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2012年9月16日 (日)

島田配線図

今回は島田駅です。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・上下本線に挟まれた島式ホーム+待避線の片面ホームという組み合わせは東海道線でよく見られるパターンですが、片面ホームが本屋と反対側である点が変わっています。
・上り2番線~6番線あたりの貨物側線は妙に複雑な配線になっていますね。ダブルスリップまで設けられていますし。
・下り1番線からは東京方に出発できますが、このように「対向する本線を横切って出発するルート」が設けられていたのはこの当時静岡~米原間ではわずかに島田、新居町、豊橋、名古屋だけです(但し東海道線列車に限ります)。静岡も浜松も岐阜も大垣にも設けられていません。そう考えると何で島田なの?、何で新居町なの?、とは思いますが。
・それはそれとして、専用線がいっぱいありますね。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・ほとんど変化はありませんが、専用線の会社の名前が結構変わっています。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204_2
・やはりほとんど変化はないのですが、すごくわかりづらいところで下り2番線が追加されています。

続いて1978年(昭和53年)3月。

197803
・西7、8番線あたりで貨物側線が増強されています。国鉄の貨物輸送はとうにピークを過ぎた頃だとは思いますが。
・上り4~6番線の車止め付近に「ヂス○ン棒(?)」と読める文字と記号が描かれているのですが、これは何?
・後年のものと思われる手書きが何か所か追記されており、その中での注目は下り本線からの上り出発信号機9Lですね。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902
・先の1978年の配線図の手書き追記の通り、下り本線に上り出発信号機が設けられていますが、それ以外では特に変化はありません。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・西7、8番線あたりがなくなっていますが、後述のとおり誤記かと。

最後に2003年(平成15年)4月。

200304
・専用線もすべて廃止されてしまった頃だと思われるのですが、貨物側線群はほとんどそのままですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

>日清紡
今はアピタ島田店の東半分だけになりましたが、工場は残っています。
>ヂスコン棒
発音的には「ディスコン」らしいのですが、架線断路器が備えられている架線柱の脇に絶縁された操作棒が収納されていて、ジスコン棒と呼ばれています。
作業の関係で架線への電力供給を絶つときのスイッチですが、直流1500Vの入り切りはかなり危険があるようです。
>島田止まり
 大井川のある関係で人の流れに段差がある、と私は解釈していましたが。
 あと、ようつべに上がっていた昭和34年8月のこだま型車輌による160K試験の映像では、その段階で島田駅舎は鉄筋コンクリート製の先代駅舎に建て替えられているようです。

 ヂスコン棒、勘違いしてました。
 パンタグラフを降ろして留置されていた電気車を再起動する際、何らかの理由でパンタグラフを上昇できない場合に、パンタシューをムリヤリ突き上げて架線に接触させるための棒でした。
 パンタグラフを上げられない理由としては、元空気溜などの空気圧が完全に落ちてしまった場合があります。
 一般の電車のバネ上昇式パンタでは鎖錠爪を空気シリンダを作動させて外さなくてはいけないし、機関車の場合は空気上昇式なので上昇用シリンダに送る空気が無いと、どうしようもないわけです。
 そのため、なんとかパンタを架線に接触させてコンプレッサを作動させ、空気を確保する、という荒技のためのシロモノです。
 ちなみに、PS11パンタには空気を確保するための手動ポンプが接続されていたようです。
 

ヂスコン棒、どちらにしても1500Vがかかっているあたりで作業するためのシロモノなんですね。
昔明石電車区で聞いた話を思い出しました。103系の場合は車両側に手動でパンタを上げるモノがついており、エアが完全に落ちた場合はまず手動で1つを上げ、コンプレッサが作動するようになった後にもう1つのパンタを上げる、なんだそうです。

1978年の配線図に貨物ホームの高床、低床の表記がわざわざされているのは珍しいですね
当時の通運業者さんの話では実際フォークリフトを使用しての荷役ですと
パレットでそのまま積み込めない黒ワムワラでも
低床ホームのほうが荷役はやりやすかったそうです
そのため幹線の駅では高床ホームは昔からの設備のため屋根があることが多いので貨物の一時保管場所として利用されていたことのほうが多かったようです

こんにちは、つるたま、です。
ついに島田に来ましたねえ。
私が訪問した時には神戸方両側が東海パルプになっていました。元々島田は大井川の水運の基地なので筏流しの時代は木材の集積地です。
加藤商事は製紙の漂白剤で使うサラシ液が郡山の呉羽化学工業のタンク車が到着していました。
旅客は静岡→島田→東京の流れの運用が11両編成でしたが後に15両となりましたので下1で折り返していたのが下本での折り返しになったの記憶があります。

