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2012年9月23日 (日)

金谷配線図

越すに越されぬ大井川を難なく突破して今回は金谷駅です。

まずは1960年(昭和35年)頃。

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・まあ、とにかく特異な配線ですね。神戸方はすぐ牧の原トンネル、東京方はR400のカーブと10‰の勾配といった状況下で大井川鉄道との接続を行うための苦肉の配線なのでしょうか。中1番線の存在と大井川鉄道への渡り線の位置がポイントですね。
・中1・2番線付近に4つ描かれた、信号機を一回り小さくしたような記号、
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これはいったい何でしょうか。
・それにしても下り本線の有効長820mって・・・・。

続いて1967年(昭和42年)1月。

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・ダブルスリップが登場しました。特異性が1ランクUPしましたね。
・でも何のためのダブルスリップなんでしょう。安全側線ではなさそうなので引上線?それにしては短すぎる?機関車折り返し線?

続いて1972年(昭和47年)4月。

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・1971年(昭和46年)に貨物取り扱いが廃止(大井川鉄道との連絡貨物は継続)されていますが、貨物側線に変化はありません。
・中1番線に大井川鉄道への出発信号機4Lが出現しました。
・運転開始がいつなのかはよくわからないのですが、少なくとも時刻表1972年4月号には静岡←→千頭直通の快速「奥大井」が記載されていますので、上記4Lはこの列車に対応するための設備かと思われます。下りの場合はおそらくは静岡方→下本(客扱い)→24R(牧の原トンネルに突っ込む)→20L→中1番線→4L→千頭方、上りの場合は千頭方→上本(客扱い)→静岡方、かな?(上本には列車停止標識が記載されていませんが。)どのような入換が行われていたのか、大変興味深いですね。
・ところでこの快速「奥大井」、島田駅は通過なんですよね。これもちょっと不思議。
・中1番線から神戸方への出発信号機6Rの建植キロ程が212.968km、4Lは212.893kmですから、この間わずかに75m。もし仮に「奥大井」が20m車4両編成以上の場合は有効長内には収まりきらないですね。神戸方の最後尾が下り本線を支障することはないのかも知れませんが。
・神戸方から東京方面行きの列車が中線に進入する場合、場内信号機8LCの注意現示で進入して停止現示の出発信号機3Lの手前で停止するわけですが、この間異なる進路とはいえ停止現示している4Lの脇を通過することになるわけで、これまた奇異な印象を受けますね。

続いて1978年(昭和53年)3月。

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・配線図上からは貨物側線が撤去されたのとダブルスリップがもう一つ増えたことが読み取れますが、実際にはそれ以上の大きな変化がありました。
・開業時から使用されていた上り線の牧の原トンネルが老朽化したため、下り線の海側に新トンネルを建設して1975年(昭和50年)に下り線をこれに切り替え、その後旧下り線トンネルの改修を行って1977年(昭和52年)に上り線をこれに切り替え、旧上りトンネルは廃棄されています。すなわち、神戸方においては1線分以上は全体的に海側にシフトしているんです。貨物側線があったあたりは下り本線か下りホームに転用されているものと思われます。
Photo
・上は国土画像情報カラー空中写真昭和50年度で、下は最近と思われるYahoo地図です。上の写真では上り線は旧トンネルのままですが、下り線はすでに新トンネルに切り替えられているようです。下の写真では上り線が旧下りトンネルに切り替えられ、旧上りトンネルは廃棄されています。
・大井川鉄道への出発信号機は中1番線から中2番線に変更になりました。ということは中2番線は晴れて本線に昇格、ということですね。
・中2番線の有効長は100mくらいはありそうです。ダブルスリップを設けた目的は中2番線の有効長確保のためなのかもしれません。
・上り本線には大井川鉄道からの列車に対する列車停止標識が記載されています。これなら納得です。
・また、時刻表1975年3月号及び1978年10月号には前述の快速「奥大井」の他に浜松から大井川鉄道に直通する快速「すまた」が掲載されています。これまた難解ですね。
・上り(浜松発)の場合素直に上本→千頭方といきたいところですが、上り本線には大井川鉄道への出発信号機が設けられていません。従って、①上本で客扱い後入換でいったん東京方に引き上げて中2番線に戻り、それから出発②上本で客扱い後入換でいったん千頭方に引き上げて大井川本線に戻り、そこから出発のいずれかではないかと思うのですが。
・下り(浜松行き)の場合も?です。いったん中1番線もしくは中2番線に進入・停車し、入換で牧の原トンネルに突っ込んだ後下り本線に戻り(ここで客扱い)、そして出発、ぐらいしか思い浮かばないのですが。
・いずれにせよ、「そこまでして直通させるの?」というのが正直なところですね。

続いて1989年(平成元年)2月。

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・1983年(昭和58年)に大井川鉄道への連絡貨物輸送が廃止され、また時期はよくわかりませんが前述の「奥大井」「すまた」の運転も廃止されたのでしょう、大井川鉄道への渡り線は撤去されてしまいました。
・配線図には4Lと上本の列車停止標識に関する文字が残っていますが、これは「消し忘れ」ですね。
・これにより中1番線は側線に戻ったことになります。

続いて1992年(平成4年)1月。

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・変化はありません。
・4Lと上本の列車停止標識は相変わらずです(列車停止標識は記号まで復活しています)。

