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2011年7月10日 (日)

上郡配線図

相生駅の記事の通り相生以西の在来線の駅には行ったことがないのですが、上郡行きの電車はよく見かけましたので何となく親近感があります(笑)。

まずは1958年(昭和33年)4月。

195804
・この時点ではまだ非電化ですが、翌1959年(昭和34年)には上郡まで、さらに1960年(昭和35年)には倉敷までの電化が完成しています。わずか1年程度の間ではありましたが、上郡駅が電化の終端だった時期があったわけです。
・上郡行きの列車って、電化前から存在したのでしょうか。それとも上郡電化を機に登場したのでしょうか。
・この上郡駅も含めて宝殿、網干、相生など、「上下共用の2番線+貨物用の4番線」という配線がこのあたり一帯の特徴ですね。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904
・ほとんど変化はありません。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604
・まあ、ほとんど変化はありませんね。
・ただ4番線の上側の線路、初めて線路名称が記入されています。客1・客2番線という名前ですので、貨物用ではなかったようです。1958年(昭和33年)の非電化時点でもそうだったのでしょうか。

最後に1999年(平成11年)10月。

199910
・智頭急行線が開業し、下りホームの門司方に切欠きの智頭着発線が設けられています。
・智頭急行線への出発が可能なのは2・3番線及び智頭着発線です。これは別に不思議ではないのですが、智頭急行線から進入が可能なのは1番線(5LA)及び智頭着発線(5LU)しかありません。おそらく実際にはこれ以外に2番線用の場内信号機5LBが設けられているはずですね。そうでないとスーパーいなばが運転できませんので。

行政上日本は都道府県に区分されていますが、旧国鉄は鉄道管理局に区分されていました。両者は別モノですのでその境界(都道府県境と局界)は基本的には一致しないのですが、一部には一致するものがありました。
兵庫県はその西側が岡山県と鳥取県に接しています。兵庫県と岡山県または鳥取県にまたがる路線としては山陽線、赤穂線、姫新線、山陰線の4つがあるのですが、山陽・姫新・山陰の3路線は県境と局界が一致しており、残る赤穂線も県境が備前福河~寒河間であるのに対し局界はなぜか一駅だけずれた天和~備前福河間となっていましたので、このあたり一帯は県境と局界がほぼ一致していたわけです。
一般的には輸送上の区切りとなるような場所を局界とすることが多いため、上記天和~備前福河を含め上郡~三石、上月~美作土居、居組~東浜がなぜ局界となったのかはちょっと不思議な気がします。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

時刻表を見ると上郡行きの列車は電化前からあります。
1959(昭和34)年9月上郡電化開業直前の1959年7月号によると、
姫路~上郡間の列車が3往復あります。
他に大阪方面への直通列車が1往復ずつ。大阪発上郡行き1本、上郡発京都行きが1本です。

姫路電化以前の1956(昭和31)年12月号では、
大阪~上郡間・三宮~上郡間の列車が1往復ずつ、上郡発京都行きが1本。
それと糸崎発上郡行きが1本ありますが、上郡始発の下り列車はありません。

さらに遡って1950(昭和25)年10月号では、
姫路発上郡行き1本、大阪発上郡行き2本、沼津発上郡行き1本。上郡発大阪行き3本(内1本鷹取停車)、三宮行き1本。

いろいろ変化はありますね。

天和~備前福河間が局界になっている正確な事はわかりませんが、以前(45年程前)に福河村が赤穂市と合併し、県境が現在の位置になったからではないでしょうか?私が小学校4年の時学校も分割されたのを記憶しています。
赤穂~天和間の西浜信を紹介いただくと幸いです。

スミノエさん、ありがとうございます。
上郡駅は昔からそれなりの拠点だったんですね。
それにしても何で三ノ宮始発・終着列車?
寒河生れさん、情報ありがとうございます。
なるほど、そういう経過があったんですね。

 ここへ書くのは筋違いですが、隣の有年駅は珍しい配線であり、現在はまた工事中で目が話せません。
 有年駅として取り上げていただけませんか。

 上郡行の列車は転車台がないため姫路~上郡はC59が逆行で牽いていました。C11では間に合わなかったのでしょう。

 三宮終着の列車は以東を急行電車(今の快速・新快速)に乗り換えるためのもので、三宮から回送として東灘へ至り、折り返して三宮始発として姫路方面へ向かっていました。西明石から西は未電化なので急行電車は神戸止まりです。
 東灘は複々線で単純に折り返しできないので神戸港線を使用して入換したのかと想像しています。
 鷹取機関区東灘支区には転車台がありましたが大型のC59が載れたのかどうか不明です。

 寒河生まれさんのとおり、県境変更の前は局境が県境でした。
 なお駅名となった福河は福浦村と寒河村の合併で生まれた地名です。その後に寒河駅が設置され、県境変更で分離したので駅名も福浦に変更されるものと思っていましたが現在に至るもそのままです。変更すれば「備前」の冠が消えるからでしょうか。

C6217さん、有年駅については別途ご紹介したいと思います。

先々週、智頭急行線に乗車してきました。JRとの渡り線乗車が目的です。
(同線には1994年の開業初日に乗車済みですが、上郡・智頭ともJRとの渡り線には乗っていませんでしたので。)

