中山宿 1987/7/25 動画
いい気になって、今回はスイッチバックつながりの動画です。
時は1987年(昭和62年)7月25日、場所は中山宿駅です。
相変わらず、
・画質悪
・ノイズ多
・手ブレ大
・構図悪
ですが、ご容赦ください。
http://www.youtube.com/watch?v=M6F7lvQ3wxE
大まかな内容は、
1)中山宿駅の全体風景。
2)2224M(会津若松発郡山行き、455系3連が到着。
3)同出発。
です。
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会津若松の稿でコメントしましたが1966年頃の夏の家族旅行で福島より磐梯吾妻スカイラインで裏磐梯へ行った帰路会津若松より客車急行で東京に戻る折中山宿駅に停車 会津若松行列車を待機すれ違った列車はD60牽引でした 動画を見ていたら丁度同じ位な位置でした
然し動画を見て居ると感ずるのですが本来水平な退避線に勾配が有る様に見えるのは目の錯覚ですね
投稿: yyoshikawa | 2015年5月14日 (木) 09時09分
yyoshikawaさん、私にもそのように(勾配が有る様に)見えるのですが、きっと錯覚なんでしょうね・・・。
投稿: f54560zg | 2015年5月17日 (日) 18時07分
国鉄時代は、ローカル客車の長距離鈍行を乗り回して、特急‟つるぎ”で新潟へ行き、敦賀第2機関区へ配置された‟EF81”が牽く列車で、最初に北陸トンネルを通った列車である。
磐越西線のディーゼルカーで喜多方へ行き、当時は日中線があり、2両の客車が停まっていた。DE10が来て、熱塩まで往復して通常はディーゼルカー1両で間に合う路線で、車掌が旗降って機関車を誘導していた。
磐越西線は、喜多方まで電化していた。会津若松で、列車の向きが変わることで、DD51の列車で手前で降りて、翌日DE10と日中線の客車を繋いだ列車で会津若松へ行った。更に翌日‟ED77”の普通列車に旅先で知り合った彼女と郡山へ行った。乗っていた列車が、駅から離れて通ったことに彼女が不思議に感じた。引込線へ入って停まり、バックして駅へ入ることを言った。そこが‟中山宿”であり、丁度下りの普通列車が入った。何年か先にJR東日本になって‟ED75”になり、特急電車では当然駅に入らずである。
蒸気機関車の時は、勾配線の途中には止められなくて、各地で引込線型スイッチバックは見られて今電車になって、和歌山線の北宇智は、駅から引込線の線路の上に駅が有り、ここ‟中山宿”は別の所に移動していたことをテレビの番組で知った。
私に取って、スイッチバックは北陸トンネル開業前の旧線である。山中信号所である所に集落があり、当時の客車の扉は自動でなくて、運転停車に合わせて利用し、貨物列車の車掌車に乗って今庄まで通学していた。葉原も信号所、敦賀よりの新保は駅であった。
投稿: ニッシー | 2020年3月21日 (土) 20時00分
ニッシーさん
>旅先で知り合った彼女
この文言に釘付けです。
投稿: f54560zg | 2020年3月22日 (日) 21時28分