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2011年12月 7日 (水)

下地 2011/10/8

線路配線的には何もないのですが、ホーム配置的にはちょっと風変わりな下地駅です。

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・豊橋方です。飯田下り線です。
・駅のすぐ先は豊川橋梁です。

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・辰野方です。飯田上り線です。

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・振り返って辰野方です。
・なぜかは知らないのですが豊川橋梁が(東海道上下+飯田下)と(飯田上)の組み合わせで分かれているため、下地駅の飯田上下線の間隔は広くなっています。
・こういうのも「2面2線」と呼ぶのでしょうか(笑)。幅の狭い船町駅とは好対照ですね。
・電車がやってきたようです。

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・飯田線上り電車が出発していきました。

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コメント

いちおー、豊川橋梁を掛け替えたとき、上下線を離す工事をやった関係で、と言われていますが、なんで離すことになったかが、よく分かりません。

豊川放水路のほうも3:1ですよね。

どこかでこの区間の飯田線は上下線で所有者か異なると聞いたことがあるのですが、それは関係するのでしょうか。

たしか線路間隔が両端で違うのと真ん中あたりに両方のホームを繋ぐ渡りがあるのでアルファベットの「A」のような感じになっていたのではなかったでしょうか?
それと下地駅と船町駅は川の両岸にあってめっちゃ駅間が短くなかったですか

豊川鉄道と愛知電気鉄道がそれぞれ単線を建設し相互に乗り入れて複線のように使う、という協定によって建設された経緯があり、これにより、上り線(豊橋行)が名鉄が保有、下り線(名古屋/飯田方面行)がJRが保有となっています。
線路だけでなく、架線柱等も別個に建設されてますよ。下地駅の形状もそれによるものでしょう。
なお、運行管理は、現在は豊橋-平井信号場(名鉄と飯田線の分岐)間はJR東海の東海総合指令がやってます。

>豊橋-平井信号場(名鉄と飯田線の分岐)間はJR東海の東海総合指令がやってます
 そのお陰で、名鉄のダイヤが乱れると、なかなか悲しい事態になります。
 一度は豊橋行き快速急行が伊奈で打ち切られ、仕方ないので10分ほど歩いて小坂井に出て飯田線に乗り換えました。
 西小坂井へでても良かったかも知れませんが、飯田線はだいたい15分おき、東海道線は間が悪いと30分おき、ということで、結果的には正解でした。
 同区間の線路をよく見ると、名鉄線側はバラスが薄いように見えたり、架線柱が鉄柱組み合わせだったりと、かなり差が見て取れます。

ご無沙汰しております。記事とコメント、いつも興味深く拝読させていただいてます。

ウィキペディアの

「豊川橋梁(名鉄名古屋本線)」の脚注に、

東海道本線の豊川橋梁架け替えに伴い、同線下り線の旧橋梁を流用して(飯田下り線の)線路を付け替えた

旨の記載があります。これが飯田下り線が東海道線寄りになった理由ではないでしょうか。

ヒデヨシさん、わくさん、bad.Ⅳh-95さん、KASAさん、コメントありがとうございます。
豊川橋梁については、総合すると、
・昔は4線がほぼ並んで架橋されていた。
・1974年に下流側に新しく2線分の橋梁を設け、東海道線をこれに架け替えた。
・その際旧東海道下り線の橋梁を飯田下り線に転用した。
・旧東海道上り及び旧飯田下りの橋梁は撤去した。
ということでしょうか。ということであれば、下地駅のホームは上りホームがもとからあったもので、下りホームが橋梁架け替え時に設けられたものということですね。
そう考えると豊川橋梁を架け替えなければならなかった理由は東海道上り線と飯田下り線の橋梁の老朽化だった、ということになるのでしょうか。

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