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2011年12月18日 (日)

原 2011/12/17(東海道線各駅の配線の特徴 その8)

1か月ほど前、東海道線各駅の配線の特徴 その7の記事に対してKJさんより原駅に関する以下のコメントをいただきました。

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沼津駅近くの原駅では、やはり用宗などと同じような配線となっています。
1番線 上り待避線(改札口)
2番線 上り本線
3番線 下り本線
4番線 下り待避線(ホームなし)

で、このあたりは駅の前後は直線区間なのですが、観察してみると明らかに上り本線は元々1番線だった痕跡が見られます。本線が曲がって2番線に振られていて、本線の直線の延長線上に1番線が存在しますので。
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・・・気になったので見に行ってきてしまいました・・・。

3p1040530
1番線から神戸方を望みます。
上り本線はカーブして2番線につながっていますが、そのまま直線的に延長すると1番線につながる形になっていますね。KJさんのおっしゃる通りです。

2番線ホームから眺めてみると、

3p1040550_2
こんな感じです。何ともあやしげなカタチの線路ですね。

東京方はどうでしょう。

2p1040539
やはり1番線と上り本線は一直線上であり、2番線はカーブを描いて上り本線に合流する形です。

また下り線側についても、2番線は下り本線の延長上にあるように見えますね。

東京方の東町踏切から見ると、

01p1040513
こんな感じ。先のほうを見ると、

02p1040510
まっすぐ先には2番線があります。

しかしながら下り線の神戸方は、

3p1040536
こんな感じで、さほど違和感は感じません。線路の移設が行われたのかどうかは何とも言えないですね。

以上から判断すると、

●昔は1番線が上り本線だった

可能性はきわめて高そうですね。

●昔は2番線が下り本線だった

ことも考えられますが、こちらはちょっと微妙。

整理しますと、現在は

1

ですが、昔はA

2

もしくはB

3

だったのではないか、ということですね。

ところでわざわざ上り本線をクネクネさせてまで1番線を上り待避線にした理由は、「上下それぞれに待避線を設けたかった」からだと思っているのですが、Aの場合は中線で上り待避が行えますので、

4

のようにすれば事足りたはずです。わざわざ上り本線をクネクネさせる必要はないと思うんです。

ですので、もともとはBだったのではなかろうか、というのが私の想像の中での結論です。

そう考えると、興津駅と鷲津駅ももともとは下り待避線がなく、これを設けるにあたってこの原駅のような手法が何らかの理由で使えず、やむなく直列的に下り待避線を配置したのではないか、と想像してしまいます。

東海道線各駅の配線の特徴 その1の記事ではbad.Ⅳh-95さんからも藤枝駅の不自然な線路についてのコメントをいただいており、こちらについてもいずれ見に行ってみたいと思っています。

原駅は、配線図では

200304

のように単純に描かれています。下のほうに曲線を表す線図(私はほとんどの場合省略してしまっていますが)が書かれていますので、これを見ればそれなりにわかるのかもしれませんが、やっぱり実際に見るのが一番ですね。

要するに、「図面だけではわからないこともある」、ということでした。

最後に富士山を。

9p1040527

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

調査お疲れ様でした。

東海道線の沼津~豊橋間では国鉄末期以降に開業した駅を除いて、待避線がないのは新蒲原と弁天島ぐらいでしょうか。
また、本線のみにホームがある駅が吉原、清水、焼津、金谷ですね。吉原、清水、焼津は貨物の取り扱い量が多かった(と思われる)ことが関係しているような気もします。金谷はすぐトンネルがある関係でしょうか。

東田子の浦はA方式の2面3線の駅だったと思います(待避線があったかどうかわかりません)。富士川、蒲原のあたりもA方式+貨物待避線。中線が残っているということは、国鉄型2面3線に後で貨物待避線を追加したと考えた方が良さそうです。

A方式にせよ、B方式にせよ、原(由比も同様?)の場合上下線それぞれに待避線をつけようとしたならば、2番線を上り待避線にすれば良かったはずです。これを線形を変えてまで2番線を上り本線にしているのは、少ない土地で上り待避線の有効長を稼ぎたかったのでは……という気がします。上下待避線の有効長をできるだけ少ない土地で稼ぐために、今のような形になったのでは無いかと。

正直、全国でA方式を採用しているのに、東海道本線だけB方式というのもちょっとしっくり来ないんですよね。でも、決定的な証拠がないので何とも言えないです。

用地買収の手間や予算を省く、有りそうな気もしますね。
あと、この分岐器の入れ方だと本線側の速度制限が緩くなる、という解釈も、非常に鉄道模型的発想ですが、ありますね。
>藤枝駅
田沼街道踏切よりも上り寄りの前島踏切のあたりからSカーブが始まっている気がします。

KJさん、bad.Ⅳh-95さん、コメントありがとうございます。また別途これについて記事にしてみたいと思います。
それにしても妙なSカーブ、面白いですね。すごく興味を持ってしまいました。これについての情報をいただいたKJさん、bad.Ⅳh-95さんにはただただ感謝いたしております。

記事の内容、大変興味深く拝見いたしました。
私の実家が原駅の近くなのですが、確かに昔から不思議なカーブだなぁ、と思っていました。

私の曾祖父が撮影した大正15年の原駅の写真があるのですが、1番線に上り貨物列車が進入しています。ただ残念ながら、当時の2番線が本線なのか、待避線なのかは構図の関係上確認できません。また、3番線の脇にある待避線はこの当時からあったようです。

なお現在の1番線は、1日に1本回送列車が発着するのみですが、90年代半ば頃までは日中の客扱いをする列車は殆ど1番線の発着でした。改札に近いから、という理由からだとは思いますが・・・。

meyoさん、そうなんですよね、昔の写真とかがあれば一発で解決しそうな気がするのですが・・・。

「原駅 は、最初からあった駅 ではない。」です。

つまり、
「線路=昔から」で。

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