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2012年8月30日 (木)

焼津配線図

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・やはり東海道線の典型的なパターンのひとつですね。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・貨物側線が拡充されました。
・上り3番線の「昭和漁業」というのがいかにも焼津っぽいですね。
・東京方の「赤坂」というのは何屋さんでしょう?

続いて1968年(昭和43年)2月。

196802
・特に変化はありません。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204
・やはり変化はありません。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902
・1986年(昭和61年)に貨物扱いが廃止された関係でしょうか、貨物側線が縮小されてしまいました。残された線路は保守用に使用されているようですね。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・これはちょっと???ですね。貨物側線が復活しています。おそらくは誤記かと。

最後に2003年(平成15年)4月。

200304
・この40年あまりの間では目立った変化もなく、焼津駅には申し訳ありませんが趣味的にはちょっと面白みに欠けるところですね(汗)。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

「赤阪」=赤阪鉄工という地元では有名な金属加工会社です。
21世紀の今でも側線の跡と、焼津駅上り方にある地下道の側壁がガーダーを据え付けていた痕跡が残り、同じく焼津駅上り方南側にある工場内にはレールを埋めた痕跡が残っています。
高校時代は昭和56~59年でしたが、小型の貨車移動機が工場内の側線に待機していたのを見た事があります。
また、下り側の貨物側線の廻りはコンクリでレール廻りが固められてトラックから荷役しやすいようになっていました。
脇の門は、今は無くなってしまった焼津魚港の魚市場本場から一本道で繋がっていました。
昭和漁業はちょっと自信が無いのですが、鰹節とかの加工屋があったような気がします。

bad.Ⅳh-95さん、配線図には「赤坂」ですが、正しくは「赤阪」なんですね。配線図に成り代わってお詫びします。
bad.Ⅳh-95さんのコメントをお聞きした後に焼津駅を訪問していれば、見るポイントが変わっていたのは間違いなさそうです(汗)。

 焼津駅の東側、高草山の麓にサッポロビール静岡工場があります。
 昭和61年の車扱貨物の廃止まで、2~3年か4~5年の短い間ですが、瓶類用ワム80000で出荷するための専用線がありました。配線図左下、上り1番線の延長上に延びていました。
 黄色に塗られ、サッポロビールの星マークを描いたDD13が配属されていましたが、余り活躍しないまま、廃止になってしまいました。
 残念ながら、今回の資料では1980年代前半の配線図がありませんが、その当時、構内上り端近くに可動轍叉のクロッシングがあったと思います。
 今では測線跡は線路用地の膨らみに、瀬戸川に架かっていた橋はそのまま歩行者・自転車用に転用され、機関庫があったあたりは川の付け替えで用水路に変わってしまいましたが、ワム8が止まっていた大きな上屋は、トラック用に改造されましたが、ほぼそのままで残っています。
…藤枝駅ネタって、必要ですか?

焼津駅自体の配線は取り立ててびっくりするものでもないですが
昭和漁業!
さすが天下の大漁港を控える駅です
たしか焼津駅常備で
白塗りワム80000の簡易冷蔵車が配置されていたはず
高速道路の整備であっという間に中央東線だかに移っていったと思います

bad.Ⅳh-95さん、サッポロビールについては私もスルーしてしまいました。瀬戸川に鉄橋まで架けた、結構大がかりな専用線ですね。
藤枝駅ネタは歓迎ですが、いかんせん写真については「収録済み」なものですから、ネタに合わせた写真はちょっと難しいかも。
ヒデヨシさん、焼津といえばやっぱりサカナ、サカナですね。

 下車されたか否か、なんですが、焼津駅南口には地元の漁業関係者が寄贈した記念碑があるんです。
 D51あたりの主動輪を使ったモニュメンが鉄道100周年に合わせて建立されていて、「鉄道は我が焼津の漁業に及ぼした功績は計り知れない」旨の顕彰碑が建っています。
 今では 東名経由のトラック便が当たり前ですが、新幹線開業前後は冷蔵車を連ねた急行貨物が東西の市場へ新鮮な魚介類を届けていた訳で。

そのあたりには行っているのですが、スミマセン、記念碑の記憶はありませんで・・・。

 さて…
 焼津駅南口は歩道橋に繋がったりしてちょっとややこしいですが、改札を出て右、階段を下りて右手の階段を下りていくと、バス停や足湯のある駅前広場に出ます。
 階段を下りきった正面の売店の裏側に、漁業組合のモニュメントはあります。

足湯! 確かに駅前に足湯がある駅があった記憶はあるのですが、それが焼津駅だったかどうかがあやふやです(もっともこのあたりでは焼津駅だけかもしれませんが)。

現在の所、焼津、藤枝、両駅とも南口駅前広場に足湯があります。

それならば焼津駅確定ですね。焼津駅は南口に行きましたが、藤枝駅は北口にしか行っていないもので。

1992年の配線図の"復活している貨物側線?"は、おそらく「サッポロビールビアステーション焼津(EF65・ナシ20等を使用した車両レストラン)」が設置されていた場所ではないかと思われます。

313-1000さん、情報ありがとうございます。
場所的にはおっしゃるとおりのようですね。ただ線路の様子はちょっと違うような・・・。

ビア・ステーション焼津
下り2番線のちょうど橋上駅舎の真下あたりに
留置されていた記憶です。
下2はかなり前に撤去されて、エレベーター用
通路や駐車スペースにされています。

bad.Ⅳh-95さん、お久しぶりです。
この界隈のネタでは右に出る人がいないのでは?

初めまして、昔の東海道線を検索していたら
見つけたので書き込みさせてもらいます。

幼いころ祖母に連れられて駅周辺を散歩したり
駅のバスロータリーから次々とやってくる色とりどり貨車や入れ替え作業を眺めたりしていました。

記憶に残っているのは
下6、7、8は鮮魚の荷役ホームで
1985年くらいまでレが2~3両放置されていましたよ。

赤阪鐵工引き込み線は地下道工事が始まるとともに廃止され、
ここで掲載されている写真の場所からもっと瀬戸川寄りの工場間の道路にレールを剥がしてアスファルトで埋めた跡が残っています。

あと・・・上3には味タムがいつも3~4両ほど留置されていて
水産加工品に使っていたのでは?と思われます。
サッポロビール専用線には稀にワキ5000も入っていました。

1992年の配線図は時系列的に
配線が合わないですね(汗)

焼津生まれのななっしーさん、焼津といえばやっぱりサカナ、鉄道的にはレとかレムなどの白いヤツ。昔は普通に見られたのですが、一般車扱貨物が廃止される前にいつの間にか消えてしまいました。

>管理人さん

「焼津駅」「藤枝駅」は、清水駅と同様、

貨物列車が停車できる構造 です。

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