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2011年8月21日 (日)

美濃赤坂 2011/6/18 その1

6月18日の美濃赤坂駅の様子です。

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・場内信号機です。

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・大垣方です。

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・その先のほうです。

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・振り返ります。

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・下り5~8番線は右のほうに別れていきます。
・ちょっとわかりづらいですが、中央やや左、反位の転てつ器標識の上に見える転てつ器標識は黒いシートのようなものがかぶせられています。使用停止、ということでしょうか。

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・下り3番線の分岐の転てつ器標識にも黒いものがかぶせられています。

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・左にカーブしているのが旧昼飯線です。
・左端に荒廃したDE10が顔をのぞかせています。

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・下り2番線と下り7番線の出発信号機です。
・背後の建物もステキですね。

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・昼飯方からです。
・線路には柵が設けられていますが、なんと場内信号機は赤色を点灯させています。
・昼飯線の休止は1990年(平成2年)頃らしいですが、その後も20年以上にわたって信号機は点灯し続けているのでしょうか?

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・昼飯方です。

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・線路の終端側に移動します。

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・下り2~4番線付近です。
・到着用の下り1番線と出発用の下り2番線に架線が張られていないのがちょっと不思議です。

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・この写真は以前の記事からの再掲ですが、この頃は貨車がいっぱいいましたね。
・貨物上屋にも貨物が山積みのようです。

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・それにしてもこの貨物上屋、風情があります。

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・配線図では下り5番線が貨物ホームに面しているように描かれていますが、実際にはホームとの間に空間があります。

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・これは矢橋大理石?石材?の作業場でしょうか。これも立派な建造物です。

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・下り7番線・下り8番線付近です。乙女坂方からです。
・架線が張られているのは下り6番線と7番線だけでしょうか。

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・昔はこんな感じでした。
・有蓋車のほかタンク車の姿も見えます。
・車止め標識や架線終端標識は昔は電照式だったんですね。

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・振り返って市橋線乙女坂方です。

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・市橋線の場内信号機です。

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・矢橋専用線です。

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・振り返ります。

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・大垣方です。

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・終端方です。

線路配線的には30年前から全く変わっていない美濃赤坂駅ですが、旧昼飯線をはじめとして使用されていない線路や施設(貨物上屋など)がいっぱいあるようです。当然と言えば当然ですね。
ただ、これらが撤去されることもなく、昔の雰囲気が感じられる姿は貴重だと思います。
ダミーでいいから線路に貨車を、貨物ホームに貨物を並べたい!

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コメント

昼飯線の場内信号機が点灯しているのには驚きですね。信号機はまだ生きているんですね。
正式にはまだ廃止ではなく、あくまで休止である証拠なのかもしれません。

それにしても20年もの間列車がやってくるのをじっと待ち続けているかのような信号機、いじらしく、そして切ないですね。

少しずつ変化しています。
貨物上屋解体
http://railtomo.dip.jp/p/sjrc_akasaka_20110314_05.jpg
矢橋専用線一部撤去(セ56と道路まで)
http://railtomo.dip.jp/p/sjrc_akasaka_20110806_03.jpg
除草剤散布
http://railtomo.dip.jp/p/sjrc_akasaka_20110818_03.jpg

ともくんさん、コメントありがとうございます・・・、なんですけど、え?!えええ???!!!
この写真はいつ撮影されたものでしょうか?
私は6月18日に美濃赤坂駅を訪れているのですが、この日以降に「変化」が起こった、ということですね?
すみません、ちょっとショックが大きいです・・・。

撮影日はファイル名に書いてあります。
貨物上屋は半分だけ解体されました。
ポイントの撤去は7月、道路までの線路は8月上旬に撤去されました。

昭和53年頃に東海道線豊橋方向から直接入る美濃赤坂行き
たしか153系か165系で入ったことがあります
その当時も旅客関連はやって無く乗車券や入場券の販売流行っていませんでしたが
駅本屋は立派で運転関係の職員が居て無人駅の駅舎ではなかったですね

その後平成8年頃車で昼飯線を訪問しました
線路は休止状態でスイッチバックの折り返し駅の構内には休車のホキやヨで溢れていました
美濃赤坂駅の貨物上屋は本当に大きいですね
石灰石は専用線の駅から積み出されるので
それ以外の一般貨物も相当の量があったのでしょうか?
それとも当時大量に配置されていたテム300やテラ1はこの上屋のあるホームで石灰石袋を積まれていたのでしょうか?

ともくんさん、ありがとうございます。
6月に私が呑気に「昔のままだなァ」と思っているウラで、線路の撤去計画が着々と進んでいたわけですね。
それにしても30年もの間変わらなかった線路が訪問後わずか2か月で変わってしまったのは本当に衝撃でした。使われていない線路の撤去が今後一気に進みそうでコワイです。
ヒデヨシさん、そんな前からすでに美濃赤坂駅は営業的には無人駅だったのですか。
停車場変遷大事典によれば、一般車扱貨物の取り扱いは平成8年まで行われていたようですので、おっしゃる通り貨物ホームでテムやテラに積み込まれていたのではないでしょうか。

こんちは美濃赤坂駅についてです。
最後までタンク車で輸送が行われていたのは二硫化炭素です発駅は安治川口と二本木からで着駅が昼飯ですけど西濃鉄道の駅ですが美濃赤坂駅下5でタンク車に地面からホ-スを繋いで降ろしていました。米原方面からの列車ですが稲沢では連結せず名古屋臨海鉄道の東港駅を経由していました。連結位置は上下とも美濃赤坂方に連結されていました。〔ホキ24両編成の列車でした〕

つるたまさん、タンク車の荷卸しというと油槽所のような設備を連想してしまうのですが、美濃赤坂駅ではひっそりとホースで行われていたんですね。

二硫化炭素の卸していた詰め所の写真が残っていますねぇ。矢橋専用線の大垣方の画像の拡大した所に倉庫の後ろにコンテナの後にある建物です。この輸送は穂積に引き込み線で行われていたが穂積の貨物輸送廃止に伴い変更されています。二硫化炭素は合成繊維で使用する為に揮発性が高く沸点が46度なので近くでは撮影出来なく東側の道路からしか撮影出来なかった。安治川口からはタキ5100〔日本硫炭工業所有車〕で二本木からはタキ10100〔日本陸運産業所有車〕が使用されていました。安治川口では液体薬品中継の扱いで四国化成工業坂出工場での生産です。

訂正。つるたまさんは専用線輸送貨物マニアでしょうか。ニ硫化炭素の沸点なんて、普通の専用線マニアの方ではちょっと出てこないですものね(笑)。

管理人さん、正体がばれて仕舞いましたねぇ。貨車屋の中の編成屋及び専用線のスイッチャマニアです。貨車は本格的取り出したのは平成になってからですが専用線は昭和の時代からです。だから主に関西から東北に掛けては網羅しています。貨車の運用等は詳しくなっております。配線に詳しいのは小学館から発売されていた国鉄配線図と改訂版がバイブルです。〔?氏〕とないねん出版〔岩堀氏〕や貨車の先駆者の〔吉岡氏〕を支持しています。

別件の質問で失礼しますが。
弥富駅の日本毛織の引き込み線〔亀山方向北側〕
富田駅の東洋紡績の引き込み線〔三岐鉄道接続〕

つるたまさん、ワムやトラの場合は決まった所属や運用がなく「不規則」という感じがするのですが、私有貨車や特殊な用途の貨車はある程度は規則的な運用がされていたんでしょうね。それでも旅客車に比べるとかなり不規則であったのではないかという気がしますが。
弥富駅と富田駅の件は???

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