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2012年4月22日 (日)

熱田配線図

あちこち寄り道しながら東海道線をゆっくりと西に進んでいます(汗)。
今回は熱田駅です。
(過去の記事も合わせてご覧ください。)

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・隣り合う上下本線の外側に副本線が配置されている、対向する本線を横断するルートがない、という東海道線の典型的なパターンです。
・下り2番線は出発専用で、東京方からの進入はできません。
・特徴的なのは下り東4~11番線・下り西4~10番線で、多分これらは貨物の積卸線だと思われ、貨物扱いの拠点的な役割を持っているようです。
・ホームに面した下り3番線がどのような使われ方をしていたのかも興味がありますね。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・1960年の図にも一応それなりに描かれてはいましたが、下り1番線の神戸方には安全側線が設けられているんですね。

続いて1968年(昭和43年)2月。

196802
・線路配線は変わりありませんが連動装置が継電化されました。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904
・隣り合う名鉄線の線路も描かれています。
・内外輸送、財務局、日本車両といった文字も見えますね。

続いて1972年(昭和47年)2月。

197204
・下り西7番線付近に変更があり、手小荷物積卸場が設けられています。この頃に熱田駅の荷物扱いが強化されたんでしょうか。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904
・線路関係も若干変化していますが、それよりも信号関係が大きく変化しています。
・東京方からは下り3番線に進入できるようになったと同時に、下り3番線から東京方に進出できるようになりました。
・神戸方からは、今までは上り本線と上り1番線の2進路しかなかったものが、下り3番線・下り2番線・下り1番線・上り本線・上り1番線・上り6番線と、一気に6進路になりました。
・下り3番線と上り6番線から神戸方への進出も可能になっています。
・これらによって「対向する本線を横断するルートを設けない」という東海道線の伝統(?)が打ち破られたことになりますね。
・このあたりの変更は、主として名古屋発着の電車の折り返しではないかと思われます。1978年(昭和53年)1月に専用線貨物以外の車扱貨物の取り扱いが廃止されており、貨物用の線路を転用したのではないかと思うのですが。
・今回の変更でホームに面した下り3番線が本線に格上げされたわけですが、どのような使われ方になったのかますます興味が湧きます。

続いて1983年(昭和58年)4月。

198304
・特に大きな変化はありません。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008
・1984年(昭和59年)1月に専用線貨物の取り扱いも廃止されて旅客専用駅となり、貨物側線が大幅に整理されてしまいました。
・特に上り線側の上り2番線~上り6番線は全廃となり、本線としての上り6番線は短命でしたね。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・上り線側に忽然と上り2番線・上り3番線が現れました。神戸方に対して進入・進出が可能ですので電車の折り返し用と思われます。
・上り2番線・上り3番線の出発信号機のてこ番号が記載されていないのですが、201~210は開通てこも含めるとあまり空きがないのでどんな番号が付与されたのかちょっと興味があります。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703
・注目の上り2番線・3番線の出発信号機は、全体の信号機等のてこ番号が整理されたため闇の中となってしまいました。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604
・特に変化はありません。

名鉄、日本車両、千種への貨物線、荷物扱いなど、いろいろと特徴の多い熱田駅です。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

過去の記事でもレスした熱田駅です
熱田駅は現場勤務したことはありませんが
合理化後の余剰人員を集めて教育があったときに数週間いたことがあります
現在は快速も停まらない駅ですが昭和50年代初めまで通勤時間帯のみ快速が停車していました(オレンジ快速)
人口が多いところにある駅ですが現在も人気がなくさびしい雰囲気の駅です
昭和44年の図
上り入換引上線の先が名鉄線との受け渡しですね
ここは名鉄デキでの入換ですが国鉄ヤード上り側線群は同じ名鉄デキにて入換をしていたのか判りません
入換機の配置はなく入換動車があったかどうかも記憶にないです

昭和53年頃に旧駅舎から現行の駅舎に替えられましたが旧駅舎は洋館風の非常に威厳のある建物だったですね
待合室になぜか巨大な鳥篭があったのが珍しいです

ヒデヨシさん、過去の熱田駅の記事へのコメントがヒデヨシさんのコメント第一号のようですね。
熱田駅周辺を歩いていて結構驚いたのは、区役所が駅のすぐそばにあることでした。
鳥篭の中にはいったい何が???

昭和44年図、内外輸送専用線
これは引上げ線終端にタンク車用積卸設備があり
突き当たりに「アント」が置いてあり
常時見れる状態だったのが記憶にあります
図には描かれていませんが
名鉄線をはさんで東側(下側)に日本車両専用線と最後まで残っていた中京倉庫専用線がありました

