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2012年2月26日 (日)

大府配線図

過去の記事も合わせてご覧ください。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・東海道線の標準的なパターンですね。
・武豊線の場内信号機102Bが「武豊1場内」と書いてあるのですが、武豊1番線というのは見当たりません。下り1番線のことかと思ったのですが、軌道回路から考えると下り2番線のことのような気がします。いずれにせよ列車停止標識は描かれていませんが。
・同様に武豊線出発信号機104Bもよくわかりません。102Bが下り2番線なら104Bは下り1番線?
・入換を行う東海道線の貨物列車は、下りの場合は武豊本線に停車することが可能ですが上りの場合はおそらく上り本線をふさいだまま入換を行うのでは?

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・神戸方に出発信号機201Cが設けられました。下り2番線用?
・貨物1・2番線の東京方は住友の専用線ですね。車両停止標識らしきものが描かれているのがナゾですが。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904
・102Bは下り2番線、104Bは下り1番線って書いてありますね。これでスッキリ。但し201Cは無視されています。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204
・継電化されたようですが、11Lや13Lのところには以前の103や104Bの文字が残ったままになっています。進路選別式だと進路が推定しやすいので助かりますね。
・下りの仕訳線群の配線が変更され、神戸方にあった材修場の線路もなくなって下り5番線あたりから下り本線に合流する線路が設けられました。何やら大きな変化の予感です。下り4番線と下り7番線から神戸方に出発ができるようになったほか、神戸方から下り1番線への進入が可能になっています。
・下り1番線と下り2番線にやっと列車停止標識が描かれましたね。

続いて1975年(昭和50年)1月。

197501r
・スゴイことになってきました。何が何だかよくわかりません。
・まず海側にホームを1面増設して下り本線をそこに移設し、東海道線の伝統を打ち破って中線が設けられました。但し下り中線はホームに面しているものの列車の発着はできません。とりあえず上下間の貨車の授受に使用しているのかもしれません。
・上り本線も旧下り本線部分に移設されていますが、このあたりは暫定的な気配ですね。
・武豊本線は東海道上下本線間に入り、このため東京方に東海道下り線との立体交差が設けられています。
・以前の貨物列車用副本線(下り1・2番線)は有効長が150m程度しかなく、すなわち武豊線の貨物列車の着発用と思われるのですが、これらが一気に600mぐらいに延長されました(下り1番線・貨物1・2番線)。但し東海道線下り貨物列車が使用できるのは下り1番線だけで、貨物1・2番線は武豊線貨物列車が主体のようです。
・また上り貨物列車については、武豊本線から東京方には出発できませんので、入換を行う場合は相変わらずその間上り本線をふさいだままということのようですね。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904r
・東京方に乗り越し線が設けられ、入換を行う上り貨物列車は神戸方で下り線を横断して海側の副本線に発着するようになったようですね。
・上り線側の貨物積卸線が撤去されましたが、大府駅の貨物扱い廃止は1982年(昭和57年)ですので、この時点ではまだどこかで貨物の積卸がされていたはずだと思うのですが。
・下り本線と下り中線が入れ替わっており、下り中線は将来の貨物上り本線と思われますが、この時点ではただの側線です。
・武豊線の発着線が武豊下り本線・武豊上り本線に分けられましたが、武豊方面行きが下りとして扱われているようですね。
・東京方の改良工事はこれで完成ですね。あとは南方貨物線の完成を待って神戸方の工事を行うはずだったのでしょうが・・・。

続いて1983年(昭和58年)4月。

198304r
・特に変化はないようです。急激に変化してきた大府駅ですが、南方貨物線の建設が中止となったため変化が一気にストップしてしまいました。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008r
・下り側の仕訳線が一部撤去されました。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703r
・特に大きな変化はないようです。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604r
・特に変化はありません。
・個人的には下り中線の今後が妙に気になります。

大府駅の今の姿を見ると、まさに南方貨物線に翻弄された悲運の駅、という感じを受けますね(って、ちょっと大袈裟(汗))。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

一番上の図
豊田織機専用線と書かれているのが
依然お話した大戦中の飛行場を持つ三菱航空機工場の線から変わったものでしょうか?
住友専用線は昭和52年ころレールはないけど線路敷きを辿る事ができましたが今はどうなのでしょうか?
大府駅東方の雄大な立体交差は
南方貨物線と東海道線を振り分けるもので武豊線の立体交差もそれに伴ったものでした
武豊線の旧線は貨物列車進入進出用に転用されましたが明治時代からの橋脚とデッキガーダー橋も近年架け替えられてしまいました

ヒデヨシさん、三菱航空機工場の線は多分「財務局」と書かれた線ではないかと思うのですが。住友専用線の現状は昨日の記事のような状況で、一応痕跡は窺えますね。

武豊線 は、
名古屋方面から
最初にできた 路線。

 最初の3枚で、信号扱い所の向きが反対ではありませんか? 駅構内に背を向けていたとは思えません。
 新幹線から眺めると、笠寺から大府まで貨物線用地が延々と続いています。将来、何かの活用方法が出て来るでしょうか。 
 第2東海道新幹線を建設のとき役に立つかと夢見ていましたがリニアで夢を絶たれました。

C6217さん
機械とか電気・電気機連動では構内に背を向けたてこ配置は結構見受けられるようです。
貨物線用地、線路が敷かれてくれるとうれしいのですが。

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