本庄・神保原 2012/1/8
突然ですが高崎線の本庄駅です。
1978年(昭和53年)3月の配線図はこんな感じです。
・上下共用の中線が設けられた、複線区間の中間駅としては最もポピュラーな形態です。
・しいて変わった点を挙げるとするならば、貨物側線の分岐器(41イ号)が中線の分岐器(22号)よりも駅中心側に設けられるのが一般的かと思います。
以下、2012年1月8日の本庄駅です。
・大宮方からです。
・貨物側線は保守基地になっていますが、本線との分岐は横取装置ではなく普通分岐器です。
・下り1番線は撤去されています。
・ホームから大宮方です。
・上り本線は直線ですが、下り本線には曲線があります。
問題は高崎方です。
・上り線はホーム手前で一度進行方向左にずれ、中線を分岐したのちに今度は右側にずれて元の位置に戻ります。
・東田子の浦と非常によく似た状況ですね。
・このクネクネはいったい何なのでしょう。
・東田子の浦の記事で「東海道線の駅にはクネクネが多い」と書きましたが、気が付いていないだけで実は他の線区にも多く存在するのかもしれませんね。
次にお隣の神保原駅です。
1978年(昭和53年)3月の配線図はこんな感じです。
以下、同じく2012年1月8日の神保原駅です。
・大宮方からです。
・かつての専用線は当然のことながら撤去されています。
・但し神保原駅の場合は保守基地の分岐が横取装置ですね。
・上り本線が直線なのは本庄駅と同様です。
中線タイプの駅の場合、ホーム部分では島式ホームと中線の分だけ上下本線の間隔を広げなければなりませんので、当然駅の前後で間隔を広げるための曲線が必要になります。
普通に考えると上下本線それぞれに均等になるように曲線を設けるのが自然のように思うのですが、多くの場合はこの神保原駅のように本屋側の本線を直線とし、対向する側の本線にのみ曲線を設けているように思われます。よくよく考えればこれもちょっと不思議ですね。
複線化、待避線の増設などといった線路配線の変更の歴史に由来するような気もするのですが・・・。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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完全に推測ですが・・・
本庄も神保原も、現上り本線が開業時(単線時代)の本線じゃないかと思います。
本庄の終点方のくねくねは、単線の本線(現上り線)から片分岐×2で現下り本線と現中線が分岐していたのを今の線形にした名残のような・・・違うかな?
日本鉄道は本屋前の本線を一直線にして、側線はそこから分岐させるという線形を基本とする、というようなポリシーがあったんでしょうか。
投稿: 名無し信通区 | 2012年1月11日 (水) 00時26分
私も推測なのですが
線路増設などで本屋側を移動させるとホーム幅も変わり、幅が狭くなった場合最悪本屋の改築など大掛かりな工事になるため本屋側の線路は基本的に手を加えないのではないかと思います
投稿: 旅客線経由 | 2012年1月11日 (水) 01時33分
だいぶ以前の籠原以来の投稿です。
本庄駅は乗降での利用はほとんどないのですが、高崎方の「秩父街道踏切」は数えきれないくらい通っています。
そんなに通ったことがあったのに上り本線のクネクネには全く気付きませんでした。
自分の観察力の無さを反省です。
このクネクネですが、確かにかなり不自然ですね。複線化によるものとはかんたんに想像できますが、なぜ、左右のカーブを経て元に戻っているのかは解明すると面白い歴史が見えてくるような気がします。
クネクネの理由の発生の原因ですが、これはあくまでも想像ですが、かつて存在した本庄電気軌道(地元でも知る人の少ない超田舎のチンチン電車)が関わっているような気がします。
本庄電気軌道は写真5枚目の左に写っている立体駐車場のあたりに乗降所(駅)があったようです。軌道はここからちょっと高崎方にある秩父街道踏切に向かい、急カーブを経て路面に入り児玉町方面へ延びていたようです。
以前に本庄電気軌道を記した郷土資料(書名等は失念)を図書館で見たことがあって、軌道の線路が今の下り本線(単線時は本線)のすぐ脇を通っていて、複線時の増線は上り本線をこの部分だけクネクネ部分をつくり増線しなければならなかったのでないかと想像しています。
しかし、神保原方面の複線時の増線は、単線時の本線は下り本線とし、上り本線を増設すればクネクネは発生しない(上り本線はS字になりますが)という疑問も残るので、クネクネ発生のさらなる詳細な検証は必要かと思います。
もし本庄電気軌道の関係でクネクネ発生ならば「ブラタモリ」っぽい名残かも・・・。
投稿: 2325レ | 2012年1月11日 (水) 21時32分
名無し信通区さん、旅客線経由さん、2325レさん、コメントありがとうございます。
本屋側の線路が直線なのはおっしゃる通りかと思います。
本庄のクネクネは、東田子の浦の記事でも書きましたが、用地の制約ぐらいしか思い浮かばないんですよね(本庄電気軌道のことは全く知りませんでしたが・・・(汗))。
本庄電気軌道の開業が1915年(大正4年)、本庄~神保原間の複線化が1929年(昭和4年)、本庄電気軌道の休止が1930年(昭和5年)、廃止が1933年(昭和8年)ですので、タイミング的にも2325レさん説の可能性が高いように思うのですが。
投稿: f54560zg | 2012年1月14日 (土) 23時53分
貨物扱いが終了したあと暫く下り本線脇に2本の側線が残され、サロ169?が8両留置されてる時期がありました。
昼下がりに牽引車が上ってきて、中線→下り本線に出てから側線に押し込み。一時間弱?くらいは作業してましたかね。半年?くらいしてから、4両を引き上げに来て、数か月後に残りを引き上げに来てました。一連の作業は見てましたし写真も撮ってたはずなんですが、なにぶん子供の頃なので無くしちゃいました。最後の4両が中線に収まって出発まで1時間位止まってましたが、ちょっと中に入れてもらってシートに座ったり簡易運転台を覗かせてもらった思い出があります。
投稿: | 2013年4月23日 (火) 10時26分
名無しさん、スゴイ経験ですね。サロにしてみれば、ひょっとしたら最後のお客さんだったのかも。
投稿: f54560zg | 2013年5月18日 (土) 21時22分
神保原駅 構内図の下二つ目写真
・この道路が専用線の跡だと思われます。
の所は道路の他に建物のシャッターの内部まで線路が敷かれていて、その手前の花壇か畑は相当後に作られてた模様です
道路部の奥に道路半分程度の小屋とその奥の幅いっぱいの小屋の奥とその先一段高い小屋との境まで貨物線が伸びていて構内入替での引き上げ線だったと思います。あまりそこまで車両が入ってくる様子は無かったと思いましたが
投稿: | 2015年6月19日 (金) 13時30分
名無しさん、そうですか、あのシャッターは貨車が通るためのものだったのですね。
情報ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2015年6月19日 (金) 21時39分