鳥篭の中には名前は定かではありませんが小鳥(フィンチ)が入っていました
文鳥や十姉妹あたりではないでしょうか
人の背丈より大きな籠でしたよ

1960年の図、誤記でないなら下り1の神戸方は安全側線ではなく脱線器じゃないですかね。
1967までに、より保安度の高い?安全側線に改良されたんでしょうか。

熱田駅はこのあたりの東海道線の駅にしては珍しく独立した信号扱い所があるのが特徴ですが
初期のころはその位置が2箇所あったり変わったりと彷徨ってますね

熱田駅の旧駅舎から新駅舎が完成をしたのは昭和何年頃でしょうかとのことですが、

熱田駅の東側には日本車輛製造の工場がありましたがその日本車輛の工場が廃止をされたのは昭和何年頃でしょうかとのことですが、

名無し信通区さん、記号をそのまま読み取れば脱線器ではなくて脱線転てつ器になるかと思います。どちらにせよ本線上に設けるのはちょっと物騒な気がしますので安全側線の間違いではないかと思っているのですが。
ヒデヨシさん、おそらく1967年頃に連動装置が継電化されたようですね。それまでは信号扱所がNo.1とNo.2の2か所だったものが継電化により1か所に集約されたのではないかと思います(1967年の図に信号扱所が1つしか描かれていませんが、これはNo.1の記載モレではないかと思うのですが)。
巽孝一郎さん、Wikipediaによれば現駅舎への改築は1982年(昭和57年)10月だそうです。日車本店工場は同じくWikipediaによれば1983年(昭和58年)5月だそうです。

下3の疑問ですが。
名古屋駅の荷扱い時間の短縮を図る為に急送品以外を熱田駅に移転したので下3は東海道線下りの荷物専用ホ-ムになりましたけど上りの荷物列車は以前から上1で行っていましたが停車時間の関係から下3に変更するために渡り線が追加されたと記憶しています。また名古屋駅の荷扱い廃止に伴い関西線と中央線の荷物列車が熱田駅に変更を機会に西下の増設が行われています。時代が流れ関西線と中央線の荷物列車が廃止されると西下りは不要となりました。西下は非電化なので名古屋からの荷物列車の一往復がDD13の牽引でした。

つるたまさん、荷物扱いや回送列車の折り返しといった点で熱田駅は名古屋駅と密接なつながりがあったんですね。

 随分昔の事ですが未だ日車が熱田に有った頃隣りの中京倉庫に何時も巨大な蒸気機関車が何両も置かれておりました 子供心にあれは何んだと 後年朝鮮戦争の折見込みで大量に仕込んだ ミカイ形蒸気機関車の売れ残りで有ったとの事其の後何時の間にかスクラップにされたと聞きます
一両位残してくれてもと思うのですが・・・・・
 残念乍我が家には写真が有りません 里山工房の昔の車両写真のサイトの中に当時の写真が有りました

y yoshikawaさん、地元は大崎近辺かと思いますが、結構多方面にネタをお持ちですね。
里山工房さんの写真見ました。一種異様な光景ですね。

92年の上2・3番線はしらさぎの折り返し用ですね。
JR発足後、神領への回送をやめて熱田駅の上2・3番線で車内清掃、整備をやるようになりました。
東海道本線、中央西線ともに列車本数の増加で名古屋駅での両線間の転線がダイヤ作成上のネックになったのと回送列車分の車両使用料削減のためだと思われます。

名無しさん
合理的な判断ですね。

 おはようございます、『専用線日記』の奥野君です。
 長らく多忙でリンクしていませんでしたが、再開しちゃいました。もしよろしければ、これからまたよろしくお願いいたします。
 ではでは。

奥野君さん
お久しぶりです。専用線日記はしょっちゅう拝見しています。
今後ともよろしくお願いいたします。

少し前に出版されたフォトパブリッシング名古屋鉄道の貨物輸送という本最近入手して読むと此れ迄余り取り上げられなかった貨物輸送に主眼をおいた内容です特に熱田の直ぐ側にある名鉄神宮前駅は東海道本線を挟んで嘗て東側と西側に名鉄の貨物ヤードが存在していた同誌8ページに神宮前駅1961年の配線図が掲載されてます当時未だ日本車輛本社工場が存在してます此の時代ですので朝鮮戦争特需の大陸向けのミカド型蒸気機関車が構内に存在していた 日本車輛本社から出荷する新車輛は必ず名鉄の電気機関車が牽引して名鉄神宮前駅構内を構内運転で通過後神宮前南側の国鉄名鉄間授受線に入線してから国鉄の機関車が迎えに来て熱田迄構内運転で運搬してから甲種輸送で各地へ運ばれた という事は当時日本車輛制作された国鉄の新車は名鉄の機関車が必ず牽引していた事である 以前より疑問に思っていた事の一つに戦時中に名鉄旧愛電東部線と名岐西部線間を結ぶ地下連絡線を建設し接続し直通運転が出来る様になり名鉄の基幹路線となった岐阜犬山名古屋豊橋常滑河和直通運転が出来今日の名鉄直通ネットワーク構築の基になった此の地か連絡線に貨物列車が運行されていたのか長年疑問でしたが漸く今回の本で氷塊されました昼間の時間帯は一本臨時の貨物列車が運行されていた他は夜間に集中して貨物列車を運行していた事が解明した事です隧道ではない地下鉄区間を走行する一般貨物列車が運行されていたのは名鉄だけでしょう更には名鉄は他の私鉄には無い臨港線の存在 沿線に併用軌道を有する犬山線(木曽川に架かる犬山橋付近)の貨物列車 岡崎市内の路面電車区間を行く単車の貨物電車牽引の国鉄貨車完全離れ小島揖斐谷汲線jのミキスト列車等興味深い書籍です皆さん御一読ください

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。名鉄や東武など貨物輸送を活発に行っていたところは国鉄に似た雰囲気がありますね。

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