最後に2003年(平成15年)4月。

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・かつての大井川鉄道への渡り線の保守基地線に分岐器が増えていますが、これは誤記のようです。

金谷駅構内における「奥大井」「すまた」の入換については触れましたが、これ以外にも大井川鉄道連絡貨物を含めた金谷駅での貨車の入換も実にナゾが多いですね。43-10貨物時刻表を見ますと、金谷で停車する貨物列車3~4往復程度の他に金谷行き・金谷始発という貨物列車(他端は東静岡・島田)も3往復存在しますので、それなりの入換作業が行われていたのではないかと思いますが、どのような手順で入換作業が行われていたのか想像できません。
このあたりをご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えていただきたいな、と思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 変な記号は、可能性として「入換標識反応灯」かも知れません。
 金谷駅は牧ノ原台地の中腹に大きなSカーブを描いている駅ですから。
>大井川鉄道乗り入れ
奥大井号やすまた号は、上り、下りいずれかを金谷での客扱い無しで転線していたと思います。
>あと
金谷駅本屋前あたりに渡線車の設備があったはずですが、図上には無いですね。

bad.Ⅳh-95さん、反応灯だとすると主体の入標の番号が書かれているハズなんですが、それが1とか2なんですよね、何かヘンなんです。
47-3、50-3、53-10、55-10の時刻表を見る限りでは奥大井、すまたとも上下とも金谷駅の発時刻が記載されていますので客扱いはされていたのではないかと。

大井川鉄道受け渡しの貨物列車の小運転でわずか3両しかないEF18が来ていたので何度か訪問したことがあります
ちなみに蒸機列車に乗るために訪問したのは一度だけです
あらためて記載されていることを考えると不思議な配線ですね

>乗り入れ列車
 そうすると、トンネル内に引き上げて転線、というコトになるのでしょうか…?うーん…。
>反応灯
確かに、主体となる入信、入標の記号・番号はありませんね。
手元にある(株)中央書院刊「信操技術の解説」昭和59年改訂版では、少なくともこの記号は「入換標識反応灯」なんですよね。
ただ、昭和35年の図にある記号は、上記書の初版発行の昭和42年頃迄に改訂されているかも知れません。

お邪魔します。つるたま、です。
信号の配置から見ると旅客の説明は東海道線で客扱いをせず大井川鉄道の金谷駅のホ-ムで説明が付きます。〔すまた〕・〔奥大井〕は80系の4連で運転されていました。実際は構内扱いの運転になるから小出駅と同じ方法かな?
貨物列車については
浜松方面から来た列車は一番後ろに連結して中1で解放して中2で連結することが可能ですねえ。
静岡方面から来た列車は中1・中2の手前で停止後に機関車の次位の車両を中1で解放して中2で連結する。
そうすると大井川鉄道機が構内を走行しますけど特例処置の可能性がぁあります。
一番古い配線図が昭和35年なので大井川鉄道があ中部電力から移管されて一年後なので・・。

○直通電車

 当時、80系や111系、113系が乗り入れていたようですが、4両編成で乗り入れていたハズです。111系や113系には当時クモハなんて無いはずですし。
 Wikipediaでは静岡方からの直通の場合中線停車→上り本線神戸方引き上げ→上り本線客扱いの入れ換え手順が書いてありますが、大井川鉄道の出発信号が無いのが気になります。

http://plaza.rakuten.co.jp/asunarokikansya/diary/201109270000/
 ↑これを見る限りだとやっぱり中線から直通電車は発車していたみたいですね。少なくとも静岡方面からは。


○貨物

 大井川鉄道の電機が国鉄構内の入れ換えもしていた……という記録を読んだ気がします。Wikipediaにもそのように書いてありますね。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/ooigawa/ooigawa2.html
 ↑のページでは大井川鉄道電機が中2にいるところの写真があります。

 金谷~新金谷ってまだスタフ閉塞なんですね。直通があった頃はタブレット閉塞でした。

>つるたまさま

 中線でタブレットを受け取っている写真が残っています。もし、大井川鉄道金谷駅に一度入線するとすればタブレットを受け取るのは、大井川鉄道金谷駅で……ってことになると思います。ですので、大井川鉄道金谷駅で客扱いはしていないのではないでしょうか。

KJ様、補足情報有難う御座います。
貨物列車は中2から発車していましたねえ。
そうなると上本に大井側川鉄道の信号機がないと旅客列車〔静岡方面から〕の方は中線→浜松方上り引き上げ→上本停車→静岡方引き上げ→中1戻り→大井川鉄道入線になりますけど、かなりの手間が掛かりますが単純に考えると静岡方面からの列車の国鉄金谷駅の通過の方が合理的ですが。国鉄金谷駅での旅客扱いすると上本の閉鎖状態が長く続きますが?時間の省略するには先頭車と交尾車に乗務員が乗車していると短時間ですみますが?
また国鉄と大井川鉄道の乗務員の交代の場所が気になります。
また浜松方面への入れ替えが面倒ですねえ?

