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2012年3月26日 (月)

笠寺配線図

今回は笠寺駅です(過去の記事も合わせてご覧下さい)。
大府駅同様、南方貨物線の影響を大きく受けた駅ですね。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000r
・隣り合った上下本線の外側に副本線が設けられた、東海道線の典型的なパターンです。
・名古屋臨海鉄道線はまだ開業していませんが、そこそこの数の貨物側線が設けられています。ただ、下り線の東京方の貨物側線の配置にはちょっと違和感を感じますね。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701r
・名古屋臨海鉄道線が開業して一気に賑やかになりました。
・特徴的なのは神戸方の東港通路線でしょうか。ついつい「何で一気に下り本線を横切らないの?」と思ってしまいます。
・この当時の東海道線の各駅の配線を見てみますと、到着側で対向する本線を横切るルートが設定されている駅ってほとんどないんですね。熱海~米原間ですと別格の名古屋駅を除くと大府駅だけなんです(上り→武豊本線のルートです)。静岡も浜松も豊橋も岐阜も大垣も横切るルートはないんです。ですので、考えすぎかもしれませんが、到着側で本線を横断することに対して慎重になった結果がこの東港通路線なのかもしれません。
・それにしても、名古屋臨海線←→東京方の貨車の授受は面倒そうですね。下り2~4番線あたりから東京方に進出できるようにすればラクになる気がするのですが、そのような需要は少なかったのでしょうか。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904r
・東京方で線路をまたぐ道路は名古屋市電の併用軌道かと思います。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204r
・下り2番線から東京方に進出できるようになりました。これが自然ですね。ただそうするのであれば、東京方からも下り2~4番線に進入できるようにすればよいのに・・・。

続いて1975年(昭和50年)1月。

197501r
・旅客線側で大きな変化があり、副本線が上下本線の外側から内側へと、真逆の位置関係になりました。ホームの配置も変わり、下り本線にはホームがなくなりました。東海道線には珍しい形態ですね。おそらくは下りホームを撤去し、上りホームを上下中線のホームに転用して上りホームを新設したものと思われます。
・旅客ホームの海側には貨物の着発線群が並び、南方貨物線をだいぶ意識した配線変更のように思えます。但し東京方に対しては到着は下り1番線のみ、出発は下り2番線のみですので、神戸方に比べると東京方ではルートが大幅に限られてしまっています。
・貨物用の線路のスペースを確保するために旅客線を山側に押しやった、といったところのように思えるのですが、それにしても下り本線にホームがないというのは結構大胆ですね。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904r
・東京方から進入できるのは相変わらず下り1番線だけですが、東京方へは下り1~3番線から出発できるようになりました。着実に進化を続けていますね。
・下り本線と下り1番線の間に線路名が書かれていない線路があります。過去の笠寺駅の記事でのヒデヨシさんのコメントのよれば、将来南方貨物線の上り本線になるはずだったと思われる線路です。写真を再度掲げますと、こんな感じです。

19791224kasadera03
1979年(昭和54年)12月24日撮影です。
真新しいPC枕木が使用されている線路がそれです。結局使用されることなく撤去されてしまう運命でした。

続いて1983年(昭和58年)4月。

198304r
・東京方から下り2番線にも進入できるようになりました。
・神戸方の下り引上1番線の根元あたりには将来を見越して設けられたと思われる分岐器がいくつか見受けられます。これらも結局使用されずに終わってしまうんでしょうね。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008r
・ゴチャゴチャしすぎていてよくわかりませんが、大きな変化はないようです。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201r
・下り本線にホームが設けられました。下り本線と下り1番線の間の線路はまだ描かれていますが、先の写真の通りこの線路を残したままでホームを設けるのはちょっと無理がありますね。ヒデヨシさんのコメントの通り、ホーム設置時点でこの線路は撤去されていたものと思われます。
・結局のところ、南方貨物線のために下りホームを撤去したものの、建設が中止されたため撤去した下りホームを復元した、ということですね。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703r
・とうとう名無しの線路は姿を消しました。
・他のホームは230~260mなのに、新設の下り本線のホームは180mとちょっと短めです。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604r
・大きな変化はないようです。

