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2011年11月14日 (月)

豊橋配線図

豊橋駅の配線図については今まで断片的にはご紹介してきていますが、改めて順を追って。

東海道線の豊橋駅の開業は1988年(明治21年)で、その後豊川鉄道、渥美電鉄、愛知電気鉄道、二俣線が豊橋に乗り入れを始めました。それらの各線はその後買収や合併・譲渡等を経て現在では飯田線、名古屋鉄道、豊橋鉄道に名前を変え、二俣線については天竜浜名湖鉄道への転換時に乗り入れが廃止されました。
飯田線と名鉄線は平井信号場~豊橋間で線路を共用するという珍しい形態をとっています。

車両基地としては、1969年(昭和44年)時点では豊橋機関区、浜松客貨車区豊橋支区が設けられています。
この時点での豊橋機関区の配置車両は電機(EF15、ED17)8両、旧型国電58両といった感じでほとんど飯田線用の車両基地の色合いが強いのですが、その一方で蒸機(C58、C50)も4両配置されていました。
もともと蒸機主体の豊橋機関区が設けられていたところに豊川鉄道買収で引き継いだ電車基地が豊橋機関区に含められ、その後蒸機の衰退によって飯田線用の車両基地としての性格が強まった、という経過なのではないかと勝手に想像しています。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000r
・東海道線は例によって隣り合う上下本線の外側に副本線を配置する形で2面4線(下本、下1、上本、上1)、二俣線用に1面2線(下6、下8)、飯田線・名鉄線用に2面3線(飯田旅客1~3)が設けられています。
・よくわからないのが上り2番線ですが、これについては後述。
・蒸機の基地は左上の転車台付近、飯田線車両の基地は飯田線・名鉄線ホームの右側ですね。ともに豊橋機関区なわけですが、これらを区別するような呼び方はあったのでしょうか。
・最も東京寄りの検修1~4番線あたりが豊橋客貨車支区ではないかと思います。
・東京方から進入できるのは下り本線・下り1番線・下り6番線・下り8番線で、東京方へ進出できるのは上り本線・上り1番線・上り2番線・下り6番線・下り8番線です。
・下り6番線、下り8番線から東京方に進出できるのに、下り1番線からは進出できないのはちょっと不思議。
・上り2番線の跨線橋付近に信号機らしき記号が描かれていますが、後述の通りこれは列車停止標識の間違いではないかと思われます。そうした場合、神戸方から東京方へ向かう列車が上り2番線に進入したときは列車停止標識から上り出発信号機114Cまでの間は入換により移動させる必要があります。ですので上り2番線は東海道線の上り列車用としては使いづらいですね。飯田線または神戸方での折り返し用が上り2番線の主たる用途ではないかと思うのですが。
・神戸方から進入できるのは上り本線・上り1番線・上り2番線、神戸方へ進出できるのは下り本線・下り1番線・上り1番線です。
・飯田線の場内信号機が描かれていませんが、後述の通り上り1番線・上り2番線には進入が可能ではないかと思われます。上り1番線・上り2番線から飯田線への進出は可能です。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701r
・新幹線が開業しましたが、新幹線のホームが設けられた付近は上の配線図と比べてあまり変化はないようです。昔の空中写真を見ても、新幹線に用地を奪われた形跡はあまり見られませんね。
・出発信号機105R・106Rが設けられて下り本線・下り1番線から東京方への出発が可能になりました。
・同様に出発信号機204Lが設けられて上り本線から神戸方へも進出が可能になりました。
・飯田線の場内信号機が描かれており、飯田旅客1~3番線のほか、上り1番線・上り2番線への進入が可能であることがわかります。
・下り2番線の跨線橋付近に描かれていた信号機らしきものはこの図では列車停止標識になっています。これが正解でしょうね。
・これくらいの規模の駅ですと貨物列車用にホームのない副本線が設けられているのが普通だと思うのですが、豊橋駅の場合は上下ともそのような副本線はありません。したがって入換作業を行う列車も下り1番線もしくは上り1番線に停車せざるを得ません(上りの場合はひょっとしたら上り2番線も可能かも)。
43-10の貨物時刻表を見てみますと、
 765列車 7:27着~7:40発
 793列車 11:58着~12:21発
 773列車 14:46着~15:14発
といったような列車が見受けられますので、これらの列車がホームをふさいでいる間、旅客列車に影響を与えないようにするのはそれなりに苦労が必要だったのではないかと・・・。

続いて1971年(昭和46年)9月。

197109r
・飯田線の辰野寄りの数本の線路群が何なのかよくわからなかったのですが、どうも飯田線の貨物列車の着発線のようですね。

このあたりを拡大しますと、

1971092

・到着の場合は401RF1・401RF2により飯田貨物1番線・2番線へ、出発の場合は403L・404Lにより飯田貨物2番線・3番線から出発のようです。豊橋駅本体部分との間の移動は入換によりますが、入換信号機が設けられていますので構内運転かもしれません。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904r
・ほとんど変化はありません。
・ところで1972年(昭和47年)の時刻表を見ますと辰野発大垣行き602M急行伊那1号という列車があり、この列車は豊橋で浜松発米原行3435Mに併結されます。
602Mの豊橋到着は9:44、3435Mの豊橋到着は9:53、豊橋発は10:00ですので、おそらくは
 1)602Mが上り1番線もしくは上り2番線に到着
 2)乗客を乗せたまま下り引上線に移動して待機
 3)3435Mが下り本線もしくは下り1番線に到着
 4)602Mがバックして3435Mの先頭に連結
といったような手順で併結作業を行っていたのではないかな、と想像しています。

続いて1983年(昭和58年)

