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2011年10月20日 (木)

東海道線各駅の配線の特徴 その6 (興津・鷲津) 

わずか2駅だけに限った共通点ですので「東海道線の特徴」と言えるほどのものでもないかもしれませんが、他の線区ではあまり見かけないものですので取り上げてみました。

1967年(昭和42年)1月の興津と1960年(昭和35年)頃の鷲津です。

196701196000
・この両駅、駅名も似ているのですが線路配線もよく似ているのにビックリですね。
・言うまでもなく、特徴的なのは下り側にホーム部分と直列に設けられた下り1番線です。
・この下り1番線には出発信号機が設けられていませんので、いったんここに進入した列車が発車するためには下り本線まで誘導してもらう必要があります。ですので、ただ単なる待避だけの場合はちょっと面倒くさそうです。
・興津駅はこの時点ですでに上り1番線での折り返しが可能になっていますね。

両駅のその後を見てみましょう。

まず興津駅、1978年(昭和53年)3月です。

197803

・変化はなさそうです。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902_2

・下り1番線は撤去されてしまいました。

最後に2003年(平成15年)4月。

200304_2

・これは前回の記事でご紹介した通りですね。

コスモスさんからいただいたコメントによれば興津駅折り返し列車の設定は1984年(昭和59年)2月からとのことですが、結構昔からこれに対応できる設備にはなっていたんですね。

次に鷲津駅のその後です。最初は1967年(昭和42年)1月。

196701_2

・上り1番線の神戸方に出発信号機7Lが設けられて、上り1番線での折り返しができるようになりました。

続いて1975年(昭和50年)1月。

197501

・富士紡の専用線はなくなってしまいました。

続いて1983年(昭和58年)4月。

198304_2

・変化はないようです。

続いて1989年(平成元年)2月。

198902_3

・神戸方で一部の線路が撤去されましたが、下り1番線はまだ健在です。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201

・変化はありません。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703_2

・とうとう下り1番線が撤去されてしまいました。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604

・前回の記事の通りです。特に変化はありません。
・興津駅同様1967年(昭和42年)の時点で上り1番線での折り返しが可能な構造になってはいますが、鷲津駅折り返しの列車は少なくとも定期では今まで存在していないのではないでしょうか。

比較的規模の大きい駅の場合、旅客の着発線と貨物などの着発線が直列に配置されるケースは沼津西明石小山宇都宮などまま見受けられます。
ただ、興津や鷲津のような規模の駅での例はきわめて少ないように思います。私の知る限りでは、野木や韮崎ぐらいです。

興津と鷲津がなぜこのような配線になったのかは知りませんが、想像するに、
○最初からこの配線だった
のであれば、
・地形的な制約
・上下本線を隣り合わせにしつつ、かつ本屋の改札の目の前を下り本線にしたかった
ぐらいしか思いつきませんし、しかもいずれもウソくさいですね。
ですので、列車の増発等に伴って
○後から待避線を追加した
と考えた方が自然ですね。最小限の工事で待避線を増設しようとした結果のような気がします。戦時中の突貫工事のような・・・、すみません、あくまで想像ですが。

いずれにせよ、このような特殊な配線の駅が2つ設けられている背景には、東海道線ならではの事情があるような気がしてなりません。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

JRになってからもしばらくは上りで鷲津行きというのがありました。
ちょうど下りさくらが名古屋に着くころに出て行ったと思います。
折り返しの下りがどうだったか、記憶にありません。

手持ちの古い時刻表、昭和51年1月、56年8月、59年3月各号で確認したところ、いづれも上り米原始発鷲津折り返し大垣行で設定されていました。時間はおおむね21時30分台着40分台発です。
JR化(昭和62年4月1日)直後の時刻表は持っておりません。ちなみに、平成9年11月号では、鷲津折り返し列車は無くなっていました。

 興津というと、西園寺公望が別荘として使っていた坐漁荘があったりして有名なところですが、それにしても違うかなぁ。

久しぶりに書き込みます。大変面白いですね。配線冥利に尽きます。
自分も下り1番線大変気になります。
決定的な情報ではありませんでしたが、昭和50年の列車ダイヤがありまして、中身を見ていたら、面白いことがわかりました。

鷲津の上り1番線です。午後の時間帯に、豊橋止まりの上り列車がそのまま回送となり鷲津上り1番で折り返していました。豊橋まで回送後、また普通列車として下っていたようです。
そこで気になるのは、豊橋駅上り1番線です。実はf54560zg さんが仰っていたとおり、豊橋駅上り1番線で折り返す列車があるから悩ましいのです。午前中の豊橋止まりの上り列車は上り1番線で折り返している。
もっともっと悩ましいのは、どうやら昭和50年頃には上本→下本の直取りルートもあったようなのです。朝方に1本だけ、上本着ですぐの折り返しに「上ホ」という着発線符号がついた列車があります…。
こうなってくると構内作業ダイヤも見たくなってきてしまいますが、構内容量との関係もあったのかもしれませんが、あれこれ楽しむには悩ましすぎます>当時の国鉄。


鷲津の下り1番線。目を皿のようにして見ていくと、試7973という列車が14時頃に鷲津の下り1番線に到着していました。約50分程度止まって何本かやり過ごした後に、下本発として発車していました!!
着発線符号見ると、下1着下本発。まさに配線図通り、入標と誘導で下本に据え付け発車!

