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2011年10月21日 (金)

鷲津 2011/10/8

鷲津駅のことが気になりましたので、ちょっと見に行ってみました(汗)。

01p1030890_2
・神戸方です。
・貨物列車が接近中です。

02p1030891
・振り返ります。

03p1030899
・東京方に移動します。

04p1030900
・振り返ります。
・ホームの上り1番線側にもしっかり停止位置目標や乗車位置の目印があります。

05p1030886
・問題の東京方です。
・下り本線の右側には・・・

06p1030887
・おお~っ、下り1番線の跡がはっきりわかります。

07p1030904
・撤去されてから15年以上は経過しているのですが、つい最近撤去されたかのようにも見えますね。

08p1030911
・下り1番線が下り本線に合流していたあたりです。

09p1030909
・東京方に向かって右へカーブしていって、

10p1030913
・このあたりが下り1番線の分岐か所のようですね。

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コメント

配線図では直線なので
現場のこのカーブになっているというのは意外でした
このような位置ですとただの待避線という理由で作られたものとは思えないですね
いったいその正体は何なのでしょうか?

ちょっと気になるのは、1960年の配線図で、下り線から分岐した直後の下り1番線がちょっと海側に膨らんでいること(それ以降の配線図はそうはなっていないのですが)。一番最後の写真を見ても実際にそのような形態であったのではないか思われるのですが・・・。

「鷲津」で、
その場所 は、
昔の→「貨物列車が あった ころ」ですね。
     =
    「退避 できる場所」で。

「昭和の時代」です。

今となっては考えられないような、まだ貨物列車がいっぱい入っていた頃のお話ですね。

ここまで通勤していたので
退避できる場所というより留置できる場所という感じがしていました。

新製直後(あるいは試運転中だったかもしれません)ピカピカの14系客車を帰りの電車のなかから見たことがあります牽引機はEF58パンタはおろして真っ暗。
あと同じ感じの貨物列車が数日止まっていたり。
機関車外して貨車だけの場合も。
いまは舞阪駅が代わりをしている感じがしています。

舞阪駅利用者さん、そうですよね、到着はできるが出発できない、といのは普通の退避線とはちょっと違った雰囲気があります。

>管理人さん。

「東京都区内(=ゾーン中心駅、東京)
      →276.6km=鷲津」
東京→浜松257.1km
東京→鷲津276.6km
東京→豊橋293.6km
     vs
「大阪市内(ゾーン、中心駅、大阪)
→279.8km=鷲津」
新大阪→豊橋=259.0km/大阪から262.8km
新大阪→鷲津=276.0km/大阪から279.8km
新大阪→浜松=295.5km/oosakakara299.3km
なので、
「実は、新幹線でも、東海道本線でも
鷲津 は、東京~大阪の ほぼ真ん中」です。


「東海道本線=東京ー神戸589.5km ですと、
東京都区内(東京)→豊橋=293.6km
神戸 市内(神戸)→豊橋=295.9km で、真ん中」。

「東京→366.0km「名古屋」366.9km←岡山 」。

「東京→「神戸・新神戸」←博多」のkm。

真ん中言うの、誰?→「わし」で。

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