ヒデヨシさん、実際の貨物の積み込み作業をよく知らないのですが、高床ホームは手作業での積み込みを想定したものなのかもしれませんね。フォークリフト等の機械を使用するようになった時点で使いづらい設備になってしまったのでしょうか。
つるたまさんのような専用線ファンの方にとっては島田駅は興味津々ですね。下り本線の上り出発信号機は編成長の関係なんですか、ありがとうございます。

「「(東)島田駅」の 3番線ホーム」は、
実際に、
「するがシャトル」の運行開始前 に、
→「上下の本線を支障することなく、
電車を停車できる配置 に なっている」ことから、
「興津」「島田」が選定された=歴史 が あります。

当時、
「清水→静岡・藤枝→静岡に乗降客が多く」でも、
「清水駅には、待避できるホームがなく、
藤枝駅も、1番ホームの先は すぐ踏切」なため、
「興津~島田=するがシャトル」として、
ダイヤ改正=運行開始 されています。

その後に「富士まで延伸され」で、
その時点で、「するがシャトル」名称=消えています。

以前は、
「ブルートレイン(寝台特急列車)=2番線を通過、
普通電車=3番線で待避→発車」 でしたが、
当該のブルートレイン、廃止後=ダイヤ改正 で、
    「3番線からの 下り電車の発車」は、皆無。

1960年当時
(下記は、いろいろなところに資料がありますね。)

日本国有鉄道(当時) が、
「高速度試験」で、
金谷→島田→藤枝→焼津 を選定し、
藤枝市内で「163km/h」記録 されています。

現在の「大井川橋梁」で、
    真ん中=空間がある のは、
その後に「橋梁」をはずした そうで。
(Youtube+ほか に、
その「高速度試験の 大記録」が、ありますよ。)

名無しさん、情報ありがとうございます。

いまだ、
島田駅始発=下り電車 の設定、無い ですね。

金谷からの上り線 からの、
直接 3番線ホーム に
転線できるポイント が、無い。

つまり、
「上り=当駅どまり→折り返し、
       当駅始発=下り」が、できない。

金谷方面から→島田駅方面 の電車の
「youtube」を、見ようよ。


その昔、

島田駅の3番線 では、

まだ寝台特急が運転された時代 に、
普通電車が2本、
   別々の時間帯での 退避 していましたよ。

つまり、
島田駅の、駅ホームのSカーブ に
まったく支障すらなかった ということ。

今も「興津~静岡~島田=区間運転」なのは、

「清水 &藤枝 は 乗降客が多い が、
島式ホームでも、同じ方向での緩急接続 できず、

興津・島田 は、
3番線ホームの位置 が、
「本線をまたぐ 格好になる が、
 本線の進行に支障しない位置 にある。」で、
短距離の始発&終着駅 に設定 された。」です。

だから、
「昔から、3番線に始発があったわけではない」
                         のです。

>管理人さん

東海道線 下りの普通電車の
六合~島田止まり が、
比較的空(す)いている 、大きな理由。

「島田駅 では、下り=普通電車 で、
3番線→2番線は乗り換えに、適していない」で。

そのため、
下り では、
由比方面から→金谷方面に「普通 でのみ」は、
データイムで乗り換える駅=
興津・清水・草薙・東静岡・静岡・安倍川・用宗・
焼津・西焼津・藤枝・六合 です。

上り では、
金谷方面から→由比方面に「普通で のみ」は、
データイムで乗り換える駅=
六合・藤枝・西焼津・焼津・用宗・安倍川・静岡・
東静岡・草薙・清水/興津です。

つまり、「データイム において」では、
「島田駅=緩急接続 以前 に、
普通電車の混雑緩和 には なっていない、
運転上は重要な駅 である が、
3番線に着いた電車は、わずか5分で折り返す」。

2019年の4月1日→6月30日 は
「静岡ディスティネーションキャンペーン(DC)」。
20119年3月31日は、
名古屋→静岡に、臨時急行(373系)が、走る。
(すでに、その冊子、JR駅には、あり。)

名無しさん
東海エリアでは乗り継ぎに不便なケースが結構ありますね。豊橋とかも。

島田の記憶は、
リンクにもつけた、
潤滑油添加剤
(線路名はないが、オロナイトジャパン<シュプロンジャパン>)が有名でした。
11800は運用終了後、
青化ソーダ専用に大改造されたので、
こちらのほうがなじみあるかも?

大阪セメントも来ていて、
こちらは近江長岡のはずですが、
上りから下りに転線できないので、
どうやって送り込んでたんでしょうかね?

