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2012年8月 5日 (日)

静岡貨物 2012/6/2 その2

今回は大谷道路橋(長沼大橋)からの眺めです。

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・東京方です。下り本線です。

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・少しづつ山側に移動していきます。ハンプから散転される貨車を眺めるのには絶好の場所だったと思うのですが。

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・貨物1・2番線付近です。貨物4~7番線は使用されなくなったようで短くなってしまいました。

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・上り1~3番線付近です。

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・新幹線を越えるとかつての貨物扱い設備、今では新幹線保守基地です。
・三線軌の分岐器が見えますが、これについては別途・・・。

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・振り返って神戸方です。

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・狭軌のレールが何の前触れもなく突然終わっていますね。

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・秘密の地下トンネルです。西浜松の地下通路は今でも使用されているようですが、こちらは営業用としては使用されていませんね。

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・少しづつ海側に移動します。

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・このあたりはかつては方向別仕訳線群の真っただ中だったところですね。

23p1050845
・今では機関車基地になっていますが、線路の数ほど止まっている機関車の数は多くはありません。

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コメント

大好きな地下連絡線
そういえば稲沢にもあったよ
(ここの稲沢配線図でも確認できます)
あそこは機関車しか通っていなかったと思うけど
関係ありませんが
稲沢のことで地域間急行貨物(地貨)というのをはじめて聞いて
すげぇ、地下にも操車場があるんだと思ったりもしました

ヒデヨシさん、稲沢の地下連絡線、それってハンプの下を通る機回線のことでしょうか。不思議とハンプの下ってどこもそういう線路が設けられていますね。せっかく山を作ったのだからいっそのことトンネルも・・・、ってことはないと思いますが(笑)。

初めまして。時より操車場関係の配線図を拝見させていただいております。情報量の多く、調査には努力されているものと察します。静岡に7年ほど住んでいたことがあり、時より橋から見えるEF65-111号をチラ見していたことを懐かしく思い出しました。話は変わりますが、私は現在、田端貨車区配置のソ99号を調べています。元貨車区長に聞くと武蔵野貨車区へ持っていったというのですが(S53年10月には田端貨車区から全職員が武蔵野貨車区へ移動)、しかしながら、オハ71系の一族という本に1979年9月隅田川客貨車区で撮られたスエ71-28号とともに黄色のソ99号が写っているものを見つけました。このスエは1979年には北ハタ所属で翌年には北スミに転属しています。私は恐らく、ソ99号もスエと一緒に転属したものと考えています。しかし1979年の国鉄車両配置表の入手が困難でソ99号の配置が確かめることができない状況となっております(1980年版には隅田川配置)。もし1979年の配置表をお持ちでしたら、ソ99号の配置を教えていただけないでしょうか?初めてのコメントでお願いしてしまい済みませんがよろしくお願いします。

kokifu50000さん、コメントありがとうございます。
鉄道図書刊行会発行の1979年版国鉄車両配置表によれば、1979年3月31日時点ではソ99は田端(操)が常備駅と記載されています。
この時点で田端にはスエ7128のほかにオエ6113もいたのですが、これも1980年3月では隅田川配置になっていますので、おっしゃる通りスエ7128とソ99、それにオエ6113を加えた3台がセットで移動したっぽく思えますね。

>管理人さん

昔は、現在と違い
貨物輸送も多かった ので、

その区間を「トンネル」にして、
上りの線路⇔下りの線路をまたがないように」で
機関車等の入れ替え等、していました ね。

静岡&浜松 には、
「稲沢線」と違い、
貨物専用線路=貨物線がない ので、
別に1線を駅から引く必要 があり、

それが、「今も現役」で、
静岡駅の上り線側
&
高塚駅~西浜松駅~浜松駅 で、残っております。

同級のやつが、高校時代 に、
「高塚から」「草薙から」で、通学 していた ので、
直接に、その当時、聞いています。

静岡操車場工事の折静岡駅の貨物扱いを静岡操車場山側に集約同時に新幹線開業控え平面競合を防ぐ為地下線で立体交差し貨物駅へ貨車を送り込む事で平面競合問題を解決したのです 時代が下り貨物輸送の変化で静岡操車場はコンテナターミナル化富山側貨物駅の廃止と用地の新幹線保線基地化後も地下連絡線は新幹線向け資材搬入線として残され保線基地構内の一部の側線を三線としたのです

名無しさん、yoshikawaさん
貨物の縮小で当初の思惑とは違った形になりましたが現在でも活躍しているんですね。

嘗て新幹線貨物輸送検討時静岡も貨物扱いの候補に挙がった貨物駅の予定地は静岡操車場の脇に造る予定でした諸般の事情で新幹線は旅客専用貨物輸送は空いた在来線へシフトという図式となり消えました

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