藤枝配線図
まずは1960年(昭和35年)頃。

・焼津駅と同様、東海道線の典型的なパターンです。
・東京方の渡り線21イ・ロと上下1番線の分岐位置の関係で、下り線と上り線の有効長の差が大きくなっています。
・上り1番線からの神戸方で分岐する側線がちょっと変わっていますね。専用線?
だいぶ飛びますが、1989年(平成元年)2月。

・1986年(昭和61年)に貨物扱いが廃止されたため、貨物側線等が整理されてしまいました。
最後に2003年(平成15年)4月。

・ほとんど変化はありません。
・上り1番線から分岐する側線は撤去されることなく生き残りましたね。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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上り1番の側線、もう少し先には志太米穀というお米や動物用飼料を扱う会社があるので、もしかしたら、そこ関係かも知れません。
あと、下り2番については、昭和60年以前までは今はマンションになっているあたりに赤阪鐵工所の藤枝事業所があって、ソースが不明瞭なのですが、専用ホームがあったとか、です。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年9月10日 (月) 22時46分
1960年の図の上り3番線あたりが赤阪鐵工所関係かもしれませんね。
投稿: f54560zg | 2012年9月16日 (日) 20時38分
>赤阪鉄工
と思うところですが、赤阪鉄工は焼津寄り、駅本屋から見ると南東側に立地していました。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年9月16日 (日) 21時07分
おおっと、そうでしたか。失礼しました。
投稿: f54560zg | 2012年9月16日 (日) 21時39分
はじめまして。
30年ほど前まで藤枝に住んでおり、藤枝駅を常用しておりました。
■上1神戸側側線
・ご指摘のとおり、志太米穀の倉庫への専用線があり、ワムワラと、重油か何かのタンクがあったと記憶しております。
■駅南側の専用ホーム
・駅南にあった製紙会社の荷物用だったかと。
■駅西方面の専用線
・昭和50年代に、下1をそのまま本線に平行して、西に500mほど延長したところまで、ガス会社への専用線があり、アント君が活躍しておりました。
■その他
・やはり昭和50年代、藤枝駅北側の貨物ヤードで、EF18が巨体をくねくねさせながら貨物の入れ替え作業をしていたのを見ておりました。作業の合間に、機関車に乗せてもらう機会があり、機関車内部の説明や、電気系統の説明を図面を見せてくれながら教えてもらった事があります。
投稿: XRBaja | 2012年11月20日 (火) 18時02分
XRBajaさん、EF18の運転台ですか、なんともうらやましい限りで・・・。昔は大らかでよかったですね。
投稿: f54560zg | 2012年11月25日 (日) 21時32分
藤枝と云えば嘗て上り貨物ホーム脇から延々と御前崎を経由袋井迄一時期日本最長のナローゲージの静岡鉄道駿遠線が出ていました当初藤枝方と袋井方は別々の鉄道会社で戦時統合で両社は静岡鉄道の傘下に入り中間部を新しく建設両線を繋ぎ日本最長の軽便線になったが結局は直通する列車は少なく早い時代に廃止されてしまい元々の路線だけが残るも時代の推移には免れず袋井方残存線が先ず廃止続いて藤枝方も先ず大手方面の線が廃止其の後大井川以西が廃止最期は残存部分も廃止されました
これ以前は岩手軽便鉄道が最長でした
貨物扱いをしていた頃は藤枝構内で貨物の詰め替え用側線も存在してました
投稿: yyoshikawa | 2017年12月20日 (水) 18時15分
yyoshikawaさん、60km以上のナロー鉄道はなんとも壮大でしたね。
投稿: f54560zg | 2018年1月 4日 (木) 13時19分
2021年3月のダイヤ改正後 も、
藤枝駅の