本当に悩ましいのですが、この試運転列車。豊橋から回送で鷲津に来て、上り1番線で折り返す下り回送の続行で鷲津を発車していきます(笑)


興津の下り1番線。こちらも相当悩ましいです。
当時は貨物扱いがあったようですが、まず、下りの普通貨物列車が2,3本興津に10分程度下本に停車します。そうなのです。貨物扱いのある貨物列車が下1を使うと思いきや、使っていない。
では、どんな列車が使っていたのか。
富士駅を3時24分に発車した回8341列車が興津駅下1に3時43分着。
悩ましいのです。この列車、他につながる列車が描かれていない。下本発でもこれに相当する予定臨客レがダイヤ表上存在しないのです。漏れがあったのかそこまではわからないのですが。
ただし、もっと遅い時間午前11時頃まで見ていくと、なんとこれまた突如興津駅上り1番線から発車する回8344,回8346列車が登場します。これもこれにつながるような列車が見あたりません。
あるとしたら、下1に未明に到着した回8341列車が転線入換えしたものとしか思えない。ただ、午前3時からずっと興津の下1にいる理由もわからない。ちなみに午前3時に興津に回8341列車が到着するとほどなく下りの保守間合い時間帯となって1時間ほど列車が走らない時間となります。逆に上りの回8344列車は上りの保守間合い時間帯を過ぎた直後に発車する感じになります。

長々と失礼しました。楽しいですが、悩ましいです。

tristar1011さん、コスモスさん、大変失礼いたしました。確かにありますね。少なくとも時刻表1986年(昭和61年)3月号には掲載され、同1987年(昭和62年)8月号には掲載されていませんので、JR化直前の1986年11月のダイヤ改正で廃止されたのではないかと思います。

bad.Ⅳh-95さん、難問です。

tercelさん、豊橋駅の配線の変遷についてはまた別途記事を書く予定にしていますが、少なくとも1967年時点ですでに上り本線に下り出発信号機が設けられていますね。
私は時刻表(それもごく一部)しか持っていませんので、残念ながら回送列車等についての情報は全く持っていません。tercelさんのようにダイヤと見比べるといろいろ面白い発見ができそうなのですが。
それにしても回8341列車等はどんな列車なのでしょうね。

はじめまして。
いつも興味深く拝見しております。
ちょっと気になったので遅コメですが書き込ませていただきました。

件の回8341レなどですが、国鉄当時の創価臨によく使用された8300台スジで、東京方面からのスジは富士から直接身延線へ入り富士宮へ至っていたものの、名古屋方面からの列車は富士で客扱い後、品川まで回送されるものが多く設定されていました。
これは沼津での車両整備が1日1本に限られていたためで、多くの列車が設定された日には沼津で1本、品川で何本というこなし方があったようです。

本題から外れてしまいましたが、このように多数の列車をさばくのには折り返し整備のほかにも富士宮電留線容量の関係で沼津などに回送されるものがありました。
名古屋方面に帰る場合は折り返し整備所となった沼津や品川から富士まで回送で下り、客扱い後そのまま下るわけですが、東京方面に帰る場合は富士宮回転を基本としているものの、先の電留線の関係で富士宮には入らず、復路富士からの客扱いのため一旦興津まで疎開させて帰っていくのだと思われます。

現在手元に資料が無いので詳しいことは判りませんが、記憶をたどるとそんな運用になっていたような気がします。

HP10SHさん、情報ありがとうございます。
そうですか、回8341列車は創価臨ですか、ナルホド。それにしても折り返し駅がなんで興津なんでしょうか。岩淵(富士川)とか蒲原とか清水とかに比べると、興津駅って折り返しには不向きな配線だと思うのですが。

bad.Ⅳh-95 さん記載の鷲津駅における試7973ですが通学の帰りに何度かみたことあります。
通常東海道線を走行しないED62がきれいな貨車を牽引していましたので日車新造貨車の試運転のダイヤではないでしょうか。

名無しさん、情報ありがとうございます。車両メーカーが近くにあるとそういった特殊な列車もダイヤ上に設定されているんですね。

最後の元老と言われた西園寺公望(第12代、14代内閣総理大臣)の隠居先の坐漁荘があった影響で、興津駅の配線にも特別な影響を与えた可能性のある記事を見つけました。

「政友会総務で初代鐵道大臣を務めた 元田肇(もとだ はじめ)(安政5年(1858年)2月28日~昭和13年(1038年)10月1日)や、第7代大臣 小川平吉(おがわ へいきち)(明治2年(1869年)12月~昭和17年(1942年)2月5日)達が該職務権限を露骨に行使し西園寺公面会を名目に、当時唯一の存在だった特別急行列車を興津駅に臨時停車させていた史実」

(出典)
http://4travel.jp/travelogue/10596789

また上り1番線をバックに上りホームで、2・26事件の時局収拾のために隠居先の興津から上京する列車を待つ写真もあります。(下記ページ4枚目)

(出典)
http://tokaido.canariya.net/1-rene-tokdo/4book/3bu/17_fr.html

ただ西園寺公望本人は記録によると、謙虚に興津では普通列車に乗り主要駅でちゃんと乗り換えをしていたようです。

政治と鉄道の関係がより濃い大正、昭和初期には、時刻表に見えないような緊急の運用でも留置、追い越しなど柔軟に対応できるよう設備、配線が増強され、活用されてきたのではないでしょうか。

かんさん、う~~ん、その可能性もないとは言えませんね。ただ、私は戦時中とかではないかと思っているのですが(根拠はありませんが)・・・。

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