 特記なきは1978年当時の配線図で書きます。
 それぞれの直通電車の入れ換えについて考えてみました。

○静岡方→千頭方

 http://plaza.rakuten.co.jp/asunarokikansya/diary/201109270000/
 上記のページを見る限りですと、時期はSL復活後の1976年~1985年と思われますが、中線でタブレットを受け取っています。とすれば、中1/中2→4L→大井川鉄道という流れになっているはずです。
 よって、管理人様のおっしゃるとおり以下のような動きになるのではないでしょうか。Wikipedia金谷駅の記載は誤りの可能性があります。

 静岡方→下本(客扱い)→22R(牧の原トンネルに突っ込む)→20L→中2→4L→千頭方


○千頭方→静岡方

 逆の場合は単純で管理人様のおっしゃるとおりで確定と思われます。

 千頭方→大井川鉄道場内→上本(客扱)→2L→静岡方


○浜松方→千頭方

 この場合、普通に考えれば「浜松方→上本→大井川鉄道出発→千頭方」となるはずです。もし、本当に上本に大井川鉄道の出発信号がないとすると、以下の2通りになるはずです。

[中2番線から発車]
 浜松方→上本(客扱)→14L→上本静岡方→9R→中2→4L→千頭方
[大井川鉄道から発車]
 浜松方→上本(客扱)→14L→千頭方→大井川鉄道千頭→千頭方

 国鉄直通列車の取扱統一の観点からなんとなく中2番線から発車してるんじゃ無いかと思います……が推測に過ぎません。


○千頭方→浜松方

 2パターンあるのかなぁ……と思うのですが……。

[下本から発車]
 千頭方→中1/中2→24R/23R→下本浜松方(トンネル)→20L→下本(客扱)→5R→浜松方
[中1から発車]
 千頭方→上本(客扱)→14L→上本静岡方→9R→中1→6R→浜松方

 どっちかだと思いますがどっちなんでしょうか。
 素直に、金谷を運転停車にしてしまえば、入れ換えもしなくて済むのに……って思うのですが。


 ※色々解釈とか間違ってたらご指摘いただければ幸いです。

KJ様詳しい説明有難う御座います。
色々と検索していましたが80系・111、113系・155系と車両があ変わる度によって入れ換え方式が違う様ですので正式回答があ不明です。
果たしてどれが正解なのかは謎です。


bad.Ⅳh-95さん、つるたまさん、KJさん、直通列車の入換についてのコメントありがとうございます。
●静岡方向からの「奥大井」について
・KJさんのおっしゃる通りかと思います。
・根拠は、
 ①上り線神戸方(43イよりも神戸側)に入換標識がない(下り線の20Lに相当するものがない)。
 ②上り本線から千頭方への出発信号機がない。
 ③KJさんご紹介のサイトにあるように中線で通票を受け取っている(通票を受け取った後は入換はできないので、中線からの発車と考えられる)。
・すなわちWikipediaの記述は誤りですね。
●浜松方向からの「すまた」について
・こちらは難しいですね。
・浜松→千頭については、KJさんおっしゃる通り千頭行き「奥大井」が中線で通票を受けとるのであれば千頭行き「すまた」も中線で・・・、というのは大いにアリかな、と。
・であれば、静岡行き「奥大井」が上本で通票を渡すのであれば浜松行き「すまた」も上本で・・・、かな? 大井川鉄道線の場内信号機が描かれていませんので推測になるのですが、千頭方から中1または中2への進路が設定されていない(つまり千頭方からは大井川本線もしくは上本にしか入れない)ような気もするんですよね。と言いますのは、
①中2の23R付近に列車停止標識が描かれていないので、千頭方→中2というルートはなさそう。
②上本に設けられた列車停止標識が(7R)になっている。これがもし(7RD)だと、千頭方→中1というルート7RCが存在していそうな気になってくるのですが・・・。

○すまたの入れ換え

http://nakkacho.fc2web.com/sitetu_photo/oigawa/oigawa04.htm
 このページの下の方に「すまた」はトンネルに突っ込んで停車したというようなことが書かれています。奥大井と混同している可能性もありますが、この記述を信じるとすれば下本で客扱をしていることになるかと思います。上本客扱だとトンネルに突っ込んで停車ということは無いはずです。


○大井川鉄道からの進路(貨物列車のやりとり)

 大井川鉄道からの進路がどうなっているのかということを考えるには、貨物列車のやりとりをどのように行っていたか、というのを考える必要があると思います。

 金谷発着について考えてみました。運用効率を考えると、国鉄側大鉄側共にほぼ同時刻に到着するのではないかと予想します。
 国鉄からの貨物列車:静岡方→1RC→中1静岡側(ここで終着)
 (入れ換え開始)中1静岡側→11R→中2(機関車切り離し)
 国鉄機関車:中2→23R→中2引上→21L→中1→13L→中1静岡側
 大鉄からの貨物列車:千頭方→中1(機関車切り離し)
 国鉄機関車:中1静岡側→11R→中1(大鉄からの貨物と連結)
 大鉄からの貨物列車:中1→13L→中1静岡側→3L→静岡方
 大鉄機関車:中1→13L→中1静岡側→11R→中2(国鉄からの貨物と連結)
 国鉄からの貨物列車:中2→4L→千頭方

