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2012年6月 9日 (土)

高島貨物線配線図 1977/10

今回は1977年(昭和52年)10月です。

ますは入江駅です。

1197710
・鶴見方、高島方のいずれからも下り1番線に進入できるようになりました。
・新興方に対しては新たに着発2番線が設けられています。
・この時点では一般車扱貨物の取り扱いは廃止されていますが、線路的には変化はありませんね。

続いて東高島駅に属する旧千若信号場部分。

2197710
・ほとんど変化はありません。
・23イ・ロ、24イ・ロといった渡り線が設けられているのですが、本線列車がここで入換をすることはあったのでしょうか。

続いて東高島駅の本体部分。

3197710
・ここもほとんど変化はありません。

続いて高島駅。

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41977102
・本線関係がずいぶんと変わりましたね。
・今までの本線は着発可能な下本・下1・上本・上1と出発のみ可能な下2・上5の6線でしたが、着発可能が下本・下1・下2・上本・上1・上2、出発のみ可能が下4・下5・上3・上5の合計10線になりました。
・有効長も延伸されたようで、「高島駅のダブルスリップスイッチ」の記事で触れた5個のダブルスリップはすべて姿を消しました。その代わり両端付近にシーサスとスリップスイッチを組み合わせた複雑な分岐器が新たに設けられています。
・連動装置も継電化されたようで、何となく近代的な雰囲気の駅になりました。

続いて東横浜駅。

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51977102
・横浜港方は単線化されてしまいましたね。
・全体としてはあまり変わっていませんが、大岡川沿いの貸切11~13番線や貨車区の検修庫が姿を消しています。鉄道図書刊行会の国鉄車両配置表によれば、1974年(昭和49年)3月時点では運転関係業務機関として東横浜貨車区並びに同高島支区が記載されているのですが、1975年3月時点ではこれらの記載がなくなった代わりに横浜貨車区が記載されています。おそらくは東横浜の貨車検修設備を高島に移管したのではないかと思われます。

続いて横浜港駅。

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・前述の通り東横浜方は単線化されましたがそれ以外は変化ありません。
・その単線化も線路を途中でちょん切っただけ、というカタチですね。

続いて山下埠頭駅。

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・1967年3月の配線図と比べると「横浜市川西共用線」や「7社専用線」が新たに設けられていますが、よくよく見たらこれらは1972年2月の配線図にすでに記載されていますね。
・今頃言うのもなんですが、山下埠頭駅は右側通行なんですね。

続いては支線関係です。
最初は新興駅。

11197710r
・ほとんど変化はありません。

続いて東高島駅に属する旧瑞穂駅部分。

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・側線が一部減っていますが、右上の横浜倉庫専用線は逆に新たに設けられたもののようですね。

続いて横浜市場駅。

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・駐留軍洗濯線はなくなってしまいました。

最後に表高島駅。

14197710
・微妙に変化していますが、全体的にはほぼ同じです。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

またまた、どうもありがとうございます。
東高島駅関連では、旧浜線を利用していた精油工場の専用線が無くなっていますね(ただ幸いなことに(?)運河にかかる鉄橋が現存しており、なかなかの雰囲気を醸し出しております)。それに高島駅まで延びていた旧横浜線の線路も途中でちょん切られて、それぞれ東高島駅、高島駅引き上げ線になっていますね。表高島駅の突堤/岸壁の上屋(倉庫)まで延びていた2カ所の線路も無くなっています。
高島駅の近代化、東横浜ー横浜港が単線化される等、'67からの10年間で側線などの整理/縮小が始まった感じを読み取りました。
また、楽しみにしております。

よこはまみなと駅さん、おっしゃる通りこの頃になるとそろそろ縮小方向かな、と思うのですが、その一方で高島駅が改良されたり旧瑞穂駅に横浜倉庫専用線が設けられたりと、まだまだ元気なところが感じられる一面もありますね。

これみると、晩年奥多摩のロホキが放置されてたのはJOTの専用線だったのですね。
JOT東高島常備の表記見て、一体何処に置くとこあるんだろうと何回も行っても見つけられなかったのですが、、、。そこだったのか。

お聞きしたいのですが、東横浜に確か検量線みたいなものが、桜木町駅のホームから見えていた記憶あるんですがどの線路なんでしょうか?

分かりやすく言うとポイントで分岐しているんですけど、完全に分岐せず、四線状態になって横に小さい小屋があってそこを超えると又一緒になります。この区間確か緑色の鉄板の道床だったと思います。


三菱ドッグ前の踏切はみなとみらいの工事中、向こうには行けず、全く踏切としての機能無くなっても残ったのはほんとにうれしい限りで、壁に貨物通過時刻がペンキ書きされてたので、これを目安に撮影したのも遠い昔です。
親父が三菱のここで働いてたので、盛業中は、ここで親父の帰りを待ったものです。
(今ではちゃんと本来の踏切の機能しています。)

ゆかわあきら様 東横浜駅配線図の検重線と記載された線がそうです
四本線はガントレットと云われてます直線側は秤には関係無い分岐側は鉄版の上に線路が取り付けており鉄版自体が秤の台になっており此方の線路に貨車が乗ると計量が出来ました
普通の検重秤は針が回転して重量を表示する家庭に有るタイプと同じです 東横浜駅の検重秤は錘を使い計量するタイプの様でした

yyoshikawaさんありがとうございます。確かに有りました(汗)。
この位置がホームから見えてたとこになりますね。

こういうのは今現存してるのは速星だけかもしれませんね。
速星は貨車が載るとチンって音が鳴ってDLで一両ずつ移動してゆく感じだったかと。
二本木は日本曹達なくなってたぶん線路ごとない予感しますし。

検重秤に付いて通常の検重秤は構造的には体重計を大きくした物と思えば良いと思います 
外観的には目盛りの部分が普通の体重計よりは大きく目立ちました
東横浜の検重秤は遠目に見て判断すると目盛り部分が無く分銅とサオの部分の微調整コマで重量を測定するタイプの様でした

ゆかわあきらさん、yyoshikawaさん
速星駅にはまだ検重線が残っているんですね。
ところで重量を測る時って連結したままですよね。自連の遊間がない状態だと測定精度が悪くなったりしないのでしょうか。

こんばんわ 昭和59年1月28日まで新興(貨)・東高島貨(貨)・高島(貨)から宮城県の栗原電鉄若柳駅・沢辺駅・栗駒駅までふすまの定量輸送が行われておりました。他に表高島(貨)から沢辺駅までふすまの定量輸送が行われておりました。
又宮城県の栗原電鉄 若柳駅・沢辺駅・栗駒駅から新興(貨)東高島(貨)高島(貨)表高島(貨)まで粳玄米の定量輸送が行われておりました。
昭和56・57・58年度各駅平均50t~80t程度です。

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