上り方の側線群はJR東海のホキ800しか置いてなくて、がっかりした記憶しかありません。

平成初期の事ですが通学時にホームで眺めていたのを記しますと、島田駅で解結していた貨物列車はたったの1往復だったと記憶しています。
下りが当時の東静岡駅(貨物)から出てきたであろう5761レ(13時代着であったと思います)。東海パルプの積車とセメント空車を主に連結していきました。
上りが5762レ(15時代か16時代着であったと思います)。セメント積車を上り側線へ解放してそのまま翌日まで。
朝8時過ぎに、下り本線信号扱い所付近に、単機で入換機(これも当時の東静岡駅(貨物)からであろうEF65一般形)が到着。操車を載せて、下りへ引き上げて上りへ横断。前日夕方から解放してあったセメント積車全車を下りへ引き上げて、下りで入換をやり、最後は単機で上り1番線へ横断して10時頃に当時の東静岡駅(貨物)へ向けて戻っていきました。
晩年はセメント積車両数自体が少なくなり、単機での入換機自体が無くなってしまいました。
東海パルプの入換動車がやり、それで事足りたのでしょう。
オロナイトジャパンのタキ積車は毎日来ないので余り記憶ありませんが、最も山側の上り側線で、ローリー車横付けで取り卸ししているのは見たことがありました。
最も、子供の頃は黒貨車いつもガチャガチャとやっていて、駅構内も駅周辺も活気がありました。今は寂しい限りです。

突放さん
貴重な情報ありがとうございます。
少し前までは静岡運転所のDE10が入換をしていたようですね。

国鉄時代には、そこそこ取扱量のある駅には国鉄入換機が来ていました。また、操車場から各駅間の停貨(普通貨物列車)は各駅に30分程度停車して牽引機による解結と貨車整理をして操車場へと戻って行きました。
静岡近辺では、EF18が東静岡から用宗・焼津・藤枝・島田・金谷の各駅を回っていました。
(写真・画像等は先輩方がたくさんアップされています。)
東海パルプ専用線は、山側も海側も奥のほうまで敷かれていました。
山側奥のコンビナート横へタンク車(現在、雑木林)。
海側奥のチップヤードへ無蓋車(現在、整地された模様)。
工場中心部は、何が入線していたのか関係者でないと分かりません、すみません。

突放さん
駅での貨車の入換にはいろいろなパターンがあって、それこそ人が手で押したり、小さな貨車移動機が配置されていたり、短区間の小運転列車が設定されてこれの牽引機(EF18はまさにこれですね。東京付近ではほぼDD13だったと思いますが)が入換をを行ったり。
今では本線級の電機が入換をも行うようになっているんですね。

>管理人さん。

平日だけ開庁している「国=島田総合庁舎」の
広い駐車場に=クルマを駐車し、徒歩である が、
フェンスから→「島田駅北口方向」見る が、できる。
--------------------------------------
フェンスから、駅北口方向見て→「わかること」は、
・「架線の1面=外からの方向に張られている。
+1線路を除き、殆ど 架線が、はずされている」
・「使用しないレール+車止め =さびが 多い」
=
なので、島田駅の北口側 の「西側」線路 は、
今後「大幅な、線路リストラ」可能性 も、あるかも。

名無しさん
再開発の予感ですね。


島田駅の「最大のネック」。

「興津駅は、1番線=問題なし、
2番&3番=島式ホーム なので、
上り興津どまりから、上り電車に乗換えできる」。
     vs
「島田駅 は、3番線=相対式ホーム であり、
3番線どまりの電車 からは、
2番線発=下り電車 には、乗換え しにくい。」

そのため、「静岡から=10分に1本」で、乗った時、
「静岡駅から→金谷以西に行く 場合 には、
必ず、安倍川-六合の いずれか で、乗り換え。
----------------------------------
「2020年=東京地方から」の目線 で、見て、
=
静岡ー浜松の在来線の利便性 で考えた時 に、
「島田駅=再開発に失敗 が大きい駅」といえる。
----------------------------------
東京/静岡方面から、金谷以西に行く人 が、
「島田どまり で、島田で=途中下車」をして、
島田駅前、北口を、見 ても→「何もない」風景。
同様に、島田駅前、南口にも→「何もない」風景。
   朝に、すでに「これ」 では、
「駅前=常に、人、少ない」は、目に見えています。

>管理人さん。

島田市の「島田駅前からの、路線バス」時刻表。

その、バスダイヤには、かなりの難点、あり。

バス車庫→島田駅=3.5km なのに、
バスの回送先が、「島田駅前」ではない。
島田駅始発のバスが、1本もなく、
島田駅まで最終のバスも、1本もない。

現実、島田駅の7コース=全部 が、
バス車庫から一番遠いバス停留所まで回送→
→そこ=始発バスとして→島田駅まで行く。
最終バスも、駅から一番遠いバス停→そこから回送。

島田市長は,過日、
「駅から遠い地区の、クルマに乗れない人のために
私たちは、バスを走らせる」言動、していますが、
  →
「現実、空車でドライブ であり、燃料が無駄」と、
遠いバス停の周辺 の方 は、声を出し言います。