 ってな感じに予想してみました。

 そうすると、大鉄の貨物列車は中1に入るのが前提になると思うんですよね。逆に言えば効率を考えると上本も大鉄ホームに入るのも効率が悪いような……。

 ちょっと分からないんですけど場内信号で停止、そこから入れ換えするっていうのは可能だったりするのでしょうか。知識不足でちょっとわかりません。

快速「すまた」は、①だったと記憶しています。
『上り本線には大井川鉄道への出発信号機が設けられていません。従って、①上本で客扱い後入換でいったん東京方に引き上げて中2番線に戻り、それから出発②上本で客扱い後入換でいったん千頭方に引き上げて大井川本線に戻り、そこから出発のいずれかではないかと思うのですが。』
子供の頃、変な運転の仕方をしているなぁと思っていました。

KJさん、やまさんさん、コメントありがとうございます。
いろいろ探していたら下記を発見しました。
http://www.namikilab.tuat.ac.jp/cgi-bin/ImgDB/gensrc?Kikou/Src/kanaya+c3
この中に「金谷駅での貨物の受け渡し」というそのものズバリのような項目があり、いろいろなことがわかります(これと合わせるとさらにわかりやすいかも)。http://www.namikilab.tuat.ac.jp/cgi-bin/ImgDB/getcut?n0056+3-6
①1、2枚目の写真から
国鉄の貨物列車は中1番線に到着するが、6Rまでは進まずに11Rのところで停車する。
②3~6枚目の写真から
多分中1→中2→貨車(ホキ+ワフ)解放→機関車のみ引上線→中1→中1の東京方で待機、でしょうか。ホキ+ワフの姿が見えませんので推測になりますが。
③7枚目の写真から
少なくともこの位置までは大井川鉄道の貨物列車は「列車」として進入していますね。推測になりますが、多分場内信号機の内方には進入しているのでは?つまり単に停止位置が手前なだけなのではないかと。国鉄の貨物列車が6Rまでは進まずに11Rの手前で停止しているのと同じことなのかも。
④8、9枚目の写真から
このあと大井川鉄道の貨物列車は誘導されて中1に進入する(多分中2にはホキ+ワフがいるはずだから)。KJさんの推察の通りですね。
⑤11枚目の写真から
大井川鉄道の貨物列車はバックしてEF18に連結する。
⑥この後の写真はありませんが、多分貨車解放→中2→ホキ+ワフに連結→千頭方に出発、となるのではないかと思います。
国鉄側はおそらく規則で最後尾にワフを連結していますが、大井川鉄道側では機関車の次位がワフになります。大井川鉄道側には「最後尾に車掌」という規則はなさそうですね。
貨物列車が入換で千頭方から中1または中2に進入ならば、浜松行きの「すまた」も入換で中1または中2→下本神戸方引上げ→折り返し下本(客扱い)→神戸方出発、なのかもしれませんね。そうであればKJさんのコメントとも合致します。
いろいろとナゾの多い金谷駅での入換ですが、やまさんさんのコメントやKJさんの推察でかなり解明されたように思います(KJさんの推察、かなり当たってます)。
それにしても下り線が新トンネルで上り線がまだ旧トンネルという時代の貴重な記録ですね。

こんにちは。いつも興味深い内容ありがとうございます。久しぶりに書き込みます。

伝家の宝刀昭和50年東海道線ダイヤを引っ張り出してみました。

ところが、これだけではあまりお役に立てそうにもありません。やはり構内作業ダイヤとか運転時刻表が必要そうです。構内作業ダイヤが一番ですね。

で、列車ダイヤを見てみると、またみなさんの頭を悩ませてしまいそうな面白いことが点々と出てきます。まとめてみます。ただ、こんな稚拙な文章でどうこういうより、一度みなさんに見て頂いた方が早いと思いますが・・・(笑)。

●え-、まず中1番線発車と思われる、上り列車が「中3番線」になっています。思われると書いたのは、上り列車に付いて言うと中1番線が無いのです。なによりも、今もそうなっていると思いますが、静電の試運転の折り返し駅として中線が重宝されているのですが、その「試8563M~試8564M」が中1着の中3発になっているのです。たった10分で折り返していますし、転線しようにも他に線路も考えられないので、おそらく中1、中2から続いて、中線の東京方を中3番線と呼称していたのではないかという推測です。なお、現在では通しで中1番線になっていますね。運転時刻表でも今では試運転は中1着発になっています。

●大井川鉄道直通電車のみ、国鉄ダイヤに時刻が表記されている。
はい、貨物列車も国鉄の着発線を使用するのだったら到着時刻だけでも記載してあれば良い物を、記載がありません。
で、本当に役に立たないのですが、大井川鉄道直通電車については、着発線記号が省略されていますorz。到着番線も省略されているのか不安が残りますが、ただの省略でなければ、下り本線着と言うことなのですが・・・。ただ大井川鉄道への発車は物理的に不可能ですから、大井川鉄道への列車はただの省略と判断できます。

静岡からの直通電車 2本設定だったのか、時刻表を見ないと分かりません。

◆8621M 9:21”30着 9:25発
たった4分30秒ですが、これだけ時間あれば転線は可能ですかね・・・。あとは、後部運転台にはすでに大井川の乗務員が乗っていて大井川乗務員が、大阪方→中1番線の入換をしていれば可能な時間とは思われますが、とはいえ難解です。
ちなみに駅にいる時間には他の下り列車は通りません。

