« 尾張一宮配線図 | トップページ | 東海道線各駅の配線の特徴 その2 »

2011年9月27日 (火)

東海道線各駅の配線の特徴 その1

いきなりですが、まずは1978年(昭和53年)の高崎線の宮原~倉賀野間の配線図です。

01197803r

02197803r

03197803r

04197803r

以前にもどこかで書いたかと思うのですが、小学生の頃は春休みや夏休みになると東京から祖父母のいる長野に遊びに行くのが通例となっており、そのたびに車窓から眺めていたこれらの各駅の配線は私にとっては馴染みの深いものです。

これらの各駅の配線、当然例外はいくつかありますが、基本的には、

4

のパターンです。

すなわち、
1)上下本線の間に上下共用の中線がある。
2)ホームは両面の島式と片面が各1本づつで、片面のホーム側に本屋があり、本屋の改札の目の前が下り本線もしくは上り本線(高崎線の場合は圧倒的に上り本線が多いですが)になっている。
という形態です。

高崎線に限らず東北線も常磐線も上越線も信越線も中央線もこのパターンの駅が多く見られますので、複線区間の駅としては最も標準的な形態と思われます。

ところがところが、恥ずかしながらつい最近気づいたのですが、東海道線の場合はこのパターンが当てはまらないんですね。

たとえば1960年(昭和35年)頃の用宗~天竜川間。

01196000r

02196000r

03196000r

金谷以外は、

3

もしくは

2

のパターンですね。

すなわち、
1)上下本線が隣り合っており、副本線はそれぞれの外側に配置されている。
2)ホームは島式がメインで、本屋の改札と下り本線または上り本線が直結していない。
という形態です。

さらに西小坂井~熱田間。

21196000r

22196000r

23196000r_2


やっぱり基本のパターンは

3_2

2_3

ですね。

これは規模の大きい駅でも同様で、静岡、浜松、豊橋、岐阜大垣などもこのパターンなんです。

これについてはいろいろ考察ができそうですが、とりあえず今回はここまで・・・。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 尾張一宮配線図 | トップページ | 東海道線各駅の配線の特徴 その2 »

コメント

東海道は特急『こだま』の運転開始に合わせ、旧来の2面3線の駅の多くを4線化したんですよね。斎藤雅男さんの本に書いてありました。

初めてコメントさせていただきます。関東在住の熟年です。
久しく無かった関東の配線図に思わず食いついてしまいました。
2面3線と2面4線の違いは列車密度が濃くなり、優等列車の通過退避の必要度に由来すると考えるのが妥当と思われます。
foo様のおっしゃられる『こだま』運転開始の時期は、東海道本線最黄金期の始まりであり、数多くの特急、急行を先行させて退避する中線の需要が高まり、4線化の改良が行なわれたのでしょう。
一方2面3線では上下線同時の退避ができず、記憶に残る中では昭和50年頃の東北線で2本通過待ちで15分近い退避を経験し、中線に停車すると直に1本通過し、暫くたって2本目が通過して開通待ちで発車となり「こんなにも待つなら一駅進めるのに」と当時は思ったりしましたが、次の駅で対向列車の通過退避があったならこの様なダイヤ編成にも納得となります。
さて今回掲載された高崎線の配線図の中で例外待避線を持つ深谷に母親の実家があり、管理人様と同様に小学生の頃は学校が休みの時季には必ずといって訪れ、学年が進むとともに大宮から乗った電車の車窓から見える各駅のホームや待避線の配置に興味をもつようになりました。
この例外的な待避線は上下同時の退避は可能ですけど、上りの場合停車する普通列車はホームのある上り本線に止まり、通過する優等列車の方がポイントの速度制限を受けて中線を進むことになります。
また、駅の下り側の1本破線の踏み切りは幅が狭くほとんど歩行者と自転車しか通らないけど、幼い頃には警手がいて跳ね上げ式の遮断機を操作していた記憶があります。上りの中線はこの踏み切りに完全に掛かっていて貨物列車が退避に入ると踏み切りを長時間に亘りふさぎ遠回りを余儀なくされました。
小学校も高学年となると一人で行き来するようになり家に戻る際には当時でも少なかった機関車牽引の客車列車を選んで乗ったものです。最も半端ではない混みかたでしたけど、好い思い出です。