「回送バスが、遠いバス停留所にくるまで に、
こっちは、出勤せにゃいかん のだから、
マイカー通勤当たり前だで、バスは、使わない」で。
=
今「島田駅前 が、ほぼシャッター通り」 なのは、
この「バス=駅no始発&駅まで最終 が、1本もなく、
駅から、朝早く、路線バスで郊外に出かけられない、ならば、マーカー利用で」が、実際、ある から。

>管理人さん

駅から外 ですが、
    周辺道路=
国道1号(バイパス)から→駅周辺の工場 には、
鉄道とは違い、時間に関係なく、
多くの 大型車両の通行 が、見えます。

この
「時間に縛られやすい=鉄道での搬入出」が
モータリーゼーション=交通の変化 で、
   企業側が「鉄道→道路交通に シフト」で、
その影響を もろに受けた のが、「島田駅」かと。

コストパフォーマンス では、
「製品を、直接トラックに載せて、顧客まで」があり。


名無しさん
鉄道貨物、ガンバレ、です。

>管理人さん

島田駅の、貨物の線路、撤去しない理由。

「24時間対応 で、
貨物列車・寝台特急電車・始発電車がある ので、
撤去の工事等をする時間帯 が、取れない」と、
巷 では、言われる ようですよ。

>管理人さん

島田駅の、貨物の線路、撤去しない理由。

「24時間対応 で、
貨物列車・寝台特急電車・始発電車がある ので、
撤去の工事等をする時間帯 が、取れない」と、
巷 では、言われる ようですよ。

名無しさん
保守間合いという列車が走らない時間帯があるのでそこで工事は可能です。
JR貨物と東海の敷地が複雑に入り組んでいる事も関係していると思われます。また一部は保守用車の留置に使用しています。

>Aさん

先日、島田駅ホーム、利用しました。

1番線の北側線路 には、さび があり、
しばらく利用していない模様 で。

駅の、島式ホームの西側=端まで 歩き、
現在でも
14~15両までは臨時に停車ができる現状 を、
自分の目で、見ています。

駅北口側の線路も、
車両の移動が、ほとんどない状況 で、
その架線の状況から も、
いつ、「線路の取り外し」など には、
大きな変化が起きてもおかしくない 状況下で。

3番ホーム以西の線路 は、
ホームの西側にも、使用される状況 があり、
日常で、電車の移動が行われている が
  ありますよ。

名無しさん
上2から上5は使用していません。上6と上7は保守用車の留置に使用しています。
下り側線は夜間に車両の留置が行われています。

先日、島田駅から乗車。

下り=2番線から下ろう としました が、
駅の改札口で、
島田駅の、駅員さんのアナウンス が、
「金谷~菊川間で、電車に異音がして、
島田~浜松間が、何分か、ストップしました。」で。

ダイヤ改正後=今 は、

「島田からの上り」と
「島田からの下り」は、別系統=分割 で、
  運転区間の切り離し運転が可能 なため、
下り電車=2番線で抑止中 よりも早く
上り電車=3番線から発車しました。=ガラガラで。

藤枝に到着し、用事を済ませて、
下り浜松行=は定時運転 で、
上り電車は=遅れ8分、出ていました。


「静岡県内で、長距離運転しない のは、
電車の遅れの回復に、時間をかけないため」と
いわれますが、
其の時間帯 は、まさに、其の場面 でした。

JR島田駅 では、
日中の時間帯で は、
1番線=上りホームから、電車の発車後 に、

「次の上り電車は、3番線からの発車となります」の
音声が 流れます。

これ は、
「3番線ホームでの折り返し時間が5分」と短く、
さらに は、
3番線ホーム←→1番線ホームが、離れている ため。

JR島田駅の「2番線ホーム」 には、

「別系統 き電」の部分 が、あります。

これ は、
3番線「島田~静岡~興津」間 と、
2番線「島田~金谷~掛川」間 を、
「もしもの時、別系統 に 分離 できる」で。

実際にも、過日、その使用 が ありました。

JR島田駅で は、
下り での「金谷~菊川間=抑止」のとき、
上り では「3番線路から、発車」が、
                できていました。

JR島田駅、

1番線の北側の 貨物専用の線路
or
3番線ホームの全体

それぞれ、別々の時間帯 で、

貨物列車が、長大編成で、入ります。

>管理人さん

2023年5月27日

「蓬莱橋ぼんぼり祭り」の
三島→島田の下り臨時電車(全席=指定席) あり。

おそらく、臨時電車 は、
「島田駅3番線ホームで降車の後→回送」 で?

理由は、
「静岡方面での定期電車 を支障させない」ため。

情報ありがとうございます。

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