◆8623M 14:39着 14:41発
難解です。難解。もちろん、これには着発線符号がついていません。ってことは下本着?????
いえ、2分で発車はどうあがいても出来ないように思います。京急もビックリ。
そうして気になるのは、隣の島田駅と金谷駅との間の運転時分です。8621Mが5分なのに、8623Mは6分30秒もかかっています。想像ですが、もともと中1番線着発で、金谷での客扱いを実施しなかったのではないか?
これは、時刻表を見ない限り分かりませんが、誤記でなければ、2分で客扱い・入換は不可能に思います。

◆8622M 17:16着 17:19発
順当に上り本線で良さそうですね。で、わからないのが、上りが1本しか見あたりません。他に回送列車も無いので、日によって、8621Mと8623Mを使い分けていたのでしょうか? 
たとえば、浜松からのすまた運転日は8623Mとか・・・。これは時刻表を見た方が早そうです。

浜松からのすまた号
まず昭和50年改正では列番が奥大井と違って9000番台になっています。

◆9448M 10:11着 10:13発
これまた悩ましいです。誤記でなければ、2分しかありません。たしかにタブレットならば出発信号機は無くてもいいんですが、ってそれは背向の転てつ器で他に進路がない場合。上り本線から大井川鉄道への進路の鎖錠を保証できるものは入標しかありませんよね・・・。でも2分で入換できるものかしら・・・。

浜松行きのすまた号。
◆9449M 12:29上本着 12:43”30中1発

ようやく順当なのが来てくれました。おまけに大井川鉄道からの列車なのに、着発線符号が付いています。下り列車だからでしょうか。「上本」着指定です。そして13分も止まってくれます(涙)。十分に入換えできますね。

ちなみに、直通列車といいながら、奥大井もすまたも快速とは名ばかり、普通列車より所用時分がかわらないもしくは、逆にかかる代物みたいです。平行ダイヤだし。乗り換えがないだけの存在だったのかもしれません。
特にひどいのは浜松行きのすまた号。金谷到着して、1分45秒後に発車する2157Mに乗り換えれば、13時12分には浜松に到着できます。
ところが、直通浜松行きは金谷で13分止まったあげくに、次の菊川駅で後ろの貨物を先に通すために6分停車。そうして、その貨物の後走りの平行ダイヤで、普通列車よりも各駅の所用がかかっています。そうとうのんびり走っていたのではないかと・・・。そうして到着は13:39分。なんと30分も後に浜松到着です(笑)。

こんなサイトも見つけました。
http://www.geocities.jp/kokutetsu1980/contents2-1-9.html

tercelさん、ステキなコメントありがとうございます。
●中3番線
tercelさんのおっしゃる通りかも。試8563M~試8564Mが中3着/中3発でないのがちょっとひっかかりますが。
●静岡からの直通電車
時刻表50-3では、午前の8621Mは休日運転、午後の8623Mは土曜運転、8622Mは土日運転となっていますので下りは土・休で使い分けていますね。 それにしても2分ですか・・・。
●9448M
やまさんさんのコメントでは上本→東京方→中2→千頭方なのですが、2分では無理・・・。
●9449M
上本着ですか。13分停車ですか。なぜか安堵感が。結局マトモなのは8622Mと9449Mだけですね(汗)。
●リンク先
9448Mにも乗ってほしかった・・・。

でもまあ、それが真実かどうかは別にしても、あれこれいろいろと想像をめぐらすってのは実に楽しいですね。すんなりいくよりも難解な方が余計に。悩ましい情報をご提供いただいた皆様に感謝いたします。

何の因果か、東海道線は魔界のダンジョンのようで…
まあ、攻略する方としては面白くて仕方ないのですが…

魔界に迷い込んでしまったのはbad.Ⅳh-95さんのせいである部分が結構大きいような・・・。

 とはいえ、7月以降、改めて県内各駅を眺める機会を得る事が出来ましたので、本人としては、ひたすら楽しいです。
 あと、三島広小路から下土狩に向かって旧駿豆線用地の痕跡が残っているのをぐぐるあぁすで確認できました。
 他にもありますが…

金谷駅って推理小説を読んでるような複雑で入り組んだ駅だな、とつくづく思ってしまいました。

昔、金谷駅から
  当該の「快速」に 乗った経験 が あります。

(「下り」「上り」は、金谷駅=基準)

快速「奥大井」 は、
「下り」は
金谷駅「下りホーム」で客扱いし、
その後、トンネルに入り 停止→
→ポイント切り替えにより、
      方向は逆になり、中線に入り→
→大井川鉄道との分岐 を 通り→千頭へ。

「上り」は、
大井川本線との分岐から、
そのまま「国鉄金谷駅 上りホーム」に入り、
客扱い後、東海道線を 東に。

快速「すまた」 は、
「下り」は、
「金谷駅 上りホーム」で客扱いし、
そのまま、分岐から 大井川鉄道線に。

「上り」は、
分岐から、いったん中線に入り、
トンネルまで行き、停止→
→逆向きに戻り、「金谷駅下りホーム」に停車。→
→客扱い後、浜松に向けて西進。

その昔、
東京からの「サロンエクスプレス東京」も、
ここの「渡り線=利用」で、
     大井川本線に「入線」 していますよ。

またまた悩ましい情報ありがとうござます。
浜松→千頭の場合は上本から直接大井川がフツーですよね。1978年以前においてこれが不可能だった理由は信号設備の関係ですから、その後設備が改良されて上記が可能になったのでしょうか。浜松行き「すまた」も同様に。
サロンエクスプレス東京!!!! これって7両編成? 機関車の付け替えは? プシュプル? どうやっていたんでしょう・・・。