198304r
・転車台がなくなりました。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902r
・1987年(昭和62年)に二俣線が天竜浜名湖鉄道に転換されて豊橋まで直通する列車はなくなりましたが、上り6番線・上り8番線付近は特に変化はありません。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703r
・上り仕訳線群は・・・撤去されたのでしょうか、微妙です。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604r
・上り4番線~上り11番線あたりが撤去されました。
・下り6番線・下り8番線は相変わらず本線のままですが、列車が発着することはあるのでしょうか。

結局本線関係は少なくとも1967年(昭和42年)以降約40年間にわたって全く変化がありませんでしたね。静岡駅や浜松駅は高架化で大きく変化しましたが、ここ豊橋駅は昔ながらのこの姿を今後も維持し続けるのでしょうか。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

旧二俣線ホームに相当する下6-8は、昼間の閑散時の車両留置に使われてると思います。私見ですが、車両留置の際にこの線を優先的に使うようにしている印象があります。
旅客営業列車が発着することはありませんね。駅内に案内とかありませんし、駅からホームに下りる階段には扉ついてますし。在来-新幹線乗り換え通路の途中にあるってこともあり、一般の人は旧ホームにつながってる、ってことを知らない人も多そうです。

こんにちは~

飯田線からの急行伊那はどういう手順で東海道線の車両と連結作業をしていたのでしょうね

関係ないですが
東海道線から飯田線に入る急行伊那1号上諏訪行き、急行伊那4号飯田行きは東海道線内は普通(快速)列車ですが東海道線の各駅では飯田線に入り急行になると種別や行き先もきちんと案内放送をされていました
朝の上諏訪行きは豊橋までは確か12両編成ですね

東海道線から飯田線への渡りで面白いブログがあったので紹介します

97年1月  三島発豊川行き臨時初詣号は豊橋駅から一旦名古屋方面隣りの西小坂井駅まで行き、待避線から引き返し豊橋駅飯田線ホームに停まり、豊川方面に再出発したそうです

http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/58182409.html/

豊橋下6へは豊川行(9771~9773)貨物のDE10の到着線としても使用されています。
本線列車として他に下6や下8へ入線するのがあるんでしょうかね

わくさん、下り6・8番線のホームや場内/出発信号機がいまだに残っているのはちょっと不思議ですね。何か意味があるのでしょうか・・・、と思っていたらTR223さんから臨貨の発着の情報をいただきました。ありがとうございます。ということは、下6→下引上→上1→飯田線といったような入換が行われているんですね。
ヒデヨシさんがおっしゃっているのは50-3改正以前のことかと思いますが、50-3改正時点では朝の上諏訪行きは豊橋まで11連だったようです。伊那1号となるのはこのうち7両で、残り4両は後続の豊橋始発の伊那3号に使用されます。7両の伊那1号も飯田で3両が切り離されてしまい、上諏訪まで行くのは4両だけでした。
sinarsinarさん、LUNさんのブログはよく拝見しています(この記事の記憶はありませんでしたが(汗))。ゲテモノ列車の乗車記録にはホントに敬服しますね。西小坂井駅の折り返し設備は少なくとも1969年には存在していませんで、1979年には折り返しができるようになっていますので、この間に改修が行われたものと思われます。なぜか飯田線は東海道線の神戸方との結びつきが強いですね。

補足しますと 下6→上入換→上2→飯田線 の流れになっているようです。

え?? 下り6番線から上り入換線ですか? ちょっとびっくり。機回しなしの推進でしょうか。
よく考えると別に不都合はないと思うのですが、個人的には入換線・引上線にお尻から突っ込むというのは違和感を感じてしまいますね。
情報ありがとうございます。

実際、
「新所原からの二俣線=豊橋行き」
        &
「正月の臨時、豊川行き」に
乗車しています。

「新所原から は、
線路が築堤に入り、東海道線を越して、
ポイントで東海道線と合流し、
二川→豊橋で、
豊橋では、低床のホーム=到着」で。

「豊川行き」は、
自分は
豊橋駅で用を足すためにホームに下りたら ば、
電車は、すぐに発車。
(=「西小坂井で、下り→上り=転線」だった とか。)

一緒に乗ってた=友人は、
「寝ていて、起きたら(←「豊橋」で、発車。)
あらま、電車が 西に動いており、
「西小坂井」で、向きを変えて、今度は東へ。」と、
自分が 豊橋から乗ったら、言ってくれました。

 豊橋は70年代中頃一度訪れました 丁度会社の中期出張で名古屋に行ってて休日を利用して各地へ出掛けてました
 名鉄パノラマカーで名古屋から豊橋へ行きました今と違い豊橋は名鉄の方が便利でした
 豊橋に着いて直ぐ飯田線の豊川行の流電が隣に停車して居りましたので乗り換えました豊川迄乗車後流電は豊川の一つ手前の駅へ回送されましたので徒歩追いかけ構内で停車中の流電二編成撮影後 辰野からの直通列車乗車豊橋へ戻りました 其の後豊橋駅東側の大山塚跨線人道橋
に上がり暫く行来する列車を撮影しました 新幹線の豊橋は地上駅ですので東京方から来る下り列車特に超特急ひかりが通過する時轟音と共に通過して行くのは見ものでした 西側の構外側線も興味有りましたが何故か写真を写しませんでした今思えば残念です 後になってあの時何故撮影しなかったかと云う事は多々有ります 唯其れ以前新幹線車窓から飯田線のED17や豊橋入れ替えのC50が構外側線に停車していたのを撮影していました

yyoshikawaさん、
>あの時何故撮影しなかったか
私もホントにそう思いますね。東京に住んでいながら東京近辺の駅ってほとんど撮影していませんから・・・。

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