ところで、最後の配線図(1999年10月)における智頭急行線からの進入時の場内信号機ですが、実際には図示とは高低配置が逆で、右側が高位(智頭着発線進入用)、左側が低位(1・2番線進入用)となっており、左側(低位)に進路表示機が併設されていますので、「スーパーいなば」の進路はきちんと存在します。まあ、当然ですが・・・

他社管轄部分なので、表記をおざなりにされたのでしょうか。

ちなみに私の勝手事ですが、以前にも別項で述べた通り、各地の駅構内と本線を結ぶ多種の進路に乗ることが目的でして、渡り線自体の乗車が目的なのではありません。
(分かり易くするため「渡り線乗車が目的」と書きましたが、あくまでも結果論にすぎません。)
たとえば今回の上郡駅の場合、「上郡駅JR構内と智頭線を結ぶ進路」に乗るのが目的で、さらに言えば、1・2番線と3番線の間に他社管轄エリアが存在することから、その双方(「1・2番線いずれか発着の智頭線」と「3番線発着の智頭線」の双方)に乗る、という目的を持って行動しているわけです。
(全番線発着の列車に乗ることは考えておりません。)
私事、失礼しました。

my2000さん、なかなか奥が深いですね。かなり壮大な目標かと思いますが、逆に達成感・充実感も大きそうですね。うらやましいです。

 相生の西隣、有年駅の改良工事が進んでいます。
 元は上下待避線を持つ4線で、上り本線にホームがなく上り客扱い列車は待避線に入る必要があり、待避する貨物列車と旅客列車が競合するとやっかいな駅でした。
 特異な配線だったので今からでも載せていただけませんか。

この上郡駅を要する上郡の街は、古くは千種川の港街だったのではないかと想像したくなるほどの地理的要因を秘めている、播州平野の経済圏で最西地域の拠点ではないかと感じます。
いつものような機関区好きの能書きになるのですが、重幹線での古くからの旅客列車の発着駅でありなから、転向設備や駐泊所並の設備が見受けられなかったのは鉄道分岐点でなかったからなのでしょうか、全国的に他方では経済圏や勾配区間の端部とかは、規模は様々でも必ずと言っていいほど車両基地が授けられており、どちらの要素も兼ね備えている上郡駅には疑問が残ります。(構内は街と川に挟まれた細長い形状。想像ですが転向設備は地盤の関係とか?)
前出コメントでの、my2000さんのコメント、智頭急行絡みでこの上郡駅ではなく網干駅でしたが私も特異な経験をしましたので、いずれ網干駅の項にコメントしたいと思います。
また、スミノエさんのコメント内に、沼津発上郡行きの列車がありますが、117系やサロンカーなにわ、とかでどこかの旅行会社がレトロ列車とかで再現してくれないかなと思いました。
そして、C6217さんのコメントで、当時の上郡〜三宮間の、今で言うなら新快速級列車になる前の列車が上郡まで C59の逆行仕業には驚きなのですが、同様の仕業は、既に別項にて C6217さんに解説いただいていたように呉線でも行われていましたか、非常に珍しい仕業だったようです。
東灘の項目でのみなさんのコメントも参照いただければと思いますが、その C59の東灘機関支区での転向作業ですが、N誌の わが国鉄時代 の何号かに C59が東灘機関支区での転向作業の写真が掲載されており、歴史的な証明写真だったのてはないでしょうか。
差し出がましく私が申し上げるのも厚かましいのですが、山陽筋の現場業務に精通されている C6217さんのお話や別項すみもとさんのコメントなど拝見しますと、有年駅の構内配線も空前の灯となった今、配線図の視点から見て非常に興味深い駅なのだと想像出来、個人的にはちょっと感傷深い駅なのと、その昔には、幻の赤穂鉄道との接続駅だったので、私も有年駅配線図の出現を期待しておりまが、C6217さんには、東海道線各駅の配線の特徴その2:1969年の配線図で、コメント欄も参照のうえ解説ご教示をいただくか、別途有年駅配線図を授けてるようでしたらお願い申し上げたく存じます。
f54560zgさんのblogの流れや構成も有ると思いますので、ぶしつけなコメントご容赦下さい。

C6217さん、失礼しました。有年駅について後日ご紹介すること、すっかり忘れていました。準備しますね。
E10さん、おっしゃるとおり上郡駅というのはなんとも不思議な駅ですね。C59が逆向きで運転するほどなのに転車台等の設備がないとは。転車台を設けるか、もしくはそうのような列車は設定しない、というのが普通かと思うのですが。

S31.11の電化以前、米原京都間の普通列車は湖東ローカルと呼ばれ、列車番号900番台で、他の東海道線列車と区別されていました。その名残で今でも京都を越えない琵琶湖線電車は900台を名乗っています。
その湖東ローカルの野洲発着もC59の逆行だったようです。野洲も米原と梅小路に挟まれたところでわざわざ機関区的設備を作る必要がなかったのでしょうか。
そう考えると、上郡も姫路と岡山に囲まれて、主な列車は直通していますから、わざわざ転車台を作らなかったのかもしれません。もちろんあくまで推測ですが。

わだらんさん、湖東線でもC59の逆向き列車があったのですか。電車区が設けられて以降は野洲行きの電車があっても何ら不思議はないのですが、電車区が設けられる前から野洲駅は輸送上のポイントだったのですね。

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