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2012年3月21日 (水)

共和配線図

ヒデヨシさんのリクエストにお応えして共和駅の配線図です。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000

・武豊駅~熱田駅間の開業は1886年(明治19年)ですが、この時同時に開業した駅のうち現在東海道線に属するものは大高駅と熱田駅のみです。翌1887年(明治20年)に大府駅が開業し、約50年後の1933年(昭和8年)にこの共和駅が開業しています。(笠寺駅は1943年(昭和18年)、南大高駅は2009年(平成21年)の開業です。)
・当初より旅客専用駅であり、また共和駅開業時点ではこの区間の東海道線はすでに複線化されていましたので、おそらくはこれが開業時の姿ではないでしょうか。

続いて1968年(昭和43年)2月。

196802

・右側が欠けてしまってゴメンナサイです。
・中線が設けられ、待避が可能になりました。
・想像ですが、下り本線を下りホームの外側に移設して旧下り本線を中線に転用したのではないでしょうか。すなわちこれによって下り本線に東海道線特有のクネクネが発生したように思うのですが。

これ以降は現在に至るまで特に大きな変化はありませんので一気に。

1969年(昭和44年)4月。※※

196904

1979年(昭和54年)4月。

197904

1990年(平成2年)8月。

199008

1997年(平成9年)3月。

199703

2006年(平成18年)4月。

200604

大府駅~笠寺駅間の海側には南方貨物線の用地が確保されており、当然共和駅の海側にもそれは存在します。ただwikipediaを見ますと「1線分の空き地」と記述されており、航空写真を見ても確かにその前後に比べて共和駅の構内では空き地の幅が狭いように思います。現地を見ていませんので何とも言えないのですが、仮に本当に1線分しか用地がないのであれば、
1)すでに2線分確保されていた南方貨物線用の用地の1線分を利用して中線を増設した。
2)中線が増設された後の共和駅の構内に南方貨物線用地を取得する際、1線分のみ確保した(1線分しか確保できなかった)。
3)中線が増設された後の共和駅の構内に南方貨物線用地を取得する際、当初は2線分の用地を確保したが、南方貨物線建設中止決定後に1線分を使用して下りホームの拡幅を行った。
4)中線が増設された後の共和駅の構内に南方貨物線用地を取得する際、当初は2線分の用地を確保したが、その後駅周辺の道路整備等のために1線分を売却した。
などが考えられます。
1)、2)の場合は南方貨物線開通時は共和駅の待避線撤去が前提になりますので、もしそのような計画であったなら興味深いですね。
3)や4)だと個人的にはちょっとガッカリです(笑)。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

掲載ありがとうございます
ちなみにこの駅は刈谷駅の次に勤務した駅で運転掛(信号担当)でした
信号といってもご覧の様に中線1本のみで退避列車も少ないので主な仕事はホームでの列車扱いで、もう1人は当務駅長(駅長か助役)が担当します
格好は助役と同じ金線入りの帽子だったです
中線増設はご想像通り南方貨物線が頓挫する前からの建設ですから
貨物線用地を利用してのもので南方貨物線が完成した暁には再び対面式ホームに戻るという一時的な予定だったはずです
ホームの海側には下り本線となった線を含め2線分の用地がありますね

この駅の下りホームは15両分しかなく347M(大垣行き)は最後部デッキ扉がいつもギリギリでした
それから上りホームも階段下からホーム先端までが余裕がないため止まりきれずに渦走してはみ出たこともありました(ドアが架かるまで後退)
開業時の本屋駅舎は橋上駅化後も運転事務室(駅長室)に転用されて近年まで存在していました

信号担当ってことは、信号扱所で信号てことか操作するんですね? 多分継電ですよね?
信号担当と操車担当は憧れの職業です!

そのとおり
継電操作盤の信号てこ担当です
下り本線場内、下り中線場内、下り本線出発、下り中線出発、上り本線場内、上り中線場内、上り本線出発、上り中線出発
これだけしか信号機がありません

あのころで下り普通電車が快速を退避1本
上り普通電車が1レ特急さくら退避の合計2本だけだったと思います

上で1レと書きましたが上りですので2レですね
すみません
1969年の図でまだ踏切が存在している頃
甲洞(こうぼら)踏切と読みます
もっと神戸方に乙洞(おつぼら)踏切が今も存在します
ホームを結ぶのは跨線橋だったのですが
中学生だった昭和48年頃共和踏切を自転車で通る時80系電車が停まっていてまだ橋上駅ではなかった記憶があります

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