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2011年9月23日 (金)

尾張一宮配線図

その昔、尾張一宮駅に降り立ったことはあるのですが、ホームからEF61を撮影した程度で、残念ながら駅全体の記憶はほとんどありません(汗)。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・東海道線のほか名鉄の名古屋本線及び尾西線が接続しています。
・東海道線は中央を上下本線が貫通し、その外側に副本線が配置された形態です。

続いて1968年(昭和43年)2月。

196802_2
・上り側の貨物側線に若干変化が見られますが、全体としては変わりありませんね。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904
・1979年2月に貨物扱いが廃止され、配線図の貨物側線は手書きで抹消されています。
・名鉄線と繋がっていた線路も断ち切られてしまいました。

続いて1985年(昭和60年)3月。

198503
・貨物側線が消えて、個人的にはなんとも寂しい姿になってしまいました。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008
・高架化工事が始まり、この時点では上り線がすでに高架に切り替えられています。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・下の縦断面図を見る限り上下線とも高架への切り替えが完了したように見えるのですが、下りホーム周辺の形態は地平時代のままですので、このあたりどちらが正しいのかは何とも言えない気がします。
・それにしても高架化でずいぶんと踏切が解消されるんですね。

続いて1992年(平成4年)4月。※※

199204
・下りホーム周辺の形態が変わっていますので、この図では上下線とも高架化が完了しているように見えます。

続いて1997年(平成9年)3月。

199703
・これが最終形態ですね。
・ただよくわからないのは1992年4月の図とこの図とではホームの配置が違うこと。
・普通に考えれば高架に移すと同時に線路やホームを最終形態の配置にすると思うのですが、この場合はそうではなかったということ?
・まず線路を高架に移し、その後改めて線路やホームを配置しなおしたのでしょうか。ちょっと考えづらい気もしますが。

最後に2006年(平成18年)4月。

200604
・特に変化はありません。
・上り1・2番線は下り列車の発着も可能になっていることろが特徴的ですね。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

ほぼ地元なのでなじみの深い駅です
部内ではオイチと呼ばれていました
主観的ではありますが
ここと岐阜駅の駅前は非常に雰囲気が似ていていると思います
建物や道路の感じが似ています
違うのは路面電車の有無くらい
現在の尾張一宮駅の乗降人員は相当な数ですが
国鉄時代は岐阜駅共々微々たるものでなかなか信じられないかもしれません
当時の名局管内の駅の格では名古屋駅に次ぐのは稲沢、刈谷と言う順番です

高架のホームの謎は私も知らないですね
名鉄尾西線の玉ノ井方向は高架にならずに廃止されるという噂が大勢を占めていましたが
何故か効果になって存続されました

尾張一宮=オイチですか。そんな略称があったのですね。
駅前の風景はわかりませんが、線路配線だけ見ると東海道線の駅は中央を上下本線が貫通していてその外側に副本線・側線が配置されるパターンが多く、岐阜もオイチも大垣も似通った雰囲気ですね。
これについては後ほど・・・。

一寸多忙で、ご無沙汰してしまいました。
一宮駅、我が地元です。
小さいときからいろいろ見てきました。
分かる範囲でコメントさせていただきますね。

尾張一宮駅は昭和50年代中頃まで貨物扱いをやっておりました。
駅の北側に積み込みホーム、
一方、駅舎の南側に日本通運の建物がありました。
貨物列車の連結切り離しもよく見られ、貨車の入れ換えは本務機の突放の他、貨車移動機と呼ばれる小さな機関車が行ったり来たりしてました。

当時、貨物列車は長いもので、待避線(上1・下1)に収まり切らない列車もあり、そんな列車は一旦出発信号機付近で停止の後、その先の引込み線みたいなところに頭を突っ込んでいました。
発車するときは一旦バック、そして出発信号機の現示で出ていきます。
駅の前後は踏み切りで、そんな光景をよく見ていました。

さて、鉄道高架で駅は大きく変わりました。
東海道本線の高架化では、元々この区間は複々線化の予定があり、高架線の工事は地上線(旧線)の東側に平行に造られ、東海道本線に関しては仮線は殆ど無い、いや本線に限っては全く造られませんでした。
順番として、昭和63年に上り線、それから平成2年に下り線が高架化されました。

なにか高架化されてから高架上でホームの変更があったのでは?という推察ですけど、実際にそういうの、ありました。
旧線の停車場部分も仮線は造られなかったため、旧線部分を撤去しながら高架部分を造ったことに起因するものです。

