理やり下り副本線の有効長を確保したように思います。場内信号機をもう少し起点側にずらしたりすれば、上下渡りの分岐を起点側にずらせたのかもしれませんが、用地買収の理由や、先にできた上り本線との位置関係で無理だったのかもしれませんね。こうやって配線を考えるのも面白いですね。

 言い出しっぺとしては、なんとか真実に近い答えが出れば好いと期待しています。
>ホーム擁壁
 本屋側にホームがある駅の大半は最下層に煉瓦積み擁壁が残っていますから、何かのヒントになるかも、です。
>行き違い線
 昔のTMS別冊、シーナリィ・ガイドやレイアウト・テクニックの記事では、行き違い駅では左右分岐を対向させて使用するより、右分岐同士を対向させる例が多い、と解説されていましたが、その辺はどうでしようか。

harahoroさん、
>現在の下り副本線1#、下り本線2#が当時の下り本線と上り本線ではないかと
ホームの擁壁の様子から判断してそのように思っています。下り副本線は新たに設けられたものではなく、元々下り本線だったものと思っているのですが・・・。
bad.Ⅳh-95さん、責任重大ですね(笑)。
分岐器については、経験的ですが、ローカル線の場合は両開き、幹線ではおっしゃる通り右分岐を使用するパターンが多いように思いますね。少しでも進入時の速度を上げるため進入側は直線とし、進出時はさほど速度が出ていないので分岐側としているのでしょうか。

>管理人さん

東海道本線「菊川(きくがわ)」駅 は、

「1番線は、重要なホーム で、
夜間停泊=上&下 =1編成づつ」です。

「youtube」で、
下り「サンライズ瀬戸・出雲」が菊川駅 通過」で、
「1番線ホーム=上&下の 夜間停泊」 あります。

名無しさん
情報ありがとうございます。

>管理人さん

現「菊川(kikugawa=きくがわ)」は

開業時は「堀之内(ほりのうち」で。

その昔、
駅前からの「堀之内軌道」の区間 が廃止の後、

現在の路線バス「菊川駅前~浜岡営業所」に。

>管理人さん

「1番線=駅本屋側」です。

位置は、昭和の時代=昔と、なんら変化ない です。

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