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2011年12月13日 (火)

小坂井 2011/10/8

東海道線を下ってきたはずなのですが、いつの間にか飯田線に乗り換えていました(汗)。

01p1040170
・辰野方からです。小坂井~豊川間は大正時代にすでに複線化されていました。

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・辰野方です。

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・辰野方からです。

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・同じく辰野方からです。側線が1本ありますが使用されているようには見えません。

05p1040175
・上りホームから辰野方です。

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・豊橋方です。

08p1040178
・下りホームに移動しました。

10p1040182
・下りホームの豊橋寄りの端です。
・1971年(昭和46年)までは車扱貨物、1979年(昭和54年)までは専用線貨物の取り扱いが行われていたようです。

12p1040177
・跨線橋のから豊橋方です。
・小坂井支線の痕跡は見当たりませんね。

13p1040186
・下り電車がやってきました。豊川までは結構頻繁に列車が運転されていますね。

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コメント

側線上には架線も張られていないようですね
一部アスファルト部分があるなど保線車両専用のような感じです
一番下の写真
豊橋方はホームを出ると上り線がすぐカーブして行っているのですね
カーブした上り線と電車がやってきている下り線の間の線路があたかも複線のように見えます

>小坂井支線
最後から二番目の写真、右手にある空き地とその前方の金網のカーブ加減が支線の痕跡のようです。
確か宝飯郡小坂井町はヒューム管の生産で県下一だったはずですが、この空き地にも工場が平成の初めまであったはずです。
おそらくは、配線改良前の須ヶ口や神宮前のようにホームが並列していたかも知れません。

ヒデヨシさん、ちょっと見には下り電車は上り線の隣の線路を通ってやって来そうな雰囲気ですよね。電車が来たときは意表を突かれた感じがしました。
bad.Ⅳh-95さん、1948年の空中写真
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R864&photono=3
でははっきり確認できるのですが、1977年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/ccb-77-18/c8/ccb-77-18_c8_8.jpg
では工場で分断されてしまっていますね。その工場も今では更地・・・。
1948年の空中写真ではおっしゃる通りホームが並列していたように見えますね。

航空写真のアーカイブサイト、いいですね。
で、うろ覚え通り、と。今はこんな小さな駅でも、当時はちょっとしたモノだったのかも。

貨物扱いも行われていたようですから、今では想像できないぐらいの活気があったかもしれませんね。

小坂井の変貌振りにビックリです。
豊橋側の右側の空き地にあった興和コンクリ-トの会社が無くなっています。私が調査した時に架線が無い木の柱が立っていましたが愛知電気鉄道の小坂井支線は下1に単線で入っていました。まだ飯田線が豊川鉄道の時代です。

つるたまさん、「飯田線が豊川鉄道の時代」って・・・。そんな昔からいろいろ調査をされていたんですね。

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