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2011年8月 6日 (土)

新垂井配線図

久宝寺駅で約150m、新三郷駅で約360mですが、垂井・新垂井駅の場合は約3000m程度上下線が離れています・・・って、ちょっと乱暴な比較ですね、失礼しました。

まずは1960年(昭和35年)頃。

196000
・新垂井駅に運転要員が配置されていたのかどうかがよくわからないのですが、少なくともこの時点ではてこ扱所が設けられており、信号担当の駅員さんが信号機と転てつ器をてこ扱所で転換していたように見受けられます。
・ホームは下り1番線だけで、下り本線にはホームはありません。どんな列車がどんな列車を待避していたんでしょうか。
・側線が1本ありますが、新垂井駅は開業当初から旅客専用駅ですので、貨物用の側線ではないと思われます。

続いて1967年(昭和42年)1月。

196701
・下り1番線の神戸方に安全側線のような線路が点線で描かれているのが気になりますね。

続いて1968年(昭和43年)2月。

196802
・限界表示灯が描かれています。ってことは、この時点では運転要員は配置されていなかったということなのでしょうか。
・1967年(昭和42年)1月の配線図で転てつ器の番号が変わっているのも引っかかります。
・大垣駅あたりからの遠隔操作でも不思議ではないように思います。
・相変わらず下り1番線には点線で安全側線のようなものが描かれていますね。

続いて1975年(昭和50年)1月。

197501
・やっぱり点線で安全側線のようなものが描かれています。何なんでしょう、これは。

続いて1979年(昭和54年)4月。

197904
・ようやく点線が消えました。
・下り1番線と側線の分岐がちょっと変なカタチ。番号も記載されていませんし。

続いて1985年(昭和60年)3月。

198503
・側線は姿を消しました。

続いて1990年(平成2年)8月。

199008
・新垂井駅は1986年(昭和61年)に営業を廃止していますが、なぜかまだ中途半端な形で描かれています。
・下り1番線は撤去されていますがホームはそのまま(ある意味正しいといえば正しいのですが・・・)、出発信号機は一見閉そく信号機になったように見えますが閉そく信号機識別標識がなく出発合図器がついたまま、場内信号機に至っては廃止以前のままです。
・ちょっとあら探ししすぎですね、ゴメンナサイ。

続いて1992年(平成4年)1月。

199201
・だいぶそれらしくなりましたがもう少しですね。

最後に1992年(平成4年)4月。※※

199204
・ついに跡形もなく配線図上から消え去ってしまいました。

新垂井経由の緩勾配線開通時に垂井経由の下り線を廃止するという、個人的にはかなり荒っぽいと感じる対応の結果新垂井駅は誕生したわけですが、わずか2年後には垂井経由の下り線が復活し、新垂井駅はその存在意義の多くを失ったように思います。
(新垂井「信号場」としては存在意義があったかもしれませんが。)
何か、運命に翻弄される新垂井駅の悲哀を感じてしまいます・・・って、大袈裟ですね。
いずれにせよ新垂井駅は「変わった駅」の代表格であると個人的には思います。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

新垂井駅の現役の頃を知っています。
急行「比叡」や特急「しらさぎ」に乗り、待避線、つまり下り1番線で貨物列車が停まっているのを何度か見ました。
貨物列車の数が多かった頃で、速度の遅い列車は、退避しながらの運転だったみたいです。
新垂井駅も相した使われ方をしただろうと思います。

こうして図を拝見すると、1986年11月に駅としては廃止となっても運転取扱い上では、信号扱い箇所だったのですね。
1990年8月の図で、新垂井以東の閉塞信号機番号が、関ヶ原基点で5・6…と続くのか、新垂井基点で1・2…と続いていたのか、気になります。

今の垂井線が1946年に「復活」しても、当時は蒸気機関車牽引の列車、下り列車として新垂井駅の存在意義はそれほど失われていなかったと思います。
垂井線は基本的に大垣近辺の小運転列車が走っていました。
その小運転列車は、後にクモハ40形などの単行電車となったそうです。

配線図からホームは消えても
現在も新垂井駅の長大なホームは撤去されずに
今にも列車が入ってきそうな感じです

新垂井駅と垂井駅は同じ駅としての取り扱いですが
垂井駅から入場券で新垂井に行けるのかなあ
そもそも乗ることを禁止しているから無理か・・・

kisomitakeさん、やっぱり新垂井駅の下り1番線で列車を待避していたのは貨物列車でしょうね。旅客列車が待避することはまずなかったのでは?(それならホームは下り本線に設けてもよかったような気もしますが。)
1990年と1992年1月の配線図は、おそらく「間違い」なのではないかと思っています。すでに停車場としては廃止されているにもかかわらず「新垂井 421.410」という文字が記載されていること自体ヘンですので。実際は1992年4月のような状態であったろうと思います。
なお信号機の番号ですが、1985年4月時点では
南荒尾-6-5-4-3-2-1-場-新垂井-出-3-2-1-場-関ケ原
ですが、1990年の図では
南荒尾-6-5-4-3-2-1-場-(新垂井)-4-3-2-1-場-関ケ原
となり、1992年1月の図では
南荒尾-11-10-9-8-7-6-5-(新垂井)-4-3-2-1-場-関ケ原
になっています。1990年の図はやっぱりオカシイかな、と思います。
ヒデヨシさん、最近の新垂井駅の記事に写真を掲げました。草で覆われて全貌は掴みづらいですが、何とも言えない重厚な雰囲気ですね。

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