「千頭」方面に乗り入れ時 の
「サロンエクスプレス東京」 は、
確か、中線で、機関車を付け替えた もよう。

ちょうど、その当時、
「金谷駅の 北側の住宅地 =同じ目線 の、
       かなり離れた場所」 でも、
その「付け替え作業」を、
      見ることが可能 でしたから。

もちろん、
     千頭方面乗り入れ ですから
「サロンエクスプレス東京」進行方向 は
「金谷駅の中線→分岐→新金谷方向」 で。
    (=金谷駅のホーム は、寄らず。)


快速「奥大井」「すまた」 は
「臨時電車枠 だから、
定期の電車・列車を先に通した」 であり、
「そのダイヤ上、一切 問題等、ない」で。

    「実際、その昔=あった「快速」   」。
・静岡~沼津・三島
・静岡~富士宮(=富士宮「1番ホーム着」)
・静岡~浜松
・西富士宮~沼津・三島(=「あさぎり」号 接続)
     (富士~沼津=20.0kmは ノンストップ)
・静岡~千頭(「奥大井」)
・浜松~千頭(「すまた」)

過日、
東海道線=「普通電車の 増発」
      or
大井川線=「駅舎を 別に設けた」
      or
金谷駅=「駅長が、配置されなくなった」等、
それぞれの「諸般の事情」 で、
その後=「快速運転 が
        されなくなっていった」が、ありますよ。


さらに、
「2012年3月17日改正」の
短冊状の『時刻表』 を 見ると
静岡~浜松=76.9km では
   所要時間 で、
ホームライナー=「58~62分」で
普通電車でも「70分~78分」だから、
「わざわざ 途中の駅を 飛ばさなくても良い」
                        わけで。


快速「すまた」 は、
浜松~金谷=上り ですが、
金谷~千頭=下り です。
    &
千頭~金谷=上り ですが、
金谷~浜松=下り  です。


快速「奥大井」 は、
静岡~金谷=下り ですが、
金谷~千頭=下り です。

千頭~金谷=上り ですが、
金谷~静岡=上り です。


「金谷=基準」として。

「良く晴れて、空気が澄んだ日」ですが、、

「JR金谷~JR島田 では、
走行中の電車内 から
綺麗に『富士山』が 見える時」 が、 ありますよ。

サロンエクスプレスは中線に収まりきったのかどうかが気になりますね。
冬だと富士山がよく見えそうですね。

飛び入りで参加させてもらいます。 私は実際に見分しました。 昭和58年当時です。 信号機等の番号は違っているかもしれません。

(1)静岡からの「奥大井号」

静岡方→下本(客扱い)→22R(牧の原トンネルに突っ込む)→20L→中2→4L→千頭方

この通りでした。下本から中2までは、駅員の誘導です。 4Lは「中2大井川出発」と書かれた信号機です。中2からは信号機で、上り本線を横断して、大鐡へ入線して行きました。

(2)千頭からの「すまた号」

千頭方→上本(客扱)→14L→上本静岡方→9R→中1→6R→浜松方

この通りでした。千頭方から上本線据え付け、中1転線まで駅員の誘導です。中1から信号機で下り本線へ出ていきました。 余談ですが、59.2改正では、159系が入線しました。

(3)貨物列車

①国鉄から
静岡方→1RC→中1静岡側(ここで終着)
 (入れ換え開始)中1静岡側→11R→中2(機関車切り離し)
国鉄機関車:中2→23R→中2引上→21L→中
1→13L→中1静岡側(3L手前)

②大鐡から
千頭方→中1(中1到着後推進で)→13L→中1静岡側(国鉄機関車へ連結、連結後、大鐡機のみ単機で)→11R→中2(国鉄からの貨車と連結)→4L→千頭方

千頭方から中1へは駅員の誘導でした。 国鉄と大鐡との連絡線のポイントは手動で、駅員が現場で扱っていました。 又、3Lは出発信号機で、これを超えると上り本線列車に支障するので、国鉄機は必ず手前で停車していました。 大鐡からの発送編成が長いと、中1だけで収容できず、大鐡機が、下本線へ出てトンネルまで入ったのを、一度目撃しています。 なお、朝、昼、夕の3回、貨車の授受がありましたが、朝は大鐡からの発送がなかったので、国鉄機は、中1転線後、11Rから中2へ後退して、緩急車のみ連結して島田へ戻っていました。

(4)臨時のお座敷列車(SL牽引)の帰り
58年夏、臨時でお座敷列車が運転され、静岡へ戻る時です。先に国鉄機が中1で待機していました。

千頭方→大井川鉄道場内→上本(客扱)→2L→静岡方

上本到着後、SLは切り離されて小移動し、待機です。 国鉄機は、中1→13L→上本東京方→9R→上本と転線して、客車編成の東京方に連結され、出発していきました。 その後SLは大鐡線へ戻っていきました。 

貨物列車の緩急車は、金谷駅で入換を行うと動きが複雑になるため、大鐡の新金谷駅まで送り込んでいたと思います。 だから連結位置が前とか後というルールは関係ないと思いますが…。

