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2012年1月29日 (日)

矢向・西国立配線図

突然ではありますが、Nakaさんからリクエストをいただきましたので矢向駅の配線図を掲げます。1961年7月時点のものだけですが・・・(汗)。

196107r

・川崎方の1~7番線は電留線です。南武鉄道から引き継いだ矢向電車区が設けられていたのですが、1960年に中原電車区が開設されていますのでこの時点では中原電車区の支区か派出になっていたと思われます。
・川崎河岸(かわさきがし)への貨物線が分岐していますが、矢向駅には場内・出発信号機が設けられているものの川崎河岸駅には信号機が描かれていません(省略されているのかも)。矢向駅に場内・出発信号機がある以上この貨物線は入換ではなく貨物列車が運転されていたものと思われますが、43-10貨物時刻表には貨物列車の掲載はありません。
・その43-10貨物時刻表には矢向駅始発・終着の貨物列車が結構掲載されており、鹿島田・向川原・登戸・立川方面には8往復、川崎方面には2往復設定されています。
・この1961年7月時点ではまだ一般車扱貨物の取り扱いを行っていたようですが、同年11月には専用線貨物の取り扱いを除き廃止されています。
・川崎方から進入できるのは下り本線と(多分)貨物1番線、川崎方へ出発できるのは上り本線と貨物1番線・貨物2番線、川崎河岸方から進入できるのは(多分)貨物1番線、川崎河岸方へ出発できるのは(多分)貨物2番線、立川方から進入できるのは上り本線と(多分)貨物2番線、立川方へ出発できるのは下り本線と貨物1番線だと思います。
・1972年(昭和47年)には川崎河岸貨物支線が廃止され、同時に矢向駅は旅客専用駅となっています。

ついでに機関車基地のあった西国立駅です。

196107r_2

・西国立駅に隣接して設けられた立川機関区は南武鉄道買収の翌年の1945年(昭和20年)開設です。
・立川方は複線であるにもかかわらず遠方信号機らしきものが記載されています。
・立川方面との機関車の入出庫に便利なように機関区線から直接出発・到着できるように場内信号機5R及び出発信号機3Rが設けられています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

矢向駅の配線図の掲載、どうもありがとうございました。
拝見して、思い違いが結構あることに気がつきました。
矢向電車区の跡だと思っていた電留線が貨物線
1番から4番だったことや、無いと思っていた専用線ですが古河専用線があったりと、ビックリだらけでした。
私のワガママを聞いていただき、本当にありがとうございました。

西立川の国立方、複線なのに遠方信号機のシンボルがあることもそうですが、国立方への出発信号機3L・3RがいずれもYしか出ない(Gが出ない)というのも良くわかりません。
なにか特殊な閉塞方式だったのでしょうか。

いつも楽しませていただいてます。

「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション17 国電復興時代」にある「買収国電を探る 南武線 中川浩一」(1953年8月号の再録)の中に、南武線の閉塞方式について言及されている箇所があり、そこには、立川ー西国立間が「双信」とあります。

Yしか出ない出発信号機というのはそのためでしょうか?

年代は違うのですが、昭和37年3月の中央線の線路図で、その立川駅の南武線・川崎方の出発信号機をみますと、すべてYしかでない信号機の記号になってます。

立川機関区は昭和20年の開設では無いと思います。
私が子供だった頃は八王子機関区西国立支区でした。
八王子機関区にはその他に武蔵五日市支区もありました。
昭和30年頃の鉄道ピクトリアル誌の機関車配置表もそうなっていました。