大府駅には将来使用されるはずだった線路が錆びついた状態で未だに放置されています。笠寺駅にも同様の線路があったわけですが、こちらはホーム設置時に撤去されましたので、線路配線図だけを見る限りでは大府駅ほど南方貨物線建設中止の痕跡は感じられないような気がします。しかしながら実際に笠寺駅を訪れて南方貨物線の夢の跡を目の当たりにしますと、結構ショックを受けますね。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

到着側で本線を横切る前に1クッション置いている駅というと、ぱっと思いつく所では武蔵野線の新座タとか越谷タがありますね

名無し信通区さん、そうですね。小山(東北下り→水戸線)も昔はそうだったらしいのですが、私の知る頃には即横断になっていました。逆に北藤岡は昔は即横断でしたが今では1クッション置くようになりました。

>到着側で対向する本線を横切るルートが設定されている駅ってほとんどないんですね。
東海道線舞阪駅では下り貨物列車,下り本線に引き上げて上り本線を横断して貨物ホームのある線に貨物列車を引いてきた機関車が貨車を入れたりしていたのを覚えていますがこのことでしょうか?
そういえば上りの貨物列車も本線横断はしないけれど引き上げ線短いからかほとんど本線に引き上げていました。

上り場内信号の名称が「東港通場」となっていてなんのことやら?と不思議に思っていましたが東港通路線なんですね。謎が解けました。 このワンクッションで結構長い間信号待ちしてる列車を見かけます。大抵対向が遅延等してる時が多いですが。

元々は大高駅が管理する信号所として運用が始まった駅だったと思います
その後の発展が著しくて反対に大高駅を管理するような具合になったようです
1969年の図
このころ車専用列車の発着があった笠寺駅
現在の日本ガイシホールの敷地がそうだったと思います
11~13番線の線路終端の長方形のものは車載用ランプ車の位置なんでしょうね

新幹線の開業により、その高架下に本屋が作られてホームを繋ぐ地下道なども人気がなくうら暗い印象があります

1979年の図
下り中線107 普通電車に乗ってこれを通過するとき毎回倒れるかというくらいきつかった覚えがあります

南方貨物線と言えば大高駅も貨物線用地に仮ホームを設けてホーム工事をしていたことがあります
正規の位置に移動した後貨物線側にわざわざ線路をひいたのですが結局使わずに全部撤去となりました
笠寺駅の神戸方も貨物線高架や橋梁もすべて完成していて線路をひくだけだったのになんとも惜しい気がします

↑ ヒデヨシの名前書き忘れです、すみませんでした

 初めまして、こんばんわ。
いつも楽しく拝見さしてもらってます。
 到着側で本線を横切る前に1クッション置いている駅というと、
阪和線杉本町もそんな感じでした。
和歌山方から竜操方面に行くルートは、阪和線の中線のようなところへ入った後、阪和貨物線に入線していました。

そういえば自動車輸送で気になっているのが
国鉄岡多線北野桝塚駅です
自動車輸送全盛期、最大の発送設備を持っていた同駅の配線図が見たいです西三河から尾張地区をやっているのでぜひとも資料がありましたら掲載お願いしたいところです

舞阪駅利用者さん、「到着側で対向する本線を横切る」のはあくまで列車を指しており入換で横切ることではありません。ただそれとは別に、「引き上げ線短いからかほとんど本線に引き上げていました」はちょっと気になりますね。
けーすけさん、信号機に掲げられている表示のことですね。所定で東港通路線上で対向列車待ちをするようなダイヤではないんですよね・・・、きっと。
大和の民さん、おっしゃる通りですね。杉本町にもありましたね。
ヒデヨシさん、北野桝塚は機会を見てご紹介したいと思います。

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