佐藤 進さん、貴重な目撃証言ありがとうございます(笑)。
千頭からの「すまた号」は上本までは誘導ですか。上本の神戸方に列停がありますので直接到着かと思っていたのですが。
大鐡機が下り線トンネルに突っ込んだり、SLが上本神戸方で待機とか、めちゃくちゃ楽しそうですね。
当時の国鉄の規定には列車最後部に緩急車の連結が義務付けられていたわけですが、もし大鐡にも同じ規定があったらさぞかし入換が大変だったろうな、ということで(前後に緩急車を連結すればようだけかも・・・)。大鐡の場合は緩急車の連結義務がないということですね。

初めまして

管理人さんやコメントされている諸兄の線路配線や運転取扱に関する造詣の深さに驚き興味深く拝見しました。

金谷駅構内配線図の「信号機を一回り小さくしたような記号」について
最初の配線図に「1960年(昭和35年)頃」とありますが、日本国有鉄道・信号設備施設基準規定63条に準拠した図記号を用いていることと、駅の配線と信号機建植位置及びホーム構造から見て車停標や列停標が在るべき位置にそれらが記入されていない点などから、昭和39年以降に信号専門職員以外の方によって作成された略図又は抜粋複製図ではないかと推測します。

「信号機を一回り小さくしたような記号」が誤記入でなければ、これは運基・第298条・第1項・第1号に定める常設信号機に含まれるもので、停止(R)と注意(Y)のみ現示する列車運転用信号機を表す記号です。
下本から中線への場内信号機118LBと上本から中1への場内信号機101RBもR・Y2現示ですが、「信号機を一回り小さくしたような記号」は118LBや101RBより機柱が短く円も小さく描かれていることから構内運転用信号機として建植されたものと思います。

R・Yの2現示信号機は国鉄では割と特殊なもので、次位信号機または標識が停止定位の側線や終端している到着線への進行を指示する信号機以外では原則的に用いられていなかったようです。本線や主要な側線の出発信号相当位置に建植されている例は私の経験では単線非自動信号区間の直線状スイッチバック駅で引上線や突込線への転線を指示する信号機だけですね・・・

図記号に間違いが無ければ103R・103LB・116R・116LA・116LBは手動復位式の入換標識であり、規程上入換運転の開始時機を現示できるものではないので、これら入標は転轍機の開通状況を表示するのみで、大鐵と直通する列車に対して構内入換運転(転線)の開始や出発を指示する手動信号機として2現示信号機を建植したものではないかと推定します。
(鉄道管理局長は入換運転開始を指示する装置を特殊な装置や方式に指定することが出来る。運基・第88条・2)

当時の規程や信号技術では貨物レの分解組成と旅客レ(電車)の入換を行う1種継電連動と2種連動が混在する駅の入換信号自動化は不可能だったので暫定的にこのような方式を採ったのだと思います。

medoiさん、はじめまして。
大鐵との直通列車の入換用を行う必要がある金谷駅特有の設備、ということですね。ありがとうございます。

その昔、
古本屋さんで購入し、
今も大切に所持する
「鉄道ファン」1994年年4月号 の
表紙に
「黄金時代の東海道本線を行く」があり、
P51に、
「金谷駅の中線=大きな事」が あります。

なので、そこの「文章」=全部、載せてみます。

「所定の8両編成から
中間のサロ2両を抜いた4M2Tで実施された
151系の高速試験。
その結果、
当時の狭軌最高速度163km/hを記録し、
該当編成の先頭車クハ26003および 
     クハ26004の前面マーク下には
【「163km/h」の銘板】が
       取り付けられることになる。
    (P53、参照)
(<当該の=試験の電車 は、
    国鉄金谷駅の下り線ホーム の北側→
   →「中線=南側の線路 で、東向き」です>)。
(1959年7月31日   撮影者は「星」さん。)   」

(ここで の (上=)(下=)は、「文字」です。))
【「銘板」】
p50の「(上=)こだま(下=) kodama」の下 の
 【「(上=)高速度試験 (下=)日本国有鉄道」】→
p53の【「(下=)163km/h」】に。
  (書くと長くなる ので、その詳細は、省略。)。

皆様 は、
その昔「島田~藤枝に あった 線路」を、
       今も、覚えていますか?

昔松本駅で「あずさ」を撮影したら、偶然にもこの銘板を取り付けたクハ181でした。廃車となるまで銘板を取り外されることなく活躍し続けたのだと思います。

サロンエクスプレス東京は落成当初は5両編成だったため大井川鐵道へ入線できたそうです。
この時はC11が国鉄線内に入り中線で連結したとのこと。

島田~藤枝間の線路
六合駅の敷地もその一部ですね。
上り線の北側に貼り付けていたようで。

ぱとさん、情報ありがとうございます。
bad.Ⅳh-95さん、それって信号場のこと?