Nakaさん、どういたしまして・・・って、元々はT.Mさんの資料ですから偉そうなことは言えません(汗)。T.Mさんに感謝です。
名無し信通区さん、KASAさん(お久しぶりです)、私は単なる誤記かと思っていました(また汗)。
双信閉そくですか。名前は聞いたことがあるのですがよく知りませんでした。ちょっと調べたところでは、
・複線用
・軌道回路なし
・タマなし
なんですね。そうであれば複線にもかかわらず遠方信号機が存在するのは理解できます。ただ出発信号機が進行を現示しないというのはちょっと???ですね。
・注意しか現示しないのであれば、出発した列車は立川駅の場内信号機までずっと45km/h以下で運転しつづけなければならないってこと?
・西国立駅構内には軌道回路があるとしても、立川~西国立間には軌道回路はないはずですから川崎方の出発信号機のように半自動の保留の信号機でないとおかしいのでは?
というような疑問もでてきます。要するによくわからないのですが・・・(またまた汗)。
T.Mさん、お久しぶりです。「八王子機関区西国立支区」、おっしゃる通り確かに聞き覚えがありますね。というわけで鉄道ピクトリアル1963年9月号を見てみましたら、「昭和38年4月1日から西国立支区は機関区に昇格、立川機関区と改称された」との記述がありました。大変失礼いたしました。m(__)m

南武線の線路図は素晴らしいですね~
矢向駅はどんどん線路が簡略化されてしまいますが、貨物線がそのまま電車の留置線に使われているみたいで好感触です(笑)
下り本線に直結する亘り線は写真が残っていると思うのですが。。。

貨物取り扱いがあったころの武蔵溝ノ口駅の線路図希望します!(笑)

このあたりはLUNさんのホームグラウンドですね。
武蔵溝ノ口駅、ちょっとお待ちください。

西国立駅と矢向駅へ行くには京都駅から何線で行ったらいいのでしょうかとのことですが、

巽孝一郎さん、wikipediaによればとりあえず東海道新幹線で東京方面に向かうのがよいとのことです。

西国立駅へは京都駅から東海道新幹線で品川まで行って横須賀線に乗車をし武蔵小杉駅で南武線に乗り換えです、矢向駅へは京都駅から東海道新幹線で新横浜駅まで行って横浜線に乗車をし東神奈川で京浜東北線に乗り換えをし川崎駅で南武線に乗り換えです。

巽孝一郎さん、大変失礼いたしました。よくご存知ではありませんか。

新鶴との連絡線、踏切名称がはいっているのが最高にいいです。(笑)
江ヶ崎踏切を渡るバス路線が1時間に1本だか1日数本あったりして、塚越踏切の交通量とは好対照でした。
そういえば江ヶ崎跨線橋も撤去されてしまいました。
河岸線の貨物は第二京浜を横切るし、市場へはスイッチバックして第二京浜を支障しないと入れないとか、めったに見られない風景があったはずですが、記憶にある昭和40年代にはほとんど見られなくなった風景でしょうね。
このへんの信号機って、確か腕木式じゃありませんでしたっけか。

cubicsさん、情報ありがとうございます。信号機は記載がないのでよくわからないのですが、腕木式の可能性は十分ありますよね。

川崎河岸に付いて記載致します 私は以前別の名前(ペンネーム)でレールマガジントワイライトゾーンに投稿した事が有りました 此の支線は子供の頃から気になる線でした 昔小中学校の鎌倉湘南方面の遠足は当たり前に一般国道を利用して居りました当然第二京浜国道を通って行きました六郷川を渡って暫く行くと単線の踏切を渡るのです 何時も何処から何処え行くのかと思って居ました 南武線沿線の会社に就職して毎日旧国に乗りながら矢向駅を通るたび構内から別方向に行く線路が有るなと見て居ました 此れより少し前川崎市バス土手回りのバスに乗車した時 川崎駅から六郷の土手の上を通って行きましたすると進行左に行き止まりの貨物駅が見えました 其の時初めてあの単線線路の行き先が判明したのです 川崎河岸線が1972年に廃止になると知り 廃止後直ぐ会社の帰りにカメラで矢向から沿線を川崎河岸迄踏破しました 営業中に行けば良かったと悔やんでます 何時でも行けるから良いと思ってると無くなってしまいがっかりする事は多々有りました

y yoshikawaさん、私にもそういう経験ありますね、全く予期していない時にいきなり目の前に線路が現れれて「!?」となったこと。私の場合は豊洲や神戸の貨物支線でしたが。

