静岡配線図
ようやく静岡駅までたどり着きました。
まずは1960年(昭和35年)頃。
・隣り合った上下本線の外側に副本線が配置され、下りの本線群は下り専用(つまり下りの本線・副本線に上り列車が到着したり、下りの本線・副本線から上り列車が出発したりすることができないということ)、上りの本線群は上り専用という、東海道線の主要駅の典型的な配線ですね。
・転車台が描かれていますので、この時点ではまだ静岡機関区が存在していたのでしょうか。
・神戸方海側に「安倍川砂利」「大同パルプ」と書かれた専用線がありますが、国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムの1961年を見てみますと安倍川沿いに結構な長さを持った専用線であることがわかりますね。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MCB611&courseno=C23&photono=14
・またこの配線図には描かれていませんが、転車台の左上の方に向かって伸びる、これまた結構な長さの専用線も確認できます。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MCB611&courseno=C22&photono=12
続いて1967年(昭和42年)1月。
・新幹線が開業しました。転車台はその用地のために撤去されたようで、また下り10~14番線あたりは新幹線の下をくぐった海側に位置しているようです。
・東京方に出発信号機133D・133E・133Fが設けられ、下り本線・下り1番線・下り2番線から東京方に出発できるようになりました。
・静岡運転所が開設され、東京方山側に入出区線が設けられています。
続いて1968年(昭和43年)2月。
・東静岡駅が開業した関係でしょうか、上り10~16番線あたりが撤去されています。
・静岡運転所の入出区線の取り付け方がちょっと変わりましたね。
続いて1972年(昭和47年)4月。
・神戸方に出発信号機12Lが設けられ、上り本線から神戸方に出発できるようになりました。ホームでの折り返しに対応した設備に少しづつ変化していますね。
続いて1978年(昭和53年)3月。
・その後の変更図が上貼りされており、実際には右上に記されている通り1981年(昭和56年)2月現在の状態のようです。
・1979年(昭和54年)に静岡駅は高架化され、それまでの「機関車列車の駅」から「電車列車の駅」に一気に生まれ変わりましたね。
・上り1番線は副本線ですが、貨物列車等は分岐器の速度制限を受けるもののここを通過することが可能です。
続いて1989年(平成元年)2月。
・ほとんど変化はありません。
・上り本線から上り1番線を分岐する272号分岐器の位置がちょっとヘンですが、これは誤記かと。
続いて1992年(平成4年)1月。
最後に2003年(平成15年)4月。
・ほとんど変化はありません。と言いますか、このぐらいの期間で変更しなければならないようだとちょっと困りものですけど。
静岡駅と浜松駅、静岡県を代表する主要駅ですが、高架化前後の線路配線、高架化の時期、貨物駅との関係、車両基地との関係など、似通ったところが多く見受けられる両駅ですね。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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転車台は記憶にありませんが、線群は1970年代初頭まで残っていたと思います。
また、転車台東側に延びていく線は、地元の愛好家にも謎が多い、鐘紡静岡工場と静岡ガスの専用線だと思います。
実のところ、この付近の倉庫の立ち方や静岡ガス本社の周辺の宅地に平行四辺形や台形状のものが並んでいるなど、専用線の名残は地図にかなり残っています。
昭和47年位までは専用線に向けて貨物列車が運行されていたようですが、その後は静岡駅のすぐ東にある南北の通り、八幡踏切の通りと呼んでいた気がしますが、そこの歩道までで線路が途切れ、構内入れ替えだけになっていました。
構内から外に出る部分には、その後静岡南警察署森下派出所が鉄筋3階建ての細長いビルで建設されましたが、今は地元の自治会館に転用されています。
静岡ガス、鐘紡の専用線はかなり長距離に伸びていましたが、細かい記憶は殆ど無いです。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年8月19日 (日) 17時13分
鐘紡静岡工場がいつ頃操業を停止したか、よく覚えていませんが、昭和52年頃、八幡山の頂上から眺めたとき、貨物ホームと上屋が広大な草地と化した工場跡地の一角に残っているのを見ました。
創業停止後も鋸屋根の建屋はしばらく残されていて、今はそのものズバリの「静岡ツイン・メッセ」ですが、それに似た見本市などの会場としての利用はあったようです。
紡績工場の跡地は、地権者が1件である場合が多いので、再開発の際も話が進みやすいそうです。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年8月19日 (日) 17時18分
砂利屋とパルプ屋は何時かかきましたけど、新幹線の安倍川鉄橋近くの高架下にボックスカルバートが二カ所残っています。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年8月19日 (日) 17時20分
機関区も貨物関連ももちろんありますが
この静岡駅最大のライバルw同じように隣に操車場を持つ浜松駅の配線図を見ると
あらためて浜松駅の巨大さが実感されます
投稿: ヒデヨシ | 2012年8月20日 (月) 09時57分
bad.Ⅳh-95さん、3連発ありがとうございます。
鐘紡・静岡ガスの専用線の痕跡はYahooの地図の写真でもよくわかりますよね。周囲の家並みに逆らって、単純に「線路の跡地に建てただけ」というのが丸わかりな建物があちこちにありますから。それにしてもこの専用線、市街地の中をずいぶんゆったりと走っているように感じてしまいますね。