東海道本線の西小坂井~熱田間の掲載は非常にうれしいです
本当の本当に地元&職場ですから
それに1960年(昭和35年)頃だと刈谷、刈谷、大高がその後の昭和52年頃と比べるとかなり違っていますね
これを見ると当時は下り2番線に対する場内出発信号機が無いので貨物列車の着発が出来ないようですね
刈谷はこれ以降コンテナ車発送施設が作られるので
上り11番線(コンテナ線)の新設と
上り5番~10番線の側線有効長の延長

共和は南方貨物線計画の前利用として
高崎線基本パターンの2面3線の中線付きタイプに変更(同時に橋上駅化)

大高は高架に伴い側線の廃止と笠寺駅による管理駅になったことです

国鉄(省線かな?)の停車場配線標準パターンの話。
今でこそ「2面3線」の配線が基本っぽいと思いますけど、子供の頃、それこそ東海道本線の名古屋近辺で育った者としては、通過列車を待ち合わせる構造の駅では島式2本の「2面4線」なのが一般的という印象がありました。
並行する名鉄も、通過列車待ち合わせの駅では「2面4線」ですからね。

しかし醒ヶ井駅は、よ~く見ると元「2面3線」。米原駅も元来はこの派生形であっただろうと推定、彦根以西の大部分の駅も多くが「2面3線」。

子供の頃に読んだ鉄道模型の観点から、停車場構内の施設配置についての記事では、元々の国鉄(省線)基本配置は、相対式2面2線に貨物側線がくっついたもの。列車回数が増えると退避が出来るように、駅舎ではない方の相対式ホーム反対側にも線路を通し、島式になって計3線。貨物列車だけが退避であれば、相対式の間にもう1線入れるとか、そんなバリエーションでいろいろな形になって行くとの記事を読みました。

なんでも国鉄(省線)は、1番線のホームは駅舎が建ち、階段を経ずにそのまま改札口がある、というのが基本思想だと伺った事が有ります。お召し列車は上下本線に係わらず、1番線に入れるためとかも聞いた事がありますけど、これらは本当かな?

fooさん、Tangoさん、ヒデヨシさん、kisomitakeさん、コメントありがとうございます。そして情報ありがとうございます。
そのうち「まとめ」的な記事を書く予定にしており、その中で皆様からのコメントに触れたいと思っていますのでよろしくお願いします。

 この配線図では表現されていないんですが、藤枝駅の上下本線は、橋上化された自由通路から眺めると、微妙に振られているように見えるんです。
 場内を過ぎ、田沼街道踏切のあたりから下り本線はSカーブでわずかに左、南側に振られて3番線に入るのですが、そのまま延ばすと2番線ににつながりそうに見えて、逆に上り本線は下り方にある保線事務所の前のあたりで少し左、北に振ると1番線につながりそうに見えます。
 上下いずれもホーム手前でSカーブになっているのですが、左右共に半径1200くらいの反向曲線でつないでいるので、通過列車も停車列車も殆ど制限は受けないのですが、何なんだろな、と思って30年です。

bad.Ⅳh-95さん、ということは、昔は
下り本線→2番線
上り本線→1番線
だったかも、ということでしょうか。
調べるのは難しそうですが、いろいろ想像するだけでも楽しそうな気がしますね。

本屋前を主本線とする配線について。

まだ小荷物輸送を覚えている年代も多いと思います。担当にとっては重労働でしたので線路を渡る荷物移動は避けたいものでした。また渡る線路をふさぐので安全面でも問題がありました。
本屋前をどちらかの主本線とすれば作業の効率と安全は格段に異なります。
そのことを常識として育ちましたので名古屋地区の配線を見たときに驚いた記憶があります。

 島ホームの両側を上下本線として、その外側に待避線を配置する配線は、東海道など地域的なものではなく時代的な影響かと考えています。
 山陽本線の西阿知駅は1920年の開設ですがこの配線であり、私は時代の名をとって勝手に大正型と名付けています。中央からの方針に則ったという疑惑?も湧いています。
 本屋からホームへの陸橋設置を前提とすればホームが1本になるのは業務上・要員上も望ましいことです。
 この時代の駅に同じ配線が多用されていれば実証になりますが、私には確認の方法がありません。

