« 鷲津 2011/10/8 | トップページ | 新所原配線図 »

2011年11月 7日 (月)

東海道線各駅の配線の特徴 その7

だいぶ間が空いてしまいましたのでマヌケな感じになってしまいますが、今まで皆さんからいただいたコメントに対するご返事を。

●まずfooさんの
「東海道は特急『こだま』の運転開始に合わせ、旧来の2面3線の駅の多くを4線化したんですよね。斎藤雅男さんの本に書いてありました。」
について。

最初このコメントを拝見した時には、
「旧来の2面3線の駅」

4

を、

2

もしくは

3

のように「4線化」した、すなわち昔は東海道線の駅も高崎線の駅も同じような配線だったと思ったのですが、その後いろいろ考えるとどうもそうではないような・・・。

たとえば先に掲げました用宗~天竜川間で見ますと、
10駅中用宗、藤枝、島田、菊川、掛川、袋井、磐田の7駅が「4線」で、

10


のパターンです。

もしこれら7駅の多くが

4_2

から
10_5

へ変更されたものとすると、その工事費用および工事期間は莫大ですよね。
ですのでおそらくは
8

のような3線のものを

10_6

のような4線に改修したのではないかと思うのですが。

●続いてTangoさんのコメント。
「2面3線と2面4線の違いは列車密度が濃くなり、優等列車の通過退避の必要度に由来すると考えるのが妥当と思われます。
foo様のおっしゃられる『こだま』運転開始の時期は、東海道本線最黄金期の始まりであり、数多くの特急、急行を先行させて退避する中線の需要が高まり、4線化の改良が行なわれたのでしょう。」

おっしゃる通りかと思います。
上記のように考えた場合、東海道線の3線の駅の待避線は下りもしくは上り専用になってしまいますので、いろいろと制約が多かったのではないでしょうか。

●同じくTangoさんのコメント。
「一方2面3線では上下線同時の退避ができず、記憶に残る中では昭和50年頃の東北線で2本通過待ちで15分近い退避を経験し、中線に停車すると直に1本通過し、暫くたって2本目が通過して開通待ちで発車となり「こんなにも待つなら一駅進めるのに」と当時は思ったりしましたが、次の駅で対向列車の通過退避があったならこの様なダイヤ編成にも納得となります。」

この頃の東北線のダイヤは(高崎線も同様でしたが)、おおむね数分の間隔をあけて特急が2本立て続けに運転されるパターンでしたので、優等列車の待避となるとおのずと2本待ちになってしまっていたように思います。

●続いてkisomitakeさんのコメント。
「国鉄(省線かな?)の停車場配線標準パターンの話。
今でこそ「2面3線」の配線が基本っぽいと思いますけど、子供の頃、それこそ東海道本線の名古屋近辺で育った者としては、通過列車を待ち合わせる構造の駅では島式2本の「2面4線」なのが一般的という印象がありました。
並行する名鉄も、通過列車待ち合わせの駅では「2面4線」ですからね。」

確かに、待避設備を持つ駅の配線を考えると、まず頭に思い浮かぶのは

2_2

ですよね。民鉄はだいたいこのパターンでしたね。

4_3

という配線はちょっとすぐには思いつかない気がします。

この方式のメリットは、中線が上下共用、すなわち線路の使用効率が高いことだと思うのですが、それにしても国鉄では広く普及しましたね。
但し、比較的新しく複線で開業した路線(新幹線や湖西線、埼京線等)の駅ではこのパターンは見受けられませんので、今後新たにこの配線が採用されることはないのでしょうね。

以上とりとめのない話になってしまいましたが、要するに何が言いたいのかといいますと、
やっぱり東海道線は昔から(複線化された時点から)他の線区とは異なった思想で配線設計が行われていたのではないか、ということですね(汗)。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 鷲津 2011/10/8 | トップページ | 新所原配線図 »

コメント

沼津駅近くの原駅では、やはり用宗などと同じような配線となっています。
1番線 上り待避線(改札口)
2番線 上り本線
3番線 下り本線
4番線 下り待避線(ホームなし)

で、このあたりは駅の前後は直線区間なのですが、観察してみると明らかに上り本線は元々1番線だった痕跡が見られます。本線が曲がって2番線に振られていて、本線の直線の延長線上に1番線が存在しますので。

その辺を考えるとやはり、旧来の2面3線から発展していったと考えるのが妥当な気もします。

KJさん、すみません、今頃のご返事になってしまいました。
以前bad.Ⅳh-95さんからも藤枝駅が似たような形態であるとのコメントをいただいております。
う~~ん、ちょっと考えさせて下さい(汗)。

東海道本線は嘗て第一会帝国議会開催に間に合わす為に開通を急がせました 始め軍部の要請で中山道線を東京と神戸を結ぶ幹線として予定していたが 中山道線では山間部を通過する関係で長大な隧道を多数掘らねばならず 海岸線を通る東海道線を先行させる事の方が早く出来ると判断 東京側は横浜から伸ばして行き神戸側は京都から伸ばされて行きました 海岸沿いならば大量の工事資材の搬入も便利である 蛇松と武豊が工事資材搬入の港となり中間部の路線進捗に役立った 当時ですので先ず単線で工事を進めて行く 橋梁や隧道も単線で作る事で早く開通出来る 後年線増の折全線に渡り橋梁や隧道が単線並列なのはそうした 経緯が有るからです 中間駅も然り一番簡単なのは外付けの相対式で作る
 事実全通時の各駅の状況を写した写真集を雑誌鉄道史料に掲載されてました 其れには相対ホームの駅が殆どでした 米原以西の駅は相対ホームに中線が有るパターンでした 因みに此の写真集には当時の車両も写り込んでました特に資料の少ない当時の貨車の鮮明な状態が解る貴重な映像です 線増の居り相対ホームの非駅舎側のホーム外側に線増したとすれば駅前後のカーブ状態なのが理解出来るのでは あと中間駅の渡り線が背行分岐なのは直接進入防止の為に取られた処置 転線の場合いは必ずバック運転で進入する 正面衝突を避ける為です

yyoshikawaさん、そうですよね、開業当初は多分上下本線がそれぞれの相対式ホームに面していたのではないかと思うんです。それが今は島式ホームに面する状態になっている駅があちこちの見受けられるのが不思議なんです。

 東海道本線の中間駅で本線外付け式駅が多いのは推測ですが鉄道作業局時代より日本の大幹線でしたので早い時代に複線化された 列車本数も多い当然足の遅い貨物列車は途中退避させねばならぬ 今と違い連結器強度の関係で長編成は組めぬ貨物扱い駅には停車する 然らば列車本数を増やざるおうえぬ  線増した時に本線を島式ホームにして其の外側を貨物列車待避にして貨車入れ替え作業時本線横断を極力避ける其の間に旅客列車を先行させる其れにより列車本数増加も可能 合間に荷扱い貨車の上下線間横断させれば良い 唯関西は早い時代より相対ホームに中線を引く配線駅が殆どでした(明治43年頃発行の配線図集参考)其の侭複線化されたため中線駅が多い 関西と関東の考え方の違いなのか?或は東海道本線関ヶ原以東の駅が日本の平均的駅配線とは異質なのか疑問です  

yyoshikawaさん、おっしゃる通り結局のところ東海道線は日本一の大幹線であることが全国的に見れば特異な配線の駅を多く擁することになっているのでしょうね。とにかく「副本線は外に出す」ことに異常なまでの執念を感じます(笑)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/53134502

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道線各駅の配線の特徴 その7:

« 鷲津 2011/10/8 | トップページ | 新所原配線図 »

過去の記事

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