社会の時間初めて地図の見方を教わり、初めて解読出来たのは、川崎南西部と横浜市東南部の黒白のマダラマークで国鉄の線路の模様でした。この時代の地図は、たくさんのマダラマークの量がありました。当時学校の遠足で、東京方面に行く時は第二京浜国道を通りました。尻手駅のガードをくぐりしばらく行くと、バスのスピードが遅くなり途端にガタガタと揺れました。窓の外を見ると1本の線路を渡りました。この線路が気になり覚えたての地図の模様を思い出しながら自転車探検をしました。始めは第二京浜国道を多摩川方面に進みガードのそばの鉄橋取付け部のコンクリートを塀をよじ登ると尻手駅の構内でした。構内には小さい茶色の電車が一両ホームにいました。来た方を見ると単線が右のほうに曲がり、大きな送電線の鉄塔の送電線をたどり、その線路を目で追いかけると、小さな屋根(八丁畷駅)が見えこちらに向かって貨物列車が来ました。そして自分の横を通り坂を下って行きましたが、真直ぐ行くと思っていたら、急に左の方に曲がって行きました。今思うと、新鶴見操車場への連絡線ですね。
今度は、茶色い京浜東北線の車輛よりも小さく感じる電車が走っていました。これはクハ16とモハ10・11の4~6両の連結で目の前を行き来していました。
ここで、少し見ていると汽車の汽笛が、聞こえてきました。小さいながら、ここは電化区間なのにと思っていると川崎方面よりC11・12のSLが数輌の貨車を引き連れ、坂を上って真直ぐ降りて行きました。のちに矢向駅でSLの入れ替えを見ました。ここにはクロスポイントが有りとても印象が有る配線です。これらの貨車は、川崎駅山側の東芝工場2か所と明治製菓の工場の貨車です。
ちなみにこの間、銀色に青い帯の電車が寝ていて起きた線路は明治製菓へ行っていた所です。
”あ” これからあの線路に行かなければ。尻手駅前から多摩川方面に走ってもなかなか着きません。やっと踏切に来てレールを見ると錆だらけ。左側を見ると大きく右にカーブをしている。国道の向かい側を見ると真直ぐに見える。よし、この線路沿いを行ってみよう。だけどこの方向は川崎の町の方、川崎駅でこの向きの線路は繋いでないと思いましたが、行ってみました。心細くなりながら進んでいくとポイントが、見え始めヤードの様な感じがしました。ヤードの中に入っていくと貨車が20両位が、バラバラに止まってました。帰りの道が判らなくなり途方にくれましたが、掘立小屋のようなところが広くなっていたので、進んでみると目の前が大きな道路でした。道路の向かい側が煉瓦塀になっており、異様な感じがしました。おそるおそる進み少し小高い所に行くと、目の前に多摩川が見え右側に東海道線の茶色い鉄橋その横にはお城の建物(明治製菓川崎工場)に繋がっている見覚えのある鉄骨のテルハでした。ここからは、鉄橋の音を頼りに川崎駅を目指して帰りました。
大きくなってから、矢向駅からこの線路の上を歩いて行きました。もう線路は無くなっているかと思い歩いて行くと見覚えのあるヤードに着きあたりを見回すと、自動車運搬貨車が大量に置いてありました。
奥の方に行くと、この貨車に乗せる移動式リフターが有り自動車の搬入搬出駅の感じがしました。
係員はいなかったのでしっかり貨車に乗り、また2階部分にも登りましたが、少し怖かったです。ヤードを見渡すとまだあの掘立小屋が有りました。屋根に看板が川崎河岸駅となってました。この頃は、東京製綱川崎工場が移転し現在の市営住宅となっていました。もう少し早ければまた違った駅に見えたのでは。
自分もこの線路の閉塞信号には思い出が有りません。一つ考えられるのは、全線1閉塞運転だと思います。もう時効ですが、腕木式信号なら浜川崎貨物線の時のように、信号機の梃子やワイヤー動かしている思い出が有るのですが。
貨物量が少ないので機関車の1往復運転だと思います。もしご存知の方がおられれればご教授下さい。
長々とすみません。

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