第3線:六合駅の前後は新駅開設前から3線区間の名残があって、新幹線開通前はどうなっていたのかなぁ、と以前から思っていました。

最近、新幹線50周年でいくつか資料が発刊されたモノを見ていると、島田~藤枝間204キロ付近から上り方1300メートルほどの区間に本来の上り線の北側に高速走行用試験線を増設していた、ようです。
ただ、本来の上り線と第3線の分岐、合流をどういう設備で処理していたかは、不明です。
クモヤ93000の175キロ試験の後はこの第3線を本線に切り替えてコンクリートまくら木や締結装置、伸縮継ぎ目の耐久試験がわりに使用した、というのは有名かと思いますが。

とはいえ、六合駅の駅中心が204.9キロ(wikiねた)なので、もう少し藤枝寄り、のようです。
この区間、微妙に上下線間隔が広がった場所やSカーブがあったり、こだま形による163キロ試験当時とは速度記録を達成した202キロ地点周辺、藤枝市下青島の地形も変わっています。

bad.Ⅳh-95さん、3線区間ですか、全く知りませんで(汗)。関係資料を調べてみたいと思います。

「島田~藤枝=六合の付近」は、

その昔=高校時代くらい(今から32年ほど前)まで は、

「真ん中=試験に使用した線路」があり、
その両側に「上・下 の線路」でした。

その後、使用されないようで、線路が取り外され、
今の「複線」 に、なった もよう。

「上下で 少し開いている区間」がその名残。

実乗車したとき、
快速「すまた(浜松発着)」&
快速「奥大井(静岡発着)」は、
それぞれ「東海道線ホーム の発着」でしたよ。

「そのために、2番線=東海道線 の 先 に、
          乗り入れ=渡り線」が ありました。

「金谷駅の下りホーム=3番線から は、
直接には、大井川線には入れない構造」ですから、
金谷駅ホーム=客扱い した後は、
いったん「牧之原トンネル」に入り、
ポイント切り替え後 、方向を変えて 中線に入り、
さらにその先=「渡り線」=ポイント切り替え で、
大井川線に、乗り入れていました よ。

現在も、
島田側からの中線 には、
「貨物列車」が入るとき も あります から、
中線=現役 でもあります。


金谷駅の「駅舎の分離」は、
「渡り線のポイント保守 には、
年間数千万円かかる が、
今後に、乗り入れの計画が ない。
だから、駅舎の分離をした。」と、
当時の駅の関係の方 から、直接に伺っています。
(「昔は、同じ駅構内でしたが、→分離で」。)

昔、
国鉄から乗り入れ=
4連の快速「すまた」「奥大井」に、
国鉄(→JR)金谷駅ホームから乗りました が、
渡り線を通過し、
大井川本線に入ってから も、
「家山川」ほか=橋梁 通過時に、
床下からの走行「音」が少ないこと に、
気づきましたよ。
(友人と2名で、千頭に行き、
当時はまだ存在した=
川根両国→千頭の貨物線 を走行「SL・客車」、
(当時、まだなかった=今「3番・4番線」の場所)を
  カメラ=写真に収めたこと、あったな~。)

それだけ、
当時の「大井川本線の電車」の
「家山川」ほか=橋梁 を わたるとき に、
床下からの「走行音」が大きかったこと。
(これ、あくまでも「車内に入る、走行音」であり、
          なんら、どこにも影響すらなし。)

名無しさん、それって大井川本線の電車はモロに走行音が車内に侵入してくるってことでしょうか(笑)。

 中学の頃でしたか夏休みに一度大井川本線全線乗車したことが有ります家族旅行で寸又峡温泉へ出掛けた折の事でした 当時の大井川鉄道は今と違いごく有り触れた地方の電気鉄道でした 行に乗車したのは身延鉄道買収国電の払下げ車と木造省電払下げの四連でしたクロスシートの身延車に乗車しましたが今思えば木造省電の方が良かったかと思います(現在名古屋のリニア新幹線館保存車モハ1形)クロスシートに騙され乗車したがトンネルに入ると室内灯は非常照明だけで殆ど眞暗でした
当時寸又峡温泉には未だ奥へ行く森林鉄道が有ったり千頭の構内に単端ガソリンカーの残骸とかあり楽しい路線でした 帰路静岡で下りEF65520代重連フレートラィナーを見る事が出来ました更に初めて新幹線に乗車出来た事でした 尚後日談ですが静岡で殺人事件を起こした金鬼郎(字が違うかもしれません)が寸又峡温泉の旅館に立て籠もる事件が少し後で起きました

yyoshikawaさんは各地へ家族旅行をされたようでうらやましいですね。我が家はほとんどありませんでしたから。でも家族旅行だとさすがに趣味には走れないですよね(汗)。

島田~藤枝間の第三線(試験線)は、現在の上り線です。当時の上り線の外側(北側)に試験線を敷設、試験後は試験線を上り線に転用し、元の上り線線路を撤去したため、現在はこの区間の上り線と下り線の間隔が広くなっているわけです。現六合駅は試験区間に含まれません。
2017年5月13日に「藤枝おんぱく」の企画「藤枝の鉄道遺産巡り」で見学できます。
「奥大井」は何度か乗りました。金谷駅での貨物引き渡しについて若干写真を持っています。
新幹線原点のまち藤枝を伝える会 山内

新幹線原点のまち藤枝を伝える会 山内さん、コメントありがとうございます。恥ずかしながら試験線の存在については全く知りませんで、貴重な情報ありがとうございます。
参考までにお伺いしたいのですが、この試験線、いつ頃設置されていつ頃撤去されたのでしょうか。
また、上記bad.Ⅳh-95さんのコメントにもありますように、従来線と試験線の分岐箇所ってどのようになっていたのでしょうか。
もしご存知ならば教えてください。

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