ヒデヨシさん、静岡駅と浜松駅はライバルだったのですか、知りませんでした(笑)。個人的には兄弟かな、と思っていました。
投稿: f54560zg | 2012年8月20日 (月) 21時02分
約「1」年ぶりでの投稿となります。
30年くらい前、静岡から急行「東海」に乗って東京駅まで、ブルートレインをこの駅で降り、始発の「東海」に乗った記憶が蘇りました。
途中省略しますが、駅はやはり地上がいいですね。
投稿: TO | 2013年9月28日 (土) 02時46分
50年前新幹線開通の頃 当時在来線は未だ地上時代 大阪側に駅を跨ぐ道路橋が有りました 元々直線道路橋でしたが 新幹線が南側に高架で通る事になり道路橋と高架橋が干渉する事になり新幹線高架と在来線用地の間に道路橋をループ状に回して地上に下ろす工事をとりおこない新幹線開業時に間に合う事となりました当時この工事は有名だった様で確か翌年出版された朝日新聞の世界の鉄道に静岡駅の写真で紹介されてました 其の後在来線高架化の折道路橋は無くなりました 今年は新幹線開業50年こんな話題も如何でしょうか 以上
投稿: yyoshikawa | 2014年5月26日 (月) 22時50分
宝台橋(ほうたいばし)ですね。
近くにある古刹、宝台院から取られた名前でした。
新幹線の高架と干渉するため、国一と平行に登り、直角に曲がって駅南側に下っていたものを撤去し、ループ橋をつなぐ工事が行われました。
さらに、東海道線の高架化工事の進展に合わせてループを撤去し、コの字型に改造、高架化完了時に総て撤去されました。
撤去後、1980年代半ばまで、静岡駅周辺の広告に描かれた案内地図の中にはループ橋の画が残っていたりしました。
ループ橋があった当時、宝台橋を通過するバスでは、次停留所の案内とともに「この先カープが続きます、足下にご注意下さい」という放送が流れていました。その放送が流れる頃、ちょうど撤去された欄干が残っているあたりを通過していた記憶があります。
また、宝台橋より街区一つ分、駅構内寄りには「中央地下道」と通称された地下道がありました。
もう、痕跡も無いような昔のお話です。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2014年5月27日 (火) 06時58分
yyoshikawaさん、 bad.Ⅳh-95さん、ステキな情報ありがとうございます。面白いですね。
・1961年ではL字型
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=8935&isDetail=true
・1968年では新幹線の高架橋を避けるためにループ型http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=299923&isDetail=true
・1976年では在来線の高架化工事のためコの字型(というよりS字型?)
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=815641&isDetail=true
・そして在来線高架化完成により1988年では撤去
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=853201&isDetail=true
これだけ劇的な変化も珍しいですね。
投稿: f54560zg | 2014年5月28日 (水) 21時47分
静岡駅を通過する貨物列車は上り下りとも本線を通過するのが原則ですか
投稿: 鉄道不安 | 2014年11月15日 (土) 16時00分
鉄道不安さん、よくわからないのですが、旅客列車が停車していないのであれば分岐器の速度制限を受けない本線通過が原則ではないかと思うのですが・・・。
投稿: f54560zg | 2014年11月16日 (日) 17時16分
静岡駅の貨物列車の通過
上り・・・副本線を使っていますね。殆どの場合。
下り・・・下り本線を通過しています。
冬場など、巻き上げる風が一層寒々しく感じます。
投稿: | 2014年11月18日 (火) 19時43分
名無しさん、情報ありがとうございます。上り通過時はホームから離れている上に速度も落としているでしょうから下りに比べればマシなんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2014年11月23日 (日) 13時52分
上り副本線の分岐は制限が65キロ位(番数としては16番くらい?)なので、ふつーに、通過していきます。貨物の場合、75~85キロで流していく感じなので、これくらいの番数で十分なのでしょうね。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2014年11月23日 (日) 14時14分
>管理人さん
「静岡の電車区」は、
静岡駅が
地上時→高架化→現在 も、位置は変わらず、
そのために、
ホームに入らない場所に通過線 も あります。
なので、
「車庫に入ります」=電車留置線 が、
駅ホームから見える場所 に あります。
現在「373系=3両編成x14=42両」は、
静岡の所属 ですから、
編成が、静岡駅で見られる のは、当たり前。
(「静岡駅からでないと、区に 入れない」ので。
1981年当時 に比べ、
草薙に行く途中 の「東静岡」も、
その後、かなりスリム に なりました。
(昔は、上下がかなり離れていましたので。)
投稿: | 2019年3月 2日 (土) 16時15分
配線図ではわかりませんが、地上時代の静岡駅ホームは、改札口が神戸方の端っこだった記憶があります。東京方の車両から降りると改札までホームを延々と歩かされ、悲惨な目にあいます。
投稿: akunin | 2021年1月18日 (月) 17時28分
昔の列車は長編成だったのでそのようなこともあったかもしれませんね。今では短編成になってしまって・・・。
投稿: f54560zg | 2021年1月20日 (水) 21時59分