1番線ホーム= 営業運転では、使用していない もよう。
投稿: | 2021年4月 7日 (水) 20時53分
藤枝の軽便(駿遠線)、懐かしいです。私が藤枝市内の高校に通学していた頃(すでに新藤枝ー大井川間だけになっていました)同級生が通学に使っていました。時々遅刻するのですが「軽便がパンクした」、「豚とぶつかって脱線した」などという理由を言って皆を笑わせていましたが、「豚とぶつかって..」はその昔あったようで写真がありました。
投稿: 焼津町生まれ | 2025年4月20日 (日) 19時38分
焼津町生まれさん
懐かしいお話をありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2025年4月27日 (日) 17時20分
30数年も前に聞いた話。(静岡方言のまま)
続~機関士
あれは石部(トンネル)だったかなぁ・・、焼津だったかなぁ・・。
その辺りで無線(静鉄指令から)が飛んできてさ。藤枝(駅)へ停まってくれ、って言うだよ。停まって入換やってくれ、って。おいおいこっちは藤枝(駅)通過(の貨物)だぞ、って。時刻変更も無いしケツ(後続列車)が当たっちまう、って言っただけんさ。なんでも急送品があるで、停まって入換やってくれ、って。また指令もひどいだよ。「局長命だ!!」って。(苦笑)
分からんでもないだよ。駅(藤枝)からして見りゃ、「あそこの・・・(自主規制)・・・は大荷主だしさ。」
やるはええけえがケツが当たっちまう、って。電車(客扱い)だ小荷物(荷扱い)とは訳がちがうだで。
まぁ、入ってやったわな。えらい早く入換やったで。どれ位でやったか、はぁ憶えちゃいねぇや。
藤枝の本線出る時に、ポイントの所がカーブしてるら。後ろがちょい見えるだけん、電車の頭が見えてたわな。駅(藤枝駅信号掛)が機外へ停めてたわ。
もう何せあの頃はいろいろあったでなぁ・・。
ここで時間切れとなり、座談会自体が終了となってしまいました。わたしは、この後の島田駅・金谷駅での様子まで聴けるものと期待しておりましたが、終了となりました。あとにもさきにも、国鉄に従事されている方からお話を聴く唯一の機会となってしまいました。
お話されていたものは各駅ごとに記載をいたしました。
これ以外にも、静岡運転所の方々の話の合間合間に垣間見えて聴けたのは、
・「EH」「EH」と呼ぶのはEH10を指す。
・EH10の機関車内では、キャッチボールが出来る程の広さがあった。
・国鉄清水港線は、「三保線」や「臨港線」と呼んでいた。
・静岡運転所で鬼門の駅は新蒲原駅。急行が列車によって停まったり停まらなかったり、で通過して行っちゃって「停車駅通過」の事故。なんでそういう風な停車にしたかは俺ら(乗務員)には分からん。あまりに事故が多いんで、後で「新蒲原」と看板を付けた、最近で言う「西焼津」や「六合」だよ。とお話していた。
・一般には全部駅と言ってるけど、厳密には「停留所」って言う。停まって客扱いして発車するだけ。バス停みたいに思ってくれれば分かり易いかな。
・昔は菊川~金谷の上り第1閉塞信号機に大井川鉄道への開通を表示する白い予告灯が付いている時があった。でも逆光で、ほとんど見えなかった。
・数名いらっしゃいましたが、その場に居合わせていた中の最上長職はほぼお話をせず、その次の次位職の方で、更にそれも弁士の方がお話されていました。縦社会中の縦社会が垣間見れました。ですので、機関士(EL・DL・EC)の方と貨車検修掛の御二人を中心にお話を引っぱっていました。
国鉄静岡運転所界隈を垣間見れる長文にお付き合いいただきありがとうございました。
投稿: 突放 | 2026年8月 7日 (金) 22時53分
突放さん
荷主の要望で、本来通過する貨物列車に強引に貨車を連結させるとは、粋な計らいなのか、それともルール無視のムチャクチャなのか、いずれにせよなかなかのものだと思います。
それにしても貴重な座談会ですね。どのような趣旨で開かれたものなのかはわかりませんが、通常は聞けない楽しいお話をありがとうございました。
投稿: f54560zg | 2026年8月 9日 (日) 20時56分