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2011年11月 9日 (水)

新所原配線図

鷲津駅のひとつ神戸寄り、静岡県の最西端に位置する駅です。
今は天竜浜名湖鉄道に転換されてしまいましたが、かつての二俣線の分岐駅です。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000

・変わった配線ですね。二俣線は構内では右側通行です。
・二俣線下り列車は神戸方で立体交差して東海道線に合流するのですが、この立体交差はちょっと豪華すぎるような気もします。
・1972年(昭和47年)4月の時刻表では、新所原止まりの二俣線下り列車は6本なのに対し豊橋まで直通するのはわずかに4本だけです。
・43-10の貨物時刻表には豊橋まで直通する貨物列車が季節列車を含めて6本記載されていますが、それでも立体交差を必要とするほどの頻度ではないような。
・先の記事にも書きましたが、静岡や浜松、豊橋などではこれ以上の頻度で折り返し列車が本線横断をしていたのではないかと思われますので・・・。
・配線図には描かれていませんが、二俣下り本線にも当然ホームは設けられていたものと思われます。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701

・それまで棒線駅状態だった東海道線側に下り1番線が設けられました。

続いて1975年(昭和50年)1月。

197501

・特に変化はありません。

続いて1983年(昭和58年)4月。

198304_2

・変化はありません。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902

・1987年(昭和62年)に二俣線は天竜浜名湖鉄道に転換されて東海道線への乗り入れがなくなったため、立体交差は廃止されてしまいました。
・それでもJR線とはレールが繋がっているようです。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703

・変化はありません。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604_2

・下り線側の側線類が撤去され、さっぱりした姿になりました。

分岐駅としては比較的簡素な配線ですので二俣線列車はすべて豊橋まで直通していたものと思い込んでいたのですが、改めて時刻表を見て新所原始発・終着列車がそれなりに設定されていたのは個人的にはちょっと意外でした。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

こんにちは~
新所原駅構内二俣線の立体交差
国鉄時代にこの立体交差を豊橋直通の気動車に乗って通ったことがありますがそのとき感じたのもやはり立派だなあと・・・
この立体交差がいつころ完成したのかよく判りませんが開業時からだとしたら
その理由は間違いなく二俣線建設理由でもある浜名湖橋梁が艦砲射撃により破壊されたときの迂回線としての準備ではないでしょうか?
当然東海道線の貨物や旅客列車がこちらを通るので少しでもスムーズな振り分けが出来るようにしたのだと思います
途中駅の金指駅付近でも建設時期が早い遠鉄奥山線(軽便)が二俣線建設時にわざわざ高架の立体交差にして二俣線のほうを地上にして優先しています

この新所原の立体交差が開通後、後年の設置なら推理は崩れてしまいますが・・・

 言われてみると、この立体交差は張り込みすぎですね。或いは迂回腺対応なんでしょうか。
 ココを通ったのは、1度あったかどうか…
 でも、直通車はそこそこ設定されていた記憶もあるんですが…

ヒデヨシさん、bad.Ⅳh-95さん、こんばんは~
確かに二俣線は迂回路としての使命を持っていたようですが、浜名湖橋梁が破壊されてしまったときは東海道線側にはほとんど列車が走らないでしょうから、競合の心配もないんじゃないかと思うのですが・・・。
ご紹介できていないのですが、他端の掛川は新所原のような配慮は全くされておりませんで、なおかつこちらは貨物も含めて東海道線への直通列車がないことを考えると、やっぱり平常時の豊橋直通列車対策ではないのかなアと思っています。

そうですね
東海道線はその場合はほとんど列車がない
掛川のほうは広い構内なので振り分けはさほど難しくない気がします

この立体交差
よく見ると旅客列車の場合ホームを使うと本線横断をしないといけないのですね
貨物列車だけの対応なのでしょうか

こうなると私が乗ったときの記憶があいまいなのですが便乗で緩急車に乗ったのか回送の気動車だったのかもしれません
立体交差を通った記憶はあるのですがねえ

ヒデヨシさん、違います、違います。
配線図には描かれていませんが、二俣下り本線にはホームがあったはずです。現在天竜浜名湖鉄道が使用しているホームです。
ですのでヒデヨシさんの記憶通り豊橋行きの二俣線列車で立体交差を通ったのは間違いないと思いますよ。
それにしても緩急車とか回送の気動車とか、部外の人間にはできない芸当ですね、うらやましい・・・。

駅舎の印(A)が図の下方にありますが、確かに、ここにはホームがあるはずだし、その前の線路名称が「二俣下本」だし。そうすると、掛川方からの到着列車と豊橋方からの到着列車は右側通行で交換していた、訳でしょうか。
…そうすると、線路配線図は現場の実情を完璧に収録していない、ってことなんですかねぇ。

そうです、右側通行なんです(記事の最初のほうにもそう書いたんですけど・・・(汗))。
推定ですが、この配線図はたとえば東海道線の列車の運転士さんなど向けに作成されたもののように思います。ですので、本線の線路や信号機についてはしっかりと書かれていますが支線については若干省略されている部分が見受けられますね。
二俣線下りホームがなかったり、二俣線場内信号機がなかったり、二俣線が破線で描かれていたり、など。新所原駅勤務の駅員さん向けの配線図であればそのようなことはないと思います。

全ては、

現在の豊橋駅の「欠番ホーム」 で、

「乗り入れ」時代 の 納得が 行きますよ。

名無しさん、コメントありがとうございます。
ただ、「豊橋駅の欠番ホームで納得がいく乗り入れ時代」とは何なのか、というナゾが増えてしまいました(笑)。

二俣線の豊橋側の立体交差の謎。
記憶が曖昧ですので誤解を招く表現になるかも知れませんが天竜川の佐久間ダム〔当時の電源開発〕の工事の時に金指の住友セメントから頻繁に中部天竜向けにセメント列車が運転されていましたので立体交差は電源開発の負担で建設された可能性があります。この時に豊橋から中部天竜の区間の軌道強化されているし電源開発負担のEF15がたしか3両製造されています。佐久間ダム完成後は国鉄に返却されています。

つるたまさん、新所原のナゾの立体交差の新説ですね(笑)。結構当たっているかも。

初めまして。新所原駅を使っていたものです(^^;
二俣線は、今の天竜浜名湖鉄道のホームの所にもありましたよ。
JRの改札の前までせり出して停車してました。
二俣線を作った理由は、浜松の空襲回避の為と授業で習いましたよ!!

tololly-busさん、さすが地元ですね、授業でそのようなことを教えてくれるなんて。

当時、実際に乗車。

静岡・浜松方面からの下り=
東海道線の「電車」 から、気動車に乗り換え。

乗り換えた「気動車」 は、
新所原駅を出た後、そのまま西に直進。

途中で、東海道線を 
立体交差で 跨ぎ
その先のポイント で、合流。

そこから先は→「二川→豊橋」へ。

豊橋では、
「現在欠番=低いホーム」に到着。
(運転されていた当時は、O番線」表記 あり。)

今でも
「新所原駅に行く と、
三ケ日方面から→二川方面を見る と、
下り=立体交差のほうがよい」が わかる。

名無しさん、立体交差に乗車されたことがあるんですね。貴重な体験ですね。

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