C6217さん、おっしゃる通り時代的な背景はあると思います。今後上下共用の中線タイプの駅が新設されるとは思えませんし。
ただ、東海道線の場合、おそらく途中で変更されたと思われる駅が多々あるところが気になるんですよね。

 東海道本線に限らず 現在は配線変更になったが以前東海道標準配線駅と同じ駅として 横須賀線鎌倉駅 赤羽線板橋駅 常磐線北千住駅 中央本線国分寺駅立川駅八王子駅等が同じ配線の駅として存在してました
 例外として新幹線三島駅 総武本線市川駅 埼京線戸田公園駅南与野駅 京急鮫洲駅等用地の関係から急行線を外側に通し其処から中央側に島式ホームを作り緩行線を分岐退避する方式の駅が見られます 時代の流れで貨物外側退避方式から緩行内側退避方式に変更となっつた例ではと思います

yyoshikawaさん、急行が緩行を追い抜くのであれば、通過ではなくて緩急接続してほしいですよね。

 最初から緩急接続を意識して無い駅での緩行退避の駅配線通常では急行直線中抜きが理想的です(新幹線タイプ)が用地の関係等で外抜きとせざるおう得ない場合も有ります埼京線は新幹線との平行敷設の関係から外抜き配線にせざるおうえまかった
 埼京線は本来大宮以南の新幹線を新宿方面に振り分け東京大宮間の過密ダイヤになる事を避ける目的で敷設計画が当初より有ったが 沿線住民に配慮する関係で通勤線に変更したと云う経緯が有ります

yyoshikawaさん、そうでしたか。新宿行き「やまびこ」などの可能性があったわけですね。

 そう言えば小田原熱海間の早川 真鶴 湯河原の三駅東海道本線東部標準配線駅ですね 東海道本線沿線で富士川清水間と双璧をなす海沿いの絶景区間ですね 此の区間の四駅の中で根府川はホーム二本に三面三線の通常の全国標準パターンの配線駅ですが相模灘に落ち込む断崖上の狭い所に駅を建設した 用地の関係で上り本線線側崖上に駅舎が有り間に貨物側線と上り本線が有り其の先に中線下り本線の順番に敷設下り本線ホームの裏は少しだけ用地が有り其の先は断崖で相模灘に落ち込んでおります
 他の三駅は駅の近所は比較的平地ですが 根府川は断崖の上と云うことは小田原から根府川迄は上り勾配其の先熱海迄下り勾配根府川はサミットに当たるのでしょう 下り列車が根府川を出ると直ぐ白糸川橋梁が有ります上路トラスの美しい橋梁を渡ります東海道沿線一の絶景撮影ポイントですね 根府川は近くの岩山から道床用バラストを採掘してホッパー車で発送されてましたがが現在は貨物扱い廃止されました 後年下り本線ホームの隣にいま一線線増されましたが現在は保線用側線に変更された様です 1923年9月1日の関東大震災の折震源に近い当時の熱海線は壊滅的被害に合い特に根府川駅は側の白糸川橋梁共崖崩れに合い海中に水没してしまいました丁度駅に到着した旅客列車が此の崖崩れに巻き込まれやはり海中へ転落しました其の後改めて根府川駅を建設運行再開されました 
 早川真鶴湯河原の三駅は駅舎から地下道でホームへ上るパターン根府川は駅舎から直接跨線橋で渡りホームに降りるパターンです
 平行区間の新幹線に乗車して窓から見て居ると早川は新幹線より下方根府川の白糸川橋梁は新幹線より上方湯河原付近は略同じレベル 新幹線はなるべく平坦に線路を敷設しておると考えると小田原や湯河原に比べると根府川はかなり高所に有ると云う事でしょう

yyoshikawaさん、大崩海岸は改修されましたが、根府川のあたりと由比のあたりは東海道線の自然災害危険地帯ですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/52592257

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道線各駅の配線の特徴 その1:

« 尾張一宮配線図 | トップページ | 東海道線各駅の配線の特徴 その2 »

過去の記事

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