1990年8月の図は上り線だけが高架化された図で、ここに描かれている上り1番線の線路は現在の上り2番線。上り本線は現在の上り1番線。そして上り本線ホームは、幅の半分弱だけが造られ、上り1番線のホームは仮設のものです。

1992年1月の図はヘンですね。既に下り線も高架化されていますので、1992年4月の図で。
1992年4月で、上本と下本に挟まれたホームは現在の上り線ホーム、下り本線の線路は現在の上り本線、下り1番線は現在の下り本線です。このときは、現在のホーム下り1番線側残りの幅と下り1番線の部分は、旧線の下り線路が残っておりまだ造られていませんでした。

そして旧線の下り線を撤去し、高架の下りホーム残りと現在の下り1番線が完成し、それまでの下り1番線を下り本線に直して、下り線部分は完成。
その後、高架の旧下り本線を上り本線に直し、旧上り本線を上り1番線に直して上り線部分も完成。

それから暫くは旧上り1番線、現在の上り2番線の仮設ホームは残っていましたけど、やがて撤去。
そうして1997年3月の図に至ります。1997年3月の図で上り1番線の出発中継3Lがあるのは、ここが前は主本線であった名残ですね。

尾張一宮駅のホームは、地上線時代よりホーム自体は少し神戸方に移動しているように感じています。
それと地上駅時代から名鉄と同じ改札内の共同使用駅でした。
高架化後もこうした扱いでしたが、名鉄本線が高架された際に改札は分かれました。

地元ゆえ、長々とすいませんでした。

この駅ではありませんが高架について

名局管内で高架工事で一番面白いと思ったのは
蒲郡駅だと思います
国鉄時代すでに隣接の名鉄駅は行き止まりの高架になっていましたが老朽化していたのか国鉄線の高架と同時に名鉄線も高架を作り直したことです
順番としては本屋駅舎付近を解体しそこに仮の上り本線を設け仮の本屋駅舎も作ります
今までの上り線は下り線とし、下り線は長大なホームもろとも仮の名鉄線に転用
名鉄線の旧高架を建て替え、国鉄線は下り線側から順番に高架にしていったようです
国鉄線を名鉄線に代用したところが面白いですね

いつも楽しく拝見しております。
昨年秋まで尾張一宮に1年ちょっとですが、住んでいました。
2006年の図で言えば、上り線の出発信号機のすぐ内方に建っているマンションで、目の前に待避する上り貨物列車の機関車が止まる位置です。

上り2番は、上下貨物列車の待避にも使われていますが、上り1番は名古屋方面で運転見合わせとなった場合に、岐阜方への折り返しに使われていました。

元々、この上り1番は、東海地震警戒宣言の際に鉄道の運行が停止対象となる境界駅(東海道線は藤沢~尾張一宮が対象)となっているので、そのために折り返しできる設備になっていると思われます。

kisomitakeさん、お久しぶりです(笑)。
長い貨物列車が後端を有効長内に収めるためアタマを側線に突っ込み、発車時はバックする・・・、というのは確か奥中山あたりで行われていたという記憶はあるのですが、天下の東海道線でも行われていたんですね。尾張一宮駅の有効長は決して短くないと思うのですが、それ以上に貨物列車が長かったのですね。2軸車だけなら60両以上?
高架化に伴う線路の切り替えについて、非常にわかりやすい解説に感謝します。ホントによく理解できました。

ヒデヨシさん、貴重な情報ありがとうございます。ということは、名鉄線は高架から一旦地上に降りて、再度高架に戻ったということですね。昭和52年の空中写真を見てみましたが、確かに名鉄線と国鉄線ではホームの長さが全然違いますね。

tristar1011さん、コメントありがとうございます。これまた貴重な情報ですね。ということは藤沢駅もこれに似た対応がされているのかも。
それにしてもうらやましい環境にお住まいだったのですね。

駅舎の分離、ありましたっけ?


同一名称
「一宮」駅→三河一宮(飯田線)
       尾張一宮(東海道線)
       長門一宮(山陽線)→現「新下関」)に
           それぞれ、駅名を改称。

名鉄さん も、
「新一宮」は、「東一宮」とは違う駅、なので「新」。
後に、「新一宮」から→「名鉄一宮」に、改称。


「駅舎分離」言動  する前に、
その昔「駅名を 単独駅名に しています」よね。

藤沢も折り返しの対応はあります。
上野東京ライン以降不明ですが、
神戸方にY字ポイントがあり、
ラッシュ時(土日運休)の藤沢始発東京行きが田町から延々と回送されてY字に留置されています。
この時神戸方の踏切(上を小田急が盛り土と鉄橋で超える)は閉鎖されます。

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