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2012年2月 1日 (水)

岡崎配線図

新居町駅から西へ進んだものの豊橋駅から飯田線にそれ、挙句の果てに原駅まで逆戻りしてしまいました。改めて岡崎駅から西に進みます。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・東海道線の典型的なパターンの一つですね。
・図の下のほうで名鉄岡崎市内線とレールが繋がっているようですが、どのような用途でしょうか。
・右上は転車台?

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904
・岡崎市内線とまだ繋がっているように描かれていますが、岡崎市内線は1962年(昭和37年)に廃止されています。

続いて1972年(昭和47年)4月。

197204
・1970年(昭和45年)に岡多線が開業して結構変化が生じました。
・この時点での岡多線は貨物営業のみなのですが、東海道線との分岐部分には電留線が設けられています。時刻表1972年4月号を見ますと深夜に岡崎終着となる下りと早朝の岡崎始発の上りの東海道線列車がありますのでこれ用? それとも岡多線の将来の旅客営業を見越してのもの?
・下り2番線は本線となり、神戸方・北野桝塚方のいずれからも上り1番線・上り本線・下り1番線・下り2番線への進入ができるようになっています。
・また上り1番線・下り本線・下り1番線・下り2番線のいずれからも神戸方・北野桝塚方への出発が可能です。
・それにしても岡多線の取り付け方って、なんとも中途半端なような・・・。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904
・1976年(昭和51年)に岡多線の旅客営業が開始され、これに伴う措置と思われますが上り1番線側に岡多本線が設けられました。
・しかしながら山側に設けられた岡多本線から山側に分岐する岡多線に向かう列車が東海道線列車と競合するというのは何ともヘンですよね。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008
・1984年(昭和59年)に岡崎駅の貨物扱いが廃止され、1985年(昭和60年)に岡多線の貨物営業区間が岡崎~北岡崎間のみに短縮、ついで1988年(昭和63年)には岡多線が愛知環状鉄道に転換されました。
・61-11改正及び63-3改正の貨物時刻表にはいずれも北岡崎~笠寺(大府)間の貨物列車1往復が掲載されており、転換後の平成2-3改正の貨物時刻表でもそれは健在でした。
・下り1番線に上り出発信号機が設けられて東京方に対して下り2番線での列車の折り返しが可能になりましたが、時刻表1992年3月号を見る限り東京方の始発・終着は前述の深夜・早朝列車のみの状態から変化はありません。
・岡多線の転換により愛環本線と高蔵寺方のつなぎにますます違和感を感じるようになりましたね。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703
・特に変化はないようです。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604
・愛環本線と多治見方を直結するルートが設けられ、形としては自然になりました。
・wikipediaによれば北岡崎の貨物列車は1999年(平成11年)に運転が終了したようですので、上記の直結ルートの完成と合わせて立体交差はその使命を終えたのでしょうか。せっかく立体交差があるのですから愛知環状鉄道の列車を東海道線ホームに発着させたほうが乗り換えには便利だと思うのですが。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

岡崎駅へ行くには京都駅からは何線で行ったらいいのでしょうかとの事ですが、

巽孝一郎さん、wikipediaによれば東海道新幹線で三河安城まで行き、そこから東海道線東京方面に3つ目とのことです。

名鉄岡崎市内線との線路の接続は貨物連絡輸送ですね
市内線の一番大きな荷主は日清紡績だったはずです

岡多線の一見不合理に見える線路配線
岡多線開業時~旅客営業が始まっても
主力は貨物ですからそれに即した使いやすい線路配置なのでしょうね
東海道神戸方は駅への到着後必ず機回りがありますね

はじめましてC.Eです
 読みにくい文章になると思うので、先に謝罪を致します。(弁償はしません)

 立体交差の線路ですが、愛知環状鉄道の車両搬入やキヤ95の入線の際に使用されていましたが、最近は分かりません。

 たぶん調査済みだと思いますが、立体交差の部分には、2線分のスペースが有りますが、東側のスペースのみ線路が敷かれています。いつになったら複線になるのだろうと、子供の頃から見ていましたが、現状が完成したとき「そっちかい!」と突っ込みを入れてしまいました。

以下、私の想像です。
 ごく初期の段階では、大府駅のようなホーム配置する大掛かりな工事を行う計画を立案したが、国鉄の赤字が酷過ぎるために、駅の工事を最小限で済ませる変わりに立体交差部分の建設に予算を回したと思います。
せっかく線路があるのだから、春日井行きの貨物を通してくれないかと考えたりもします。長くなって、申し訳ありません。

ヒデヨシさん、岡崎市内線は貨物営業もしていたんですか。旅客営業だけかと思っていました(汗)。
C.Eさん、はじめまして。コメントありがとうございます(全然読みにくくないですが・・・)。
複線分の用地が確保されていることは知らなかったのですが、それを知っていれば「そっちかい!」の気持ち、すっごくよくわかりますね(笑)。
東海道線を外側本線・内側副本線(中線)に入れ替えて岡多線を中線発着にするのが一番自然だったような気がします。

岡多線の貨物輸送です。
開業前にはトヨタ自動車が名古屋鉄道で三河線で刈谷経由で運転されていましたが輸送が追いつかず岡多線の貨物輸送の先に開業になりましたが国鉄とトヨタ自動車の輸送が合致せずトヨタ自動車は国鉄と契約せずに短期間で終わりました。また同時に三菱自動車岡崎工場の引込み線も計画されましたが開通に至らず土地の確保はしましたが未開通になりました。
最後に残ったユニチカ岡崎工場への輸送はDD51が牽引していましたがユニチカがテレフタル酸の
製造の撤退により貨物輸送が廃止になりました。
運用は北岡崎から黒崎です。
また旅客輸送の開業時は70系で神領電車区から回送されていました。
また岡崎から高蔵寺・勝川・清洲までの貨物輸送の計画があり愛知環状鉄道と城北線はすべて複線で高規格で作られているから貨物列車ははしれますが清洲接続が枇杷島に変更されているから残念ながら直通が出来なくなりました。

つるたまさん、南方貨物線ならぬ東方貨物線でしょうか(笑)。
開業から18年、旅客営業開始からはわずか12年での3セク化、ちょっとさびしい岡多線でした。

古い記事にレスですいません。
「東方貨物線」は実際に1976年に鉄建公団がC線(幹線)として着工してます。
具体的には、岡多線を複線規格で建設し、途中の瀬戸市から分岐して、瀬戸線として高蔵寺~勝川~小田井~清州/枇杷島となっています。

愛知環状鉄道は瀬戸市~多治見は使わず、瀬戸線を使って高蔵寺につないで開業しました。

高蔵寺~勝川間は複々線となります。神領駅の記事に掲載されている配線図に破線表記の複線が記載されているのが、まさにそれです。

東海道線接続部分は、稲沢へのルートよりさ、枇杷島への接続を優先して工事したので、稲沢側は未着工ですが、小田井~枇杷島間は分岐を想定して上下線が段差の高架部分があります。当時の国鉄はとにかく中央線からの貨物列車が、一旦稲沢まで行って、笹島なり名古屋貨タなり関西線方面に行くのを解消したかったようです。

南方貨物線も同様に東海道東京方面と名古屋貨タの間で稲沢往復するのを避けるための路線ですから、相当熱意があったと思われます。

TKSYさん
「東方貨物線」も南方貨物線同様東海道貨物のバイパス目的があったのでしょうか。結果としてはそのいずれもが頓挫してしまいましたが。
また、岡多線とは言いつつも岡崎~瀬戸市間と瀬戸市~多治見間とでは大きく性格が異なっていたんですね。

岡崎〜高蔵寺〜勝川〜稲沢の貨物ルートはまさに東海道線バイパスの思想だったと思います。

南方貨物線や小田井ー枇杷島連絡線は東海道や中央線から名古屋貨タ、さらにはその先の関西線への直通ルートですが、東海道を直進する貨物列車の名古屋駅通過は解消しない上、名古屋貨タを経由しない貨物列車は依然として名古屋駅東海道上下本線を通過します。

大府〜名古屋〜五条川(信)間が基本としては複線で客貨を捌かねばならず、昭和40年代には岡多線・瀬戸線を迂回するメリットはあったのではないでしょうか。

TKSYさん
南方貨物線は笹島構内で稲沢線に接続し、結果として大府~名古屋貨タ~稲沢間で東海道の客貨分離を行うものだったように記憶しているのですが(汗)。確かに貨物列車は名古屋駅を通りますが東海道線とは別の線路ですし。
そうはいっても岡多線~瀬戸線が高規格路線として計画されていたことを考えると東海道のバイパス目的であることがうかがえますが。

>管理人さん

「京都から なら、
名古屋まで、東海道新幹線。
名古屋→高蔵寺 は、中央本線。
乗換えで、
高蔵寺→岡崎は、愛知環状鉄道線」で、
言ってあげる ほうが、

「東海道線の三河安城 には
「特別快速・新快速・快速は 停車せず、
普通電車のみ が停車する」の事実、
教えられますよ。

岡崎市内線の貨物輸送ですが、名鉄関連の本だったか岡崎市の郷土史の本だったかで路面電車が貨車(確か単車? )を引く2両連結の写真を見た覚えがあります。
写真のキャプションでは駅を挟んで日清紡とは反対側の岡崎警察署前だったか名鉄東岡崎駅付近の殿橋での撮影となっていましたが。
今更ですが。

k.sさんがご指摘の本ですが、「名古屋鉄道の貨物輸送」(フォト・パブリッシング 2021年8月刊)が該当するようです。同本の138ページから5ページに渡って岡崎市内線の貨物状況の写真が載っています。沿線に工場への引込線や貨物駅があり、国鉄岡崎駅前から名鉄の電動貨車が国鉄貨車をけん引し、路面走行をしたとのことです。

k.sさん、コメントありがとうございます。
コスモスさん、フォローありがとうございます。

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