美濃赤坂配線図
本線からちょと寄り道して、今回は美濃赤坂駅です。
美濃赤坂駅は1980年(昭和55年)に訪れており、その時の記事はこちらです。
まずは1979年(昭和54年)4月。
・美濃赤坂駅も結論から言って現在もこの配線図と同じ状態です。各線路の「使われ具合」はだいぶ変わっているようですが。
・本線は上り本線と下り1番線、下り2番線、下り7番線の4線です。
・上り本線と下り7番線は着発両用ですが、下り1番線は到着専用、下り2番線は出発専用です。
・西濃鉄道の市橋線と昼飯線が接続しています。
・昼飯線がどのような形で運転されていたのかが?です。到着の場合は引上線に到着して推進で、出発の場合は推進で引上線まで行ってそこから出発、でしょうか。美濃大久保駅がスイッチバック駅ですので、美濃赤坂から推進で出発という説もあるようですし・・・。
・市橋線・昼飯線とも場内信号機はありますが出発信号機はありません。特に昼飯線のほうは本線を横断するにもかかわらず出発信号機がないのがちょっと不思議。
変化がありませんので、一気に。
1985年(昭和60年)3月。
1990年(平成2年)8月。
1997年(平成9年)3月。
2006年(平成18年)4月。
昼飯線は1990年(平成2年)頃から休止、2006年(平成18年)頃には廃止のようですが、配線図上は変化はありません。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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昼飯線は構内扱いなので信号機による進出進入ではないと思います
かなりの長い区間をDLによる推進運転なので
たしか緩急車か車掌車を改造してブレーキ弁か何かつけていたものを先頭というか最後尾というかに連結していたと聞いています
見た訳ではないので確かだとはいえませんが・・・
投稿: ヒデヨシ | 2012年4月 5日 (木) 09時57分
ちなみに昼飯線
貨物の発送がなくなり休止状態のとき終点まで線路を歩いてたどったことがあります
途中の大久保?に使われなくなったホキや車掌車が放置されていました
投稿: ヒデヨシ | 2012年4月 5日 (木) 10時00分
ヒデヨシさん、昼飯線から美濃赤坂駅構内に進入するところに場内信号機が設けられていますので、列車としての取り扱いだったと思われます。
(この場内信号機、美濃赤坂 2011/6/18 その1の記事の通り、昨年6月時点では赤色が点灯していました。)
但し出発信号機は設けらていませんので、推進で出発することも考えると特殊な運転だったようですね。
投稿: f54560zg | 2012年4月 5日 (木) 23時53分
美濃赤坂にしても葛生にしても其の先の区間の特殊配線は興味深い物が有りました両線共石灰石とセメント関係がメイーンの線でした沿線に中小の業者毎に側線が分かれており魔境の様な沿線でした
葛生は貨物扱い廃止でヤードは空地になり元々の旅客ホームと数本の側線が有るのみ美濃赤坂は未だ石灰石輸送が有るから当然貨物用側線は現役で残っておるのは当たり前か・・・
投稿: yyoshikawa | 2017年12月11日 (月) 17時20分
yyoshikawaさん、炭鉱地帯もそうですが、側線が入り乱れる魔境は想像しただけでも恐ろしいです(汗)。
投稿: f54560zg | 2017年